まさお#9
やがて、私は待望の第二子を授かりました✨
第二子出産で決意したことがありました。
私は、第一子のお産では、母に頼りきりでした。
それこそ、お恥ずかしい話、いい歳して、入院準備の自分の身支度から、退院後の沐浴セットやベビーベッドや寝具の準備まで、ぜーんぶ、ママにやってもらっていました。
初めての事で、こわかったのもあるとおもいます。
そして、
嬉しくて嬉しくて、
とことん妊婦ライフを満喫したくて、考えたのが!!
「たまひよ」モデル!
たまごクラブひよこクラブという雑誌に、
1年間の特集で
「今月の妊婦さん✨」
と題して、妊婦記録が掲載されました。
毎月、御茶ノ水の出版社まで出向き、おなかの撮影!水着を着て、スタジオでカメラマンさんに撮ってもらいます。
3ヶ月、4ヶ月、・・・6ヶ月と、月を追う事に、
だんだんお腹が大きくなる
私の横向き写真が
横並びになっていきます✨
この撮影で毎月、御茶ノ水へ通うのがまた楽しくて、また、プロの方々に取材して頂き、立派な写真も撮って頂けるのでとっても有難いことで、
テンションも上がりました。
時には、私が連載されている記事を偶然みた遠方の友人から、連絡が来たりもしました!
以上が、第一子産前産後の大切なエピソードのひとつでした!
さて!今回の第二子出産は、母に頼らず、立派に臨むぞー!と、意気込んでいた私。
もちろん、夫にも全面的に協力してもらい、家族👪でシッカリ、赤ちゃんを迎えよう!
第二子出産での決意。
それには、深い理由がありました。
最愛の私のママは、余命宣告をうけていたのです。
第二子の臨月の頃、私は実家へ1泊ぐらいの里帰りのつもりで、立ち寄った日の事。
なぜか、叔母も都内から泊まりに来ている。
あれ?みっちゃんも来てたの?久しぶり!
「ここ、座って!話があるの。」
叔母のみっちゃんも、なんだかいつもと表情が違う。
「ママね、癌になっちゃったの」
٩(⌯꒦ິ̆ᵔ꒦ິ)۶ᵒᵐᵍᵎᵎᵎ
え?今、なんて?
「おねえちゃん、ごめんね、ママお産に間に合わないかもしれないの、来週から入院して、手術するの。余命も・・・」
このセリフは、今までで最も、私にとってショッキングなもので、実は今でも、拭いきれていない。
こうして書いていても、少し震えてくる。
ママが入院?病気・・・?寝込んだこともないママが?ウソであってほしい。
イヤだよ、ママ、ウソでしょ?
お願いだから、そんな事言わないで。
あまりにも残酷な告知に現実をうけとめられない。
叔母のみっちゃんが「ママね、誰にも言わないで1人で受診してたんだって。パパにも黙ってたらしいの。」
すると、母は
「がんばって!
お姉ちゃん(^-^)」
「ママはね、こうなっちゃったけど、負け惜しみじゃなくて本当に、1つも後悔はないの。
なんにも思い残す事はないわ。でも・・・ただ一つだけ、自分の勝手で、こん何悪くなるまで放ってたせいで、みんなには、手術だの入院だので、迷惑かけちゃうことが、、、申し訳なくて、ね、」
と、言ったあと、つーっと頬を涙が。
この時はまだ信じられなかった。目の前に起きている現実から目を背けたかった。病気だとしても、ママに限って、そんなことは、、、なんて。
やがて、間もなく母は手術をした。
術後の経過もよく、一時退院の許可もでて、
私のお産にも間に合い、産院に駆けつけてくれた。
ここから、3年ほど、闘病しながらも、日常生活や、父の会社の仕事を手伝っていた。
母はいつも綺麗にお化粧して、ピンクの口紅に、花柄などの明るい色彩の洋服をきて、ニコニコ笑って過ごしていた。
娘のお宮参りも、そのあと実家でお祝いした時の手料理も、張り切って準備してくれた。
お風呂にもよくいれてもらったなぁ。
そして、ちょうど息子が幼稚園に入学したので
入学式にも付き添って参列してくれた。
いつもオシャレで華やかな母。
七五三のお祝いでは、私も着物を着ました。
娘と孫の着物姿を闘病中のベッドから、みてもらえた。
母から癌であることを告げられた時のショックは、いまだに拭いきれていないけれど、
母が闘病していた、この数年間のうちに私自身も
「生きるとは一体何なのか」
「何のために生きるのか」
などを追究してゆく事が出来ました。
母には、感謝しかありません。
もうちょっと甘えてみたかった日もあったけど・・・。
今では、母の気持ちも理解できます。
ありがとう😊
今度、生まれてくるのは、女の子です。
おばあちゃんに沢山遊んでもらおうね☺️