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氣のたまり,流れの話

最近ぼんやりと考えていることに,この世界には無の部分と,何かある部分が雲や泡のように混在している気がする.というのがある.

なんとなく感覚だったり,本を読んだことから自分の中で半ば直感的にそんな感じかもしれないなと思った.

例えば,宇宙にはヴォイドという全く何もないような空間と,ある程度星やガスなどが集まっている空間があるらしい.
正確な説明ではないのかもしれないけど,ヴォイドという空間には,全く何も観測することができず,ダークマターすらもないと考えられている空間があるらしい.

仏教で言う,「空あり」みたいな?またちょっと違うか.
(全ての知識が生半可であるために,こうやって公の場で何かを書くと我ながら,僕の言っていることには説得力がまるでないなと思う笑 しかし気にせず書いていこう)

つまり宇宙には何かが集まっているところと,全く何もないところが網の目のように広がっているらしい.

宇宙以外のことで言うと,
例えば僕らの住んでいる街もそういう構造になっている気がする.

全く人が住んでいない,住居が建っていない場所と,人々がある程度密集して住んでいる都市が網の目のようにネットワークを作って存在している.
人が集まっているところと,全く集まっていないところがある.

または音楽.
サビの部分とAメロBメロ,前奏や間奏などの部分も,個人的にはそういう無の部分と有の部分で構成されているのかなと思う.
(音楽の場合,無といっても何も音が鳴らないわけではないけれど)

また,小説家の村上春樹さんは長編小説を書く際,読んでいて盛り上がるような,読者が入り込むような,ページを捲る手が止まらなくなるような部分と,あまり盛り上がらずに淡々と進んでいくような部分を作ることを意識していると本に書いてあった.
これも,有と無のように感じる.

はたまた,スピリチュアル的なことでいう,「氣の流れ」みたいなものも大体の人には見えないだけで,こういう有の部分と無の部分があるのではないかな,と思う.僕も見えない人間なので想像することしかできないけれど.

さらに,ここまでくるとどうでもいいがコロコロとテナントが入っては消え,また入っては消えるような物件とかたまにみかけるけど,ああいうのはもしかしたらヴォイドの空間なのかもしれないな.などと思う.
あの土地,あのテナントの真空に,入居したものは吸い込まれていくのだ・・・

まあとにかく,この世界にあるものの構成が抑揚というか,リズム感というか,ヴォイドというか,有と無みたいだなと思う.

だからあまり均質的に,ロジカルにものを考えるのも合理的で大切だけど,目に見えないグルーヴ感,みたいなものを頼りに感じることで物事を判断する方がむしろ合理的なのかもしれない.そんなことを最近考えている.


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