日本が日本では無くなった日

何週間か前、家から500m程離れた場所でヤクザが元妻を銃殺する事件があった。「怖いねえ」「この辺にそんな人いたんだ」「そういえば昨日警官が沢山」近所の反応はそんな程度だった。

今日起きた事件はそんな程度で済まされない話だ。

——元総理大臣が演説中に銃で暗殺された

住宅街のど真ん中で、要人暗殺の銃によるテロが起きたのだ。

結論を先に結んでしまうと、この事件について我々が何かを知ることはもうない。
詳しくは知らないが、ここまでの事件になるともう警察ではなく公安の管轄だ。つまり、捜査情報は国家機密であり、余人の感知できるところでは無い筈だから。

ただ一つ、我々にも厳然と知らしめられたことはある。
もう、日本はこれまでの日本では無くなったのだ。
誰かの気に障ればどこからともなく銃が生えてきて、「誰か」が銃弾を親切に渡し。
撃たれて殺される。
それがこれからの日本になってしまうのだろう。

投票という制度も、多分もう駄目だ。
何処のどんな人を、どれだけ必死で応援して、市議なり国会なりに送り出そうが、「本当に日本の為に尽くせる人」だと分かられてしまえば撃たれて終いだ。

今回の事件をかつての五・一五事件になぞらえ七・八事件なんて呼ぶ人も既にいる。
つまり、そういうことなのだろう。
歴史は繰り返さないが、韻を踏んで再び巡って来たのだ。
どの様な主義主張も関係なく、ただ気に入らないだけで殺される。
何も見えない真っ暗な夜の時代が巡って来たのだ。

願わくば。
主張すれば殺されかねないと解っていても、なお日本の為に立つ者が現れます様に。

これが昨日のことだったならば、私は短冊にそう書いたのだろう。

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