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新しい公共の場の使い方



今年のゼミ活動のほぼ全てがオンラインといっても良いほど、1年間を振り返るとzoomの利用回数が多かった。先生からzoom under the skyの実践を推奨された時の心情としては、どちらかというとポジティブに捉えることができた。自分は無機質な教室や自室などの四角い箱の中で物事に取り組むのが嫌いで、中学の頃から宿題は決まってカフェや人の多い場所で取り組んでいた。なぜその方が集中ができるのか、言語化するのは少し難しいけれど、周りに集中している人がいたり、景色の変化を適宜変えることによって、メリハリがついてよかったのかもしれない。当時お気に入りだった、地元富山にあるキラリという図書館は、地上6階建の木造を中心とした建物で、2階から最上階までは吹き抜けの開放的な空間が広がっている。今年の夏は地元富山に長くいたこともあり、私のzoom under the skyはそのキラリやカフェを中心に利用した。

実際に取り組んでみて感じたことは、ただ一言「難しすぎる」に尽きた。リモートとは聞こえがいいものの、実態としては"濃密に議論ができるかどうか"は今の技術では足りない点が多い。喋ってから聞こえるまでのタイムラグであったり、画面の使い方はこれからも進化していく必要があると感じている。それに何より、そもそもzoomができるほどWi-Fi環境の整っている場所なのか、充電ができるのか、喋っても迷惑にならないのかなどの、環境面で適している場所を探すのに苦労した。カフェではスタバを利用することが多かった。スタバには比較的優秀なフリーWi-Fiがあり、コンセントも複数あったからだ。それでも、カフェで一番条件の良いスタバでさえ、zoomでマイクを使って話すことはやり辛いように感じた。

第一に周りの目を気にして、申し訳なさから集中できないことが大きい。まわりにパソコンに向かって話しかけている人が誰一人いなかったからこそ、余計に自分が目立っていると感じた。誰もいなかったということは、そもそもパソコンでのビデオ通話を外で取り組むことが社会に浸透していないのか、やりたいけれどやれていないのかなど、考えられることはいくつかある。逆に考えてみると、自分が新しい勉強の取り組み方を実践する一人になっていると感じて、嬉しい気持ちにもなる。それでもやはり、果たしてカフェという場でパソコンに向かって話していても良いのかという疑問は頭の中に残る。

そもそもカフェという場所は本来どうあるべき場所だったのだろう。以前にゼミの活動の一環で、猫カフェに訪れた。昨年に「地域とゆるくつながろう」という本を出版された、谷口ちささんをゲストに迎え、地域×学びのデザインをテーマに対話した。学生同士や先生と話す中で、カフェは作業だけに集中してやるのではなく、本来は顔を上げながら時間を過ごす場ではないだろうかという話題になった。それを踏まえると、私のようにカフェでパソコンの画面に向かって話している人は、場の空気を悪くしているのではないかと感じてしまう。

ここでまた疑問が生まれたのだが、果たして人と話すことと、パソコンを通して人に話すことの違いは一体何だろうか。今でも実際、電車では通話禁止であったり、会話可能なスペースでも通話の禁止をしている公共の場は多い。その点カフェは曖昧な気がする。顔を上げて時間を楽しむ場がカフェでの理想の姿であるのならば、前の人と喋ることは、もちろん正しい姿であるはずだ。パソコンの先にいる人と話すことは、それと同じだろうか?自分がゆっくりコーヒーを飲みながら本を読んでいて、横で友人と話している人とパソコンに向かって話している人とでは、思うところが違う気がする。実際自分がパソコンに向かって話していたと思うと、横にいた人に申し訳ない気持ちが出てくる。しかし、これからの新しい働き方や勉強の仕方を踏まえると、新しい公共の場の使い方というものに、慣れていく必要があるのではないかと感じる。


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