何もしない時間
"この時間、とても心地いいな"
と感じる瞬間があった。京都のあるお寺に行った時、目の前には樹齢700年とされる松の木があり、江戸時代(推定)に建てられたとされる建物の縁側で、太陽の暖かさを感じながら、目を閉じた、とっても寒い日のことだった。
外は、2,3度、このように(カバー写真)窓はない。だけど、陽が差すところはじっとしてても暖かかった。参拝者もたまたま少ない日だったのか、この縁側には、私含め2人、多くても3人という感じだった。最初に座った陽の差す場所が気に入って、そこで立派な松の木と、整えられた庭園を見ていた。時に目を閉じた。
松の存在感、陽の暖かさ、庭の外側の竹林を通って入ってくる冷たい風、鳥の鳴き声、建物の木と木があたる音、遠くから聞こえる人の声、箒を使って掃除するかすかな音、人の歩く音。
自然の音と、人の生活する音。江戸時代という歴史を感じる空間。700歳の松の存在感。
"この時間良いなぁ"
本堂の住職さんが、昔住んでいたという建物。かつての住職さんも、ここでこんな時間を過ごしたのかな。とふと思った。
この日も、寒かった。ここに来るまで寒い寒いって思っていた。この縁側の座った場所の暖かさにも、驚いた。晴れている時の太陽ってこんなにあったかいんだな。風が遮られた後にふわっと入ってくる感じだと、心地良く思えるんだな。そして感じないようで感じる松の存在感。ここに座った時間は、すごく新鮮だった。
結局、何か動いて楽しい!スポーツして楽しい!人と話して楽しい!もちろん、それは楽しいし、その時間も必要な大切な時間だ。
でも、ただそこに自分がいるだけで"贅沢な時間だな"と思えた。人には五感がそなわっているから、いるだけで感じられることがある。不思議だなと思った。この日の体験は、また自分に新たな発見をくれた。そういう体験を久しぶりにしたような感覚だった。
もし、この時間が非日常だから贅沢だと感じるなら、何もしない時間が持ててないのかなとも思った。身の回りは、便利なもので溢れてて、すぐスマホを見るし、気づいたら何かしてるんだろうと思った。
そんなことを帰り道でふと思いながら、心地よい空間、また行こう!と思った。
(樹齢700年の松の木、横から見るとこんな立派な扇形。)