LAMP IN TERREN 『FRAGILE』に、愛を込めて。
私はアルバムの1曲目を好きになることが多い。
アルバムの1曲目は作り手からいろいろなものを託されて、「さあ、行っておいで!」って送り出されるものだと思うから。
加えてアルバムの1曲目の一言目、そのアルバムで最初に発される言葉が、そのアルバム全体の色やテーマを示すようなところがあると思う。
"portrait"、"L-R"、"メイ"、"キャラバン"、"I aroused"。これまでのアルバムやEPは、どちらかと言うと「自分を見つめる歌」「自身に向けられた歌」だったように感じる。
そちらはいかがお過ごしですか
まるで手紙の書き出しのようだと思った。
会えなくなって久しい家族や友人からの贈り物に同封されている手紙のような温かさだった。
「君」と呼びかけた先に、ここまではっきりとリスナーの姿が見えるのは初めてなのではないかと思うくらい、"私"に向けて歌われている、喋りかけられているような感覚があった。これはきっと優しいアルバムになる、そう思った。
そんな優しい曲、宇宙船六畳間号からこのアルバムは始まっていく。1サビの"宇宙に放り出された"感が、歌詞と合っていてすごく好き。夜、暗い部屋の中で聴くと、宇宙空間に漂っているみたいな浮遊感があってとても良い。
2番からドラムが入って縦のノリが加わる。健仁さんが難しいと言っていたベースにも注目して聴きたいところ。演奏するには想像以上に忙しそうなこの曲。このアルバムで唯一の大さんが弾いたギターソロ、機材に詳しくないのでこれを歪みと呼んでいいものかよくわからないけれど、ざらっとした音質が同期音のふわふわ感とのギャップになっていて映える。
だからね 敢えて言おう
たとえ君にとっての一部でも
気持ちと想像で君の形に触れるんだぜ
知らない事に怯えていられない
ここの歌詞は私にとって勇気になる部分で、とても好きなところ。大切な誰かの辛さや苦しみをそっくりそのまま理解することはできないし、「あなたにはわからないでしょう」と言われたらそれまでなのだが、それでも想像でどうにか分かろうとして、少しでも近くに寄り添いたいと願ってしまう。大さんも同じなら、そういう自分でもいいのかもしれない、と思えた。
そうは言っても私にはやっぱり難しくて、誰かを上手に助けてあげることはなかなかできないのだけれど。
前の曲の余韻に僅かに重なり、入れ替わるようにしてEnchantéが聞こえてくる。アルバムの中で聴いて、これは"君"に手を伸ばす歌なのだと、今更のように気がついた。
歌詞を改めて読んでみると、意外と目まぐるしい歌というか、激しい歌だなと思った。メロディや音の作りがすごくキラキラしていて、とても澄んだ印象を与える曲だと思っているのだけれど、内包しているものはあんまり穏やかじゃない、というか。(言葉選びにとても苦戦しているよ)
君が抱える激しさも「それすら 抱き締めるよ」っていう歌であって、歌詞の激しさを音で包み込んでいるような曲。だと私は思っている。ちなみに私の過去のツイートを見たら、当時はメロディや演奏のキラキラした部分だけを掬った感想しか言っていなかったので、今の聴こえ方もこれからまた変わっていく可能性が高い。それすらも楽しんでいけたらいいなと思う。この曲と何度だって初めましてをしていきたい。
曲の構成やら演奏やらの話はリリース時にメンバーが散々していたので、素人の私の話は割愛していきます。1番と2番の間と、アウトロのベースのフレーズが好きです。
車のエンジン音から発進する音源版ワーカホリックは、「SEARCH ONLINE 2」で初めて聴いた時よりもさらに軽快に感じられる気がした。おそらくドラムの音色がそうさせているのだと思う。休むことなく一定のリズムを刻むスネアは、止まることなく忙しなく過ぎる日々のイメージと重なった。2番Aメロのベース、味があってすごく好きです。
自分で選んで手にしたはずの生活なのに、口をついて出るのは不満ばかり。私もそう。自分がやりたいことはこれじゃないとか、もっと向いてる仕事があるはずとか、思うだけで愚痴ばかりで。多分仕事辞めたり、転職したりしたところで、その先でも自分は結局文句ばっか言ってんだろうなあと思う。でもまあ人間なんてきっと大多数がそんな感じでしょう。自分で選んだつまらん日々に、悪態ついて生きたっていいのだ。
アウトロがちょっと不穏な感じで終わっていくの、"たまに希望を見出しながらも相変わらず憂鬱な日々が続いていく"ことを表現しているみたいだと思った。
アルバム発売に先駆けて、先行配信され、MVも公開されていたEYE。"生きれば生きるほどに汚れていく"という表現は、私にはとてもしっくりくるものだった。生きること、大人になることは、汚れていくことだと思う。というか、大人になるにつれて汚れに気づいていくものだと思う。"泥だらけになることとか転ぶことが全く怖くなかった"子供の頃は、みんな汚れを汚れと知らずに生きていた。汚れを汚れと思わずに生きていたと思う。その純真さが美しかったのだと思う。
僕も 愛し愛されよう
ただ目の前の全てと
手を繋いで ずっと汚し合おう
全てぎゅっと抱き締めるよ
美しかった子供時代に戻ろうとするのではなく、汚れていくことを認め、受け容れることで美しさを取り戻す(と私は解釈した)流れがとてもドラマチックだと思った。そういう小さな世界の話を、讃美歌のような壮大な音楽に乗せることで、この曲は人生讃歌になる。みんなの歌でありながら、一人一人のための歌にもなる。
この曲を聴いていると、ギターソロのパートで理由もわからず涙が出そうになることがある。MVでは真ちゃんが本当にいい顔でギターソロを弾いていて、あの瞬間、画面内の登場人物の中でただ一人真ちゃんだけが笑っていると思うと、かなりアツい。みんなMVも観よう。
アルバムの収録曲が公開されて風と船というタイトルを見た時は気づかなかったのだが、タワレコ特典の健仁さんのアザージャケットを見て「風と船って風船のことか!」と思い至る。"balloon"に続く風船の歌、第二弾。共通のテーマとして"孤独"があると思う。
この曲の中の"僕"が抱き締めたい相手は、"僕"以外の誰かとも取れるし、かつての"僕"自身とも取れる。
もう隠そうとしないでよ
弱音ぐらい話せよ 同じ僕でしょ
そうして最後はこの手で
優しく掬ってあげられますように
この曲の中で一番好きな歌詞。"同じ僕"は"僕"以外の誰かに対する「僕も君も同じでしょ」っていう呼びかけだと思って聴いていたけれど、かつての"僕"として聴いた時にはまさに言葉通りの意味になる。リスナーだけではなくて、大さん自身もこの曲で救われるといいなと願った。"掬う"と"救う"を掛けた表現は時々見かけるけど、この2つが同音異義語な日本語は本当に素晴らしいと思う。
アコースティックギターの音色がとても優しい曲。ライブでアコギが出てきたりしたら嬉しいな。
チョコレートで外から部屋の中へと景色が移り変わる。音で見事に風景を描いてみせるバンドだ。
事前に"部屋の中の男女の歌"と聞いていて、"甘い歌"という話だったので、自分にはムズムズして上手く聴けないんじゃないかと思ったけど、そんなこともなかった。キュンキュンする感じではなくて、甘ったるい海に溺れて浸かっている感じ。
家族以外の人とは生活したことがないので、共感みたいなものはできないけれど、誰かと一緒に生きるってこういう感じなのかなって思う。全部隠さずに打ち明けるばかりが愛ではなくて、時には優しい嘘や隠し事が必要になる。たまに見抜かれることもあるけれど。
サビにあたる部分に言葉がほとんどない歌って新鮮で、それがとてもいい。音楽ならではの表現方法だと思う。部屋の中で言葉数も少なく、沈黙を共有しながら寄り添って暮らす2人の姿が浮かんでくる気がした。
外から部屋の中へ移動した次は、"部屋の中でも外でもない場所"へとまた景色が変わる。ベランダは優しい雨の日の歌。
心で靴を履く言葉
喉元で立ち止まっている
何回か聴いてここの歌詞に気づいた時、「松本大、天才か?」と思った。比喩表現のセンスが良すぎて本当に参る。出ていこうとすることをそのまま言わずに「靴を履く」と言い換えるところも最高。ちゃんと考えて準備された言葉でも、口にするのを躊躇うことってあるよなあ。
ごめんね 傍に来て 傍に居て
ただ"傍に居てほしい"とお願いするだけなのに「ごめんね」って謝る姿が、悲しくて切なくて優しいと思った。"何気なく口を衝いて出た言葉"で簡単に傷付けたり、"いつかは終わっていく寂しさ"も君の笑顔で呆気なくほどけたり、傍で身を寄せ合うことって、脆くて儚くて難しいことなんだ。"チョコレート"からこの曲に繋がるの、ストーリー性も感じられそうですごくいいな。
YouTubeの全曲試聴会の時に、大さんが「間奏で視点がグーッと空に昇っていくイメージ」と話していた通り、ギターソロでは綺麗な星空が見えてくる。雨雲を突き抜けたその上に広がる星空が。
何曲もかけて散々日常風景を歌った後に続くいつものことは、それ単体で聴く時よりもさらに日常を愛おしく感じさせる。
アルバムバージョンのこの曲は、ベースとピアノの音量をガッと上げて豪華にしているそう。ギターを"弾(ひ)く"よりも"弾(はじ)く"という表現の方が、その場の思いつきで自由に爪弾いているようなイメージが個人的には湧きやすいのだが、その通りに自由でめちゃくちゃなギターのフレーズが飾りみたいに入ってくるのが好き。
この曲は本当にただ大さんの日常の様子を歌ったような曲だと思う。本人も「この曲に関してはもうあんまり話すことないな」と言うくらいに。大さんが「俺はこういうこと考えながら毎日過ごしているんだよ」って話して聞かせてくれているみたいだ。リスナーに優しく寄り添おうとしてくれるこのアルバムによく馴染む曲。
ちなみに今こんなに必死になって文章を綴っているのは、「認めてほしい」「愛してほしい」と歌うあなたの心に応えるためでもあるのですが。全部が届かなくても、愛されていることに気づいていてくれたらいいな、と思っています。
ライターの着火音から光が広がっていくような、いや、暗闇が広がっていくようにも感じられる。みんなは、ホワイトライクミーって光の歌だと思う?暗闇の歌だと思う?絶妙にどちらの要素も同じだけ併せ持っている曲。暗闇が無ければ光の輝きは見えない。真逆の両者は表裏一体なのだと知る。
2019年7月に配信リリースされた曲だったが、アルバムに収録するにあたって歌とギターを録り直したとのこと。聴き比べると全然違って面白い。大さんが鼻声じゃなくなっていたりとか、ギターも前の音源には入っていなかったフレーズがあったりする。ギターの音色は、アルバムバージョンの方がよりくっきりして聴こえる気がする。
アルバムのトレイラー映像をYouTubeのプレミア公開で初めて聴いた時、この曲だけもはや浮いて聴こえそうなくらいに光を放っていた。健仁さんはそれを「ホワイトライクミーが輝いてる」と表現した。本当にその通りだと思った。実際にアルバムを全部通して聴いた時に、"いつものこと"からの繋ぎ方に脱帽した。ここまで雰囲気の異なる曲同士が、こんなに鮮やかに繋がるものなのかと驚いた。曲順の決め方まで天才なんだよな。
このアルバムで一番長い余白はここだと思う。今回のアルバムは割とサクサク次の曲へ移る場面が多い気がしたけど、それだけにこの余白がより存在感を増している。イントロのピアノの音が、優しいのに凛としていて、初めて聴いた時は思わず息を呑んだ。
「SEARCH ONLINE 3」での"EYE"の前のMCは、Fragileのための布石だったのだと思った。変わり続ける世の中。ずっと異常で、それが普通の世の中。
独白のようでありながら、他者の存在を強く感じる歌だと思った。自分の存在意義は、他者がいて初めて成立する。もしかしたら、私はずっと勘違いをしていたのかもしれない。自分の中から出てくるものなんて実は一つも無くて、自己を形成する全ては外的要因でしかないのかもしれない。
生きる意味を探している
誰かの何かになりたくて
それが満たされた事はない
「誰かの何かになりたい」気持ち、すごく分かる気がした。私もそういう風に考えたことがあるから。誰かにとってのかけがえのないただ一人になってみたかった。替えのきかない"特別"になってみたかった。
だけど、分かるとか共感するとかあんまり言いたくない気持ちもある。なんとなく、この曲に「共感できるなあ」みたいな安直なことを言うことは許されないような気がする。弱々しくて、とても気高い歌だから、簡単に触れてはいけないと思ってしまう。
『FRAGILE』の中で1、2を争うくらい言葉数が少ない曲だけど、この曲にこのアルバムの全てが詰まっているような気がする。アルバムを貫いているテーマみたいなものが、ここに集約されているような。曲に余白が多い分、噛み砕こうとすればするほど、自分の中からこの曲に対する想いや考えが溢れてくる。
終わりに。
今回、人生で初めてディスクレビューのようなものを書いた。
私は曲の感想を言葉にするのがとても苦手で、新曲やMVを公開した直後など、"アーティストが一番リスナーの反応を気にしているであろう"タイミングで、これまで何も伝えることができていなかった。
「苦手だから」なんて、逃げでしかなかった。そこから脱却したかった。ライブレポート以外の文章も魅力的に書ける人になりたい、もっといろんなものを書ける自分になりたいと思った。
「アルバムを聴いた感想をわざわざnoteに書かなくても、ツイートすればいいのでは?」と思った人もいるのではないだろうか。私が一番そう思った。「何故私は『FRAGILE』の感想をnoteで書くことにここまで拘っているのか?」
多分、テレンの最高傑作に、自分が一番いいと思える作品の形で応えたかった。素人の私なんかが書いたこれは、あまりにも拙い感想文でしかないし、曲に対する解釈もつつけばボロが出るようなものばかりかもしれない。それでも、今の私にできる精一杯で綴りました。私の言葉の結晶です。
これからも何度も何度も『FRAGILE』を聴いて、まだまだいろんなことに気づいていくと思う。
優しいアルバムを届けてくれてありがとう。