1年経ち 新しく繋がれた人達へ
今日は ばあちゃんの命日でもある9月16日 丁度10年が経った
そして、去年の9月に大怪我をしてからもうすぐ1年経つ
自分にとっては9月はいろんな感情が入り乱れる
現在も悩み辛さも感じているが生きている
今回は節目も重なった事もあり少し記事にまとめたくて書き始めた
1月に退院してからまずは自宅で出来るリハビリの開始
最低限自宅で生活できるレベルでの退院だったので、自分の部屋までに行くまでの急な階段 少し部屋の荷物を動かすだけの動作
家の中で過ごす事すべてが過酷なリハビリと同じ
趣味のギターなんて弾けるわけがない(現在は弾けるまで回復しました)
手首を床につけるだけで激痛が走る、一体弾けるまで何カ月かかるのだろう、、とにかく気長にリハビリもやるしかない
帰ってきてからゆっくりと身体を慣らしていく他にやってみたい事があった、入院中に聴いていたツイキャス
Twitterは使っていたが、たまたまツイキャスの存在を知ってフォロワーさんが配信しているのを楽しく聴いていた
ラジオ番組とは違う 自由に話し コラボして複数の人と会話したり
文章だけではなく喋って発信する側ってどんな気持ちなんだろう?
怪我をする前の自分では絶対に思わなかった
いつも後ろにいてなるべく目立たないように これが子供の頃から根付いた考え
でも帰ってきた時から以前とは違う感覚で見える世界
価値観
とにかく何でもよかった、前とは違う何かを事をしてみたい
それが周りから大した事ないと思われたとしても自分にとっては大きく踏み出す1歩だった
いざ配信を配信を始めたものの何を話せば良いのかわからない、キャス枠にも一瞬だけ誰かが入ってきてすぐに抜けてしまう
これは失敗だったかな?自分にはやっぱりハードルが高い事だったかな?
まぁ試験的にやってみたものだしすぐにやめても良いかとも思っていた
でもある日にTwitterのフォロワーさんと初コラボした時に
「貴方は配信者側に向いていると思う」と言われ自分でも驚いた
自分の声も喋り方にもコンプレックスを持っていたし、自分の話の内容もビクビクしながら喋っている
その後自分の枠を聴きにきてくれた方とコラボすることになり、初めましてだったのに物凄く落ち着いて喋れる空気感、物凄くその人の物腰の柔らかい雰囲気にまたこの人と話してみたいな~と思った
それからその方とコラボする回数も増え、そこからの繋がりで色んな人達と繋がり始めた
今では他のキャス枠でコラボに上がる事もあるが、やはりある程度コミュニティ構築されている場所に入るというものは怖いものだ
しかし感謝する事に今こうして繋がれている人達の「人を受け入れてくれる暖かい心」緊張している自分は救われ
たった一言の言葉、手を差し伸べてくれた時にその手を掴んでみたら 自分では開くことが出来なかった扉を開いてくれた
きっかけとはどのタイミングで訪れるのかわからないものです
リアルでもネットの世界でも一期一会、点と点だった物が線と繋がる事が出来た事素敵な事です
昔から人と関わる事も怖くて避ける道を選びやすく、先日高校時代からの付き合いになる友人から「初めて会った時、この子は何もかも諦めて腐りきっている顔をしてるって印象だった、あの頃から凄く変わったよ」と言われた
単純にそう言ってもらえた事は嬉しかった
その中でまた大きく変化を齎したのも良くも悪くもこの怪我通しての1年なのも事実
4月 5月には身体に埋め込まていたプレート除去の手術、この時に皆の励ましの言葉にどれだけ元気をもらった事か 本当にありがとう
身体や心に消えない傷は残ったものの、新しく素敵な人達の出会いが沢山あったこれはきっと大切な記憶と宝物なっていくと信じて
これから一体どれだけの人達と関わって生きていくのだろう、その中で自分が手の届く範囲の人達が少しでも笑顔でいれますように
俺は貴方が子供の頃に語り掛けてくれたような人間に少しでも近づけているでしょうか?あの時何気なく会話していた言葉の数々が何かに繋がっていると見守ってくれていたらなぁと思います