物をなくすということ

僕の仕事は道具が多い。細かい道具、一つ一つは取るに足らないようなパーツだ。しかし、それが有効な場面が来るととてつもなく頼りになる大きな力を発揮する、みたいな道具がとても多い。それはケーブルだったり、小さな固定の金具だったりする。そういう道具を沢山使う仕事なのだ。

道具が多いと一人で管理するのが大変なのだ。何回かに一回、現場に行ってなにか一つ忘れて帰る。しかも、今のところ1回につき決まって一つの忘れ物をする。一度に何個も忘れるということは一度もない。

まずきちんと管理できてないというのは改善していきたいポイントだ。道具の一つ一つに名前を書いて電話番号を書いておいたりしたほうがいいかもしれない。それか、持ち運ぶケースごとにリストを作って毎回チェックしておいたほうがいいのかもしれない。そういう対応はできるだろう。

でも毎回1個忘れるというところが、我ながら面白いなとも思う。なんか生贄というか、犠牲というか、引き換え、みたいなことになっているのか?という雰囲気もある。僕だって物を無くしたくないから相当忘れ物には気をつけて、最後に現場で忘れ物を目視で確認したりする。それでも1個忘れるから、なにかそういう儀式みたいなことになっているのかな。しかもいい仕事ができたな、と実感できる日に忘れ物をすることが多いので、いい仕事と引き換えに何かを犠牲にしているみたいだ。

村上春樹の短編小説にシェーラザードという話がある。その話では、ある女性の高校生の頃の話が出てくる。その女性が好意を寄せるクラスメイトの男子の家に毎回不法侵入して、自分の物を一つだけ、バレないようなところに置いて帰る。そういう話がある。(ちなみにこのエピソードは濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」にも反映されているエピソード。村上春樹の「女のいない男たち」という短編集に収録されているシェーラザードという話だ)なんだかその話の逆みたいだなと思った。

それも無意識にお供え物的にそんなことをしているということになる。うーん、そういう解釈もあるいはできるのかもしれない。そういうことで次の仕事につながるのであればまあいいかという気持ちにもなる。

しかしそんなことを言ってないで忘れ物をなくす仕組みを考えねばならない。僕の自己満足的いい仕事のために大切な道具を犠牲にしてはならないのだ。毎回忘れ物をして、そのたびにまた買う羽目になっている。改善していこう。


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