加算と逆算
特に答えは無いんだけど何となく色んな事を考えるのは好き
以前友人と電話した時に生き方の価値観の話をして
例として「加算方式」と「逆算方式」という内容が話題になった
自分なりの加算方式と逆算方式の考え方の一例
加算方式 遠い未来の事も見据えて健康的に過ごす、家族の為にも長生きしたい等
何かを加算していく事で生きていく
逆算方式 極端に言うともう自分が死ぬことを考えていて死ぬまでにやり残した事の無いように物事を逆算して考えていく
色んな生き方の価値観がある中でこの2つは結構分かりやすいんじゃないかとも思う
どちらかと言うと逆算方式はネガティブなイメージが強く
それは生死という概念が死の方に近いからなのかな?と思っていた
しかし結局の所この死生観とはやはり答えを見つけるのじゃなく
生き様という物が落とし所という感じだろうか
自分が長期的に入院した時に沢山の患者さん達の会話をした
「退院したら家族が待っているから」
「スポーツを楽しむんだ」
「旅行に行くんだ」
退院した後に色んな事を楽しみたい等の加算
仲良くなった患者さんおじいちゃんの1人
癌患者だった
話している時も笑顔でラウンジで一緒に座りのんびりと会話したし
病室も同じにもなった
コロナ過という事で基本は患者は面会は出来ない状態だったが、そのおじいちゃんの家族は短い時間だが定期的に面会に来ていた
それはおじいちゃんが家族に伝えたい事があった為
そのおじいちゃんはよく読書をし几帳面に何かノートに取っていた
ラウンジで話している時に
「私は病院から出れないからね、だから伝え忘れが無いようにノートに書いて家族達に伝えているんだ」
それに対して「それは感覚的に逆算で考えているって事ですか?」と聞いてみた
「あぁ、その通りだよ しかしまぁいろいろ考えると書くことが多くて困るね」と笑いながら雑談した
これは自分の命がある程度明確になっている状態での逆算
病院という閉鎖的な空間の中で様々な命の向き合い方も見てきた
リハビリルームに行けば片足が無い高校生くらいの女の子が必死になっていたり
自分からは車椅子から降りる事は難しく看護師さん2人がかりで移動させてリハビリをしている10歳にも満たない少年
皆がそれぞれ何かに向き合っている そんな姿を数ヶ月
毎日見てきた
それや自分の体験も含め死生観は変化していったのだろう
自分が転院する前に最後のあいさつではお互い「さよなら」という言葉は使わなかった
「じゃあまた何処かで会えたらお茶でも飲みながら話せるといいっすねぇ」
「それは良い事だ ○○君またね」
それは暗黙の了解のようなもの
俺とそのおじいちゃんの「また」は続いている