生きていた事、生かされた命⑩
大部屋での生活は幸いな事に可愛がられたし、リハビリも辛かったけど病室の皆さんと声を掛けあいながら過ごせたのは個室では無かった事
自由性はな無くなったし共同生活は苦手だったけど助け合いや思いやりは大部屋で改めて大切だと気づけた大きな経験
それぞれ怪我や病気は違えどもこうして優しさを持って話せる事は自分にとって久しぶりの感覚だったので嬉しくもあった
自分の隣のおじいさんは癌の治療
目の前にいたおじさんは足の骨折 隣の方は仕事中に身体を火傷して入院
火傷の方は大部屋に来た時に手術が終わったら個室に移動したいので個室がもし空いたら移動したいというお願いをしていたみたいなんだけど
手術後も結局大部屋のままで過ごしていた
手術の前日も皆で「明日は手術頑張ってくださいね」と声をかけ
その人が手術から帰ってきた時は皆何も言わなかったけど、静かに騒がずに朝までを過ごした
もう暗黙の了解というか 手術後の辛さは皆知ってるから夜中に何回もナースコールで回りがバタバタしていても全然平気だった
だって俺も辛さは知ってるもん
容体が安定してからその人と話して
「手術後に個室に移りたいって言っていましたけど大丈夫ですか?やっぱり精神的にも大部屋は疲れますしさっき看護師さんも個室が空きそうとは言ってましけど」
その人は「いつの間にかここの病室の居心地が良くなったから個室はもう断りました、皆さんが良い人達なのでこのままで良いなって思って」
そう聞いた時にこの気持ちの変化って嬉しい事でした、確かに俺が居た病室は本当に穏やかだったと思う
11月も後半に俺の左手の靱帯を固定ていた2本のピンを抜く手術がやってきた、このピンを抜いてようやく左手のリハビリのスタートだ
手術は局所麻酔だったのでガッツリ自分の意識があるわけですよ
全身麻酔で寝て起きたら はい終わりってわけではなくて先生達の会話がもろに聞こえている生々しさと痛みはかなりのものでしたよ(汗)
「もし耐えられなかったら言ってね~」
「あ~ピンがだいぶ奥に入ってるな~ちょ~っと骨の場所グリグリするよ~」
もうめちゃくちゃ痛かったての!!笑
我慢するにきまってるじゃんだって途中で止められても困るし
「もし耐えられなかったら言ってね~」
これは俺にとっては「大丈夫です耐えられます」という答えしか出ませんよ
時間にしては全体で30分位だったのかな?
でも痛みに耐えてる時の30分は長いよね
ピンを抜き終わった後に「どうするピンは持って帰る?」と言われたので貰いますと答えました
「はい、お持ち帰りで~」
、、、、テイクアウトかよ
でもこれで長かった装具を付けての生活は終わり
左手も遅れてのリハビリスタート
手術から帰ってきた時におかえりと言ってくれる病室の皆さんに感謝でした