デジタルネイチャーについて

落合陽一さんの「デジタルネイチャー」という本を読んでいる.
2018年に書かれた本だ.もう今から6年も前.

僕が落合さんを知って面白い人だなと思ったのも2018年のことだった.
朝生に出ていた落合さんを見てほおー面白い人だなと思った.

その後にInstagramをフォローしてライカで写真を撮っている人なのだと知った.
Instagramに載っている落合さんの撮った写真(海外の空港の待合室をとったものだった)を見て,今まであまり興味がなかったけど写真って良いな.と思ってカメラを始めたのだ.

もちろん落合さんと一緒のライカのカメラが欲しかったが,当然100万円するし,その時僕はお金が全然なかったのでその当時落合さんが使っていた,ライカのレンズが付いているスマホ,Huaweiのp20proを真似して買った.

p20 proで写真を撮ることから始めてa7→sigma fp→bmpcc6k→
5dmark4→a7siiiとどんどんカメラにハマっていって買っていった.
残念ながらまだライカに手は届いていないけど,でもいつか手に入れようと思う.

実は先日そんな落合さんを生で見かけた.
去年の11月に高山で落合さんの作品の展示があって,見にいったらご本人もいらっしゃった.

お会いできてとても嬉しかったのだが,メディアでよく見ていたせいか,不思議と初めて会った感じがしなかった笑

会いたい人にも会えるものなのだな,と思った.

デジタルネイチャーの内容についての話に戻ると,

デジタルネイチャーはデジタル(計算機)がもはや僕たちを囲む自然の一部になるという世界観だ.実際にそれがもう進んでいる.

落合さんはよくデジタルネイチャーのことを「風の谷のブレードランナー」と言ったりしていた.
以前の僕はその言葉の意味をあまり理解していなかったが,ナウシカもブレードランナーも好きなのでなんとなく言葉として良いな,良い組み合わせだなという程度に思っていた.

しかし,去年から今年にかけてchatGPTなどのAIがとんでもない勢いで発展していって,AIについて勉強してみるとその風の谷のブレードランナーの意味がわかってきた.

計算機と自然との区別がだんだんつかなくなってくるという世界観が,肌で感じられるようになってきたのだ.そしてようやくデジタルネイチャーと風の谷のブレードランナーの意味がわかるようになった.

近い将来,AIがもっと発展していくとだんだん生きている人間なのか,それともAIなのか判断できないようになってくる.
それくらいに技術が発達する.

そうなるともうブレードランナーの中で人間なのかレプリカントなのかわからなくなってくるように,今目の前にいる人の形をしたものが本当の人間なのかそれともアンドロイドなのかがわからなくなるだろう.

人の形をいたもの以外にも,もう自然物なのか,人工物が発達して自然に見えるものなのかが見分けがつかなくなるだろう.
それはナウシカの王蟲がかつて人工的に作られたものにもかかわらず,ナウシカの時代ではそれをもう忘れていて,神のように崇められているということと同じになる.

もうすぐ,というっても僕には具体的に大体何年後くらいなのかはわからないけど,AIはAGIという人間のような汎用的な性能を持ったドラえもんみたいなものに進化するらしい.

そしてその後にAGIからASIというもはや人智を超えた知能へと進化していくのだという.

ASIと人間の知能差は人間と金魚くらいの差になってしまうという.
そうなるともう完全にナウシカだ.

AIは神みたいなものになってしまうね.
だってもうAIが何を考えているのか全くわからないようになるもの.

昔の人は雷が鳴ったり海が荒れたりすると神が怒っている.と思ったりしていたように,ASIの頃には人間は「なんかよくわからないけどものすごい大きな力が僕たちに何かを啓示している...!」
とか思うのだろう.

それはもはや逆戻りだよね.猿の惑星だ.
人間は原始的な生活に戻るのかもしれない.それが結局鬱とか運動不足とかにならなくて良いと思うけどね.僕は.

縄文時代のような持続可能な循環する社会になったりするのかもしれない.

でもきっと僕の寿命のうちではそうならないだろうな.
そういう世界見てみたいんだけど,残念.

そんな世界観をいち早く感じ取っていた落合さんはやっぱりすごい.面白い人だなと思う.


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