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おばあちゃん

先日、お坊さんのお話を聞いて、とても印象に残った言葉があった。
そして、お坊さんは人の『死』に対して、自分と考え方が全く違っていて、『死』に対しての捉え方が自分の中で少し変わった。
(曹洞宗のお坊さんなので、曹洞宗の考え方なのかもしれません)

ここからは、夏のある日に亡くなったおばあちゃんのお話です。

2、3年前から、おばあちゃんが90歳を超えて、一人暮らしできなくなった時に、「死ぬとはどう言うことなんだろ?」と言うことをたまに考えるようになった。
おばあちゃんのつぶやき『思うように動けないのに生きてる意味あるんかなぁ』『家族もねぇちゃんも、みんな天国にいってしまった』と、よくと言っていた。
日々老いていくし、昔よりこれが出来なくなったと思うことは今も、今までもあるけど、それが90歳超えたら「自分はどう思うんだろう?」と想像はできなかった。
きっとおばあちゃんも、イライラすることもあるだろうし、悲しくなったこともたくさんあるんだろなと思った。

コロナ禍で、面会がなかなかできなかったけど、施設に久々に会いに行った時、イライラする様子もなく前よりおばあちゃんが"穏やかになった"と感じた。95歳にもなり、だいぶ忘れていることも多くなっていたけど、穏やかに何回も「来てくれてありがとう」って言ってくれた。それは、子どもの時におばあちゃんのところに行った時と変わらなかった。

コロナ禍で面会禁止の時期だったが、「最後になるかもしれないから面会に来てください」と、連絡が入った。家族で会いに行った。
もう、お話はできなかったけど、足がもぞもぞ動いたり、手を握り返してくれたり、目を少し開けたり閉じたりしながら、会うことができた。話せないけど、何かを全身で伝えてくれてるように感じた。
看護師さんが、「話せなくても人の耳は最後まで聞こえているらしいですよ」と、言ってくれたので、たくさん話しかけて帰ってきた。そして、お世話をしてくれていた施設の方からも、おばあちゃんとのエピソードをたくさん話してもらった。ここで楽しい時間を過ごしたんだなと思うと、人生の最後を過ごす場所の大切さを感じた。その場所を、作ってくださってる方々に改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

その夜におばあちゃんは息をひきとった。

身近な家族が亡くなるのはとても悲しかった。

おばあちゃんのことをよく知るお坊さんがお通夜に遠方から駆けつけてくれた。そして、最後にお話をしてくれた。

"あなたの人生は終わるかもしれないけど、あなたが終わるわけではない。また、これからもあなたの役割を全うしてください"

とおばあちゃんに語りかけていた。そして、おばあちゃんとの思い出のエピソードをたくさん語ってくれた。私の知らないおばあちゃんも知ることができた。

悲しいけど、その時におばあちゃんは、次のステージに進んでいくのかなと思えた。
"死ぬことは悲しい" それだけだったのが、おばあちゃんが終わるわけではない、おばあちゃんはまた違う道を歩み始めて、もう少ししたら仏さんになるんだと思った。

お坊さんのお話や、振る舞いを見ていると、「死ぬことは悲しい」を超えた捉え方をされているんだと感じた。次のステージに送り出すお手伝いをしてくれていて、悲しいのは悲しいんだけど、気持ちの整理をつけてくれたように感じた。

おばあちゃんは、(おじいちゃんの法事などで)お坊さんがおうちに来るたびに、手厚くおもてなしをしていたようで、お坊さんからもたくさんのエピソードを聞くことができた。おばあちゃんのエピソードは、おばあちゃんの人柄そのものだった。

お坊さんや施設の方と接することで、次のステージに送り出すお手伝いをしてくれていると改めて感じた。そして、その家族にもさりげなく心の整理がつけられるようなお話をしてくれて、心の支えになってくれているような気がした。

改めて、色んな職業、色んな方々に支えられて、この世は成り立ってると言うことを感じた。また、おばあちゃんを見送った数日間は家族みんなで過ごすことができ、おばあちゃんは最後まで色んなものをくれて、色んなことを教えてくれた。

お坊さんの言葉がとても心に残ったので、書き残そうと思いました📚またおばあちゃんの最後に、悲しみと一緒にとても貴重なことを感じさせてくれたと思ったので、おばあちゃんの最後の贈り物だと思い、書き残しました✨

thank you ✨✨

#おばあちゃん #お坊さん #福祉施設の方々
#本当にありがとう
#感謝

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中村友梨香
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m