生きていた事、生かされた命⑧
10月の後半にもなってだいぶベッド上では両肘を使って動くこともでき、何とか一人で車椅子の乗り降りと車椅子専用のトイレに行っても大丈夫という許可も出た、車椅子は両手にはまだ力を入れられないから片足こぎで移動で大変だったけど
オムツからの解放は本当にストレスの軽減にも繋がった
手のリハビリもまだ左手は本格的には開始できなかったけど、右手のリハビリは自主的にも相当努力した絵を描いたり好きなアーティストの歌詞を書いて文字の練習をしたり
自分が少しでも楽しいと思えるような状況に持ってきモチベーションは下げないようにしていた
このモチベーションを下げないようにしてリハビリを頑張ってた事は先生にも少し影響があったみたいで足担当の先生に
「hayatemaru君はこれだけの大怪我押してリハビリを始めた時から1度も弱音を吐きもしない事は本当に凄いよ、僕もhayatemaru君に負けてられないと思ってまたジムに通いだしたんだよ」
ありがたい言葉です
リハビリがどんなに辛くても弱音を吐かなかったのは亡くなったばあちゃんが生前 どれだけ辛い病気や手術リハビリを経験していても弱音を吐いていなかったのを身近に感じていたから
ばあちゃんあれだけが頑張ってたのに俺がここで今頑張らないでどうすんの?という気持ちも強かった
しばらくはこうして毎日コツコツとリハビリの積み重ね
とにかく少しずつの変化 箸でご飯が食べれるようになったり
指先で細かい作業の練習でYシャツのボタンをとめてみたり
でもこの時の右手の握力は20キロほど強く握りこぶしもできない歯痒さもあったが最初に比べれば十分だ
こうしてリハビリを続けて11月になり数日経った頃に個室から大部屋への移動が決定した
正直個室での快適さや集団生活が苦手な自分にとって大部屋移動は大きな試練になるだろうなと緊張していたし
ただでさえ気を使う性格なのに大部屋に行ったらストレスがああああと不安ばかり
そして大部屋への移動、移動したときにまずは挨拶
緊張も緊張「ヨロシクオネガイシマス」
病室の皆さんから軽く「よろしく」と返された
俺のベッドは左奥の窓際の位置で外が見えやすい位置で良かった
右隣のおじいさんは寡黙な感じでちょっと怖くも感じた
目の前の若い男性とその隣の方は年齢的には80歳くらいだっただろうかどちらも静かな人だった
あー凄くしゃべりにくい雰囲気、、、、憂鬱
寝れるかなぁとか
消灯時間がきたら物音はなるべく立てないように気を使わなければ、、、怒られたら怖いし迷惑もかけたくないし、、、
う~~~~~ん 不安要素しかないよ~~と始まった大部屋生活
最初のミッションはなるべく静かに眠りにつくでした