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コミュネッコを立ち上げるまでの経緯



暮らし方を少し変えるだけで
お金をかけずに美容も健康も手に入ります^ ^

食をはじめとする暮らし方を見直し、
今、心身ともにとても元気に過ごせています。



はじめから知っていてできていたわけではなく、
以前は1年中通して、鼻炎、蕁麻疹、花粉症などの
アレルギーを発症していて、市販の薬を飲んだり、
病院からもらった薬を塗ったりしていました。

薬で治っていると思い、原因があってそうなってる
とは分からず、暮らし方を変えず、
症状が出たら薬で抑えると繰り返してました。

それが何年も続き、結婚して妊娠して
やっと食のことを考えだします。

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3人目出産後、自然療法の勉強をするのが楽しくて、
当時はオンラインが主流ではなかったので、
まだ小さな息子を抱えながら1日学ぶをしていたら、

最初は小さなしびれや痛みが出ていたのに、
学びたいが先で体の声を無視してたら、
しびれと痛みがだんだん全身にひろがっていき、
ついには痛みで動けなくなりました。

少し触れるだけで痛くて物も持てないから、
料理も運転もできなくなり、
寝ても覚めても立っても座っても
針で刺されるように痛い。

首はガチガチになり動かない、
目はかすんで二重に見える、
指は曲がり動かなくなってきて。

このまま死ぬんじゃないかと思いました。

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病院に行っても原因不明。


早く治したくて、ワラをもすがる思いで
思いつくありとあらゆることをしました。


症状を調べると『線維筋痛症』にあてはまり、
鍼と漢方の先生も多分そうだろうと言っていて

その先生方は線維筋痛症の方も診てきてあるので、
お陰様で少しずつ良くなっていき、
半年程で少しの痛みしびれは残るものの
日常生活を送れるようになりました。

本当に感謝しています。


全身痛くても、痛い痛い言いながら
授乳はしていたので、母になると強くなりますね!

夜中、我が子がすぐ側で泣いてるのに
寝返りができないのが辛かったけど、
子ども達が笑顔で元気でいてくれることに
救われてました。

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やっと動けるようになった矢先、
父の脳腫瘍が見つかりました。
見つかったときは8㎝の大きさで、
こうなるまで症状が出なかったのが
不思議だと病院で言われました。


この大きさだといつ死んでもおかしくないので、
すぐ入院と手術をしなくてはいけないんだけど、
手術をする名医がすぐは空いてなくて、
それまでにできることを全部やろうと決めて、

今まで学んできたことを見返して、
色んな講師に聞いたりして、
分かりやすく実践しやすくノートにまとめて父に
母には実践材料を渡しました。


だけど、普段していないことは
準備してても続かないし、
大好きなお酒や食べ物禁止になって
ストレスだったことでしょう。


家族は治したい一心であれこれ持ってくるけど、
今思い返すと本人の意思を尊重して
あげれてなかったなぁ、表面上の対処しか
できてなかったなぁと反省しています。

そんなこんなでいよいよ大手術。
手術前後、植木職人の力強い父があばれて、
みんなでおさえて大変だったけど
(頭につないでるチューブを引っこ抜こうとしてた!)奇跡的に無事に成功。

数日で歩けるようになり、
ご飯も食べれるようになりました。

父と過ごす時間を伸ばしてくれた
病院の先生には感謝してもしきれないです。


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退院して少し経つと、半身が動かなくなってきました。
腫瘍が大きすぎて脳に食い込んでいたため、
全ては取り除けなかったのです。

だんだん不自由になる体に父も
不安だったことでしょう。


歩くにも片足を引きずりながら、
一生懸命歩くも足の爪がはがれてたり、
体を温めて治そうとしていたのかお風呂に入っても
自分じゃ上がれなくてわたしの旦那さんに
来てもらって上げてもらったりしてました。

そんな状態でも孫が大好きな父は、
動かない方の指も頑張って使って遊んでくれてました。


それから、車イスと寝たきりになりました。

父が好きな香りで足が冷えないように、
子どもと一緒にアロママッサージしてました。

香りで自分も癒されるし、何かできることがあるということが救いにもなるのでおすすめです^ ^

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母と妹が家でみるのがむずかしくなり
入院になりました。

病院では父はずっとお経を唱えていました。
私が絶対何とかしてやると思っていたので、
治るけん大丈夫よ!と伝えると、
うんうんと目を見てうなずいてました。

できることはするも、やがて目も開かなくなり、
話すこともできなくなっていきました。

子ども達や家の事もあり、父を治すためしたいことが色々あるのにできないもどかしさの中

それでも一生懸命話しかけると涙は流れていたので、
聞こえているし理解しているんだなと分かり、
家族みんなで一方通行の話をいつもしていました。


そうして、脳腫瘍が見つかり、約3ヶ月で
父は亡くなりました。

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そのときできることはやったので、
後悔はないんですけど、今でも思うことがあって。


もっと知識があったら結果が違ってたんじゃないか。


その思いで、間違った知識だけは
伝えたくないので勉強と実践を繰り返しています。



長々と書きましたが、この話を通じて伝えたいのは、


『ひどくなる前に予防したほうが
よっぽど楽だということ』


その予防法はお薬ではなく、
暮らしや生き方を見直すということ。
その症状には必ず原因があり、
その根本に目を向けないとくり返すということ。


とても大切なことなのに、こういったことは学校でも、大人になっても誰も教えて教えてくれません。
子どもの頃から知りたかったなと思います。


だから美容室やセミナーを通して、
元気に幸せに生きていくための最低限の知識を
お伝えし、親から子へ受け継がれていくと
いいなぁと思い、全ての活動をしています。


皆様の幸せと子ども達の未来に少しでも
貢献できたら嬉しいです^ ^


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