【白・架・祝・幻】を読みました
【白・架・祝・幻】を読みました。
本っ当良かったです!!!!!!!!!!!!!!!
去年のブライダルシーズンに出た【空・風・明・鳴】は衣装も普通の私服で内容もほとんど結婚とは無関係でしたが、今回のはタイトルからして白(ウエディングドレス)、(十字)架、祝幻(言)と直球な上にコミュも疑う余地無くブライダルテーマの話になってます。
霧子の綺麗なドレス姿が見たいという需要にも霧子の語る文脈でウエディングについての話を聴いてみたいという需要にも真正面から応えてくれているので、自分としては文句無しに最高のコミュでした。
(以下ネタバレ有り感想)
さきのこと
導入にあたる一つ目のコミュ『さきのこと』では、霧子がウエディングドレス撮影モデルの仕事を受けることになり霧子の家族(というか主にお父さん)がワタワタしてる様子が描かれます。
ここでまず自分の中で評点が上がったのは、結婚をテーマに描くにあたって本人だけでなくきちんと家族の視点を入れてくれたところです。
それぞれのキャラに画面外の生活があって血の通った家族がいて娘が家を出るとなったら悲しむ親もいるという、そういう描写の奥行きこそ本来評価されてたシャニマスの実在性ってやつだろうがよ〜〜〜〜ってなる部分。
17歳って近代以前なら普通に嫁入りしてる年齢とはいえ、現代社会の価値観に照らしたら当たり前にまだまだガキなんですよ。
架空のキャラの年齢なんて有って無いようなものだとしても未成年キャラが当然のように性的対象として扱われることには非常にモヤモヤする方なので、それ以前のところにある根本的な倫理観を無視しない方針で表現してくれたのは極めて誠実な姿勢に思えました。
単純な色恋にまつわる題材として結婚を取り扱うだけじゃなく、10の次とか日曜日のピザトーストとかおばあちゃんの着物とかに連なる霧子の暖かい家族エピソードの一環として位置付けられるようにもなってるのがとても良い描き方だなと思います。
ウエディングドレスで転ばずに歩けるだろうかという霧子の発言も去年の【空・風・明・鳴】を踏まえると一層深みが増す部分で、実装タイミングと売り出し方の問題で肩透かし扱いされてしまいがちだったあのエピソードがここでちゃんと活かされているのも色々と報われた感がありました。
とんとん とんとん
二番目のコミュはガシャ実装前日に切り抜きで公開されていた部分で、霧子のウエディングドレス試着の場にPが付き添う話です。
式場スタッフの人がPと霧子お似合いすぎて思わず本物の夫婦と見間違えちゃった〜というベタな展開になっていて、ここの内容は好きなキャラとのウエディングコミュが見たいという客の需要に真っ向から応えたファンサービスとしての色が強いように思えます。
過去に恋愛テーマのPRドラマ投票企画で霧子が1位になったのも役柄とのギャップだけが理由じゃなく結局はこういう展開のものを見たい人が多かったからじゃないかという気もするので、これはこれでたくさんの人が望んだ『いいゆめ』の形と言えるのかもしれません。
もちろんただドレス姿の霧子が綺麗だというだけで終わる話ではなく、霧子の回想シーンに出てきてコミュタイトルにもなっている『とんとん』という音と何かを隔てる境となる窓のイメージがこの先の展開に繋がる伏線になっています。
お日さまとまいご
三つ目のコミュタイトルは「霧子がお日さまなんだ……」な霧子と時には方針や関わり方に迷いながらも彼女をプロデュースしてきたPとの関係、あるいは等しく誰しもを見守り光を降らせる実物の太陽と迷ったり寄り道しながらも日々それぞれの人生を歩んでいる霧子やP含めた全ての人間との関係を示しているんじゃないかと思います。
話の流れとしては撮影場所となる式場の下見に訪れたPと霧子が広い会場内で迷子になりつつ道中実際に式を挙げている人々の様子を垣間見るという、非常にシンプルなものになっています。
ここのコミュの内容は単に人が恋をして結婚してゴール、というだけに留まらないもっと普遍的な人生のあり方全般への視座が含まれていて、個人的にとても好きな箇所でした。
屋外でガーデンウエディングを行っている場面に立ち会ったPと霧子。ちょうど花嫁のブーケトスが始まりますが、投げられたブーケが噴水の中へ落ちそうになってしまいます。
最終的にPが身を挺してキャッチしに行ったおかげで事無きを得るんですが、私としてはここの展開がある意味で一番『幽谷霧子のウエディングコミュ』らしい部分なんじゃないかという気がしました。
普通にブーケを取りに行って貰っちゃいましたという話になるのではなく、人が心を込めて用意したものが駄目にならないようにという純粋な善意で動いた結果として二人が同じ方向を向いていられるこういう流れが自分としてはまさに霧子のPコミュの好きな所で。
いつぞやのクリスマスコミュで高級ディナーの予約を蹴ってまで困っているお年寄りを助けるために時間を費やした時のように、どんな場面でも先立つものとしてまずこじんまりとした人間愛があって、そういう素朴な感情を共有して大事に出来る関係性というか。
端的な言葉で表現するのが難しいんですが霧子とのコミュの中にあるそうした穏やかな空気感がすごく好きで、分かりやすい惚れた腫れたの表現をしなくとももっと深い部分での信頼関係を感じさせてくれるような、それだよそれでいいんだよって言いたくなる場面でした。
もちろん素直にブーケを受け取るという行為の意味合いを汲んで次はPと霧子が結婚する番かもという所謂Pラブ的な要素を匂わせる単純な演出としても捉えられるので、そういう解釈をしてもいいしそれだけじゃない取り方をすることも出来るという、読者の幅広い需要に寄り添ったちょうどいいラインの描写じゃないかと思います。
その後の選択肢で分岐する以降の場面も、結婚という概念、あるいはもっと広く人が生きてゆく様子を包括的に喩えているような感じがしました。
結婚という形で大きな区切りを迎えてもその先に人生は続いてゆくし、そこへ至るまでに迷子になって転んでしまうこともあるかもしれない。あるいは必ずしも結婚という選択肢を取ることだけが人生なわけでもありません。
ちょうど直近のアンティーカのシナリオイベント『タイム・オブ・グッバイズ』で霧子らが演じた劇中劇の姉妹が家父長制に迎合せず自立して各々の人生を生きてゆく道を選んだ展開があったことも踏まえると、安直に恋愛関係だけを正しいゴールとはせず人にはさまざまな生き方があることを肯定しているようにも思えます。
人がいずれの道を選ぶにせよその過程にある何気ない時間にこそ大事なものがあって、どこへ向かうとしてもお日さまと霧子はこれからもずっと人生に寄り添ってくれる存在だということなのかもしれません。
むすびめ
四つ目のコミュはガシャ演出の場面が含まれるウエディング撮影本番の様子です。
いまいち撮影の感覚が掴めない霧子のためにPが相手役をやるというこれまたお約束のような展開ですが、その中にきちんと霧子ならではの価値観や世界観が盛り込まれています。
ウエディングベールを被った感想を「お日さまがやわらかく見える」と表現するのはいかにも霧子の語彙だなという感じですし、ベールが様々なものにリメイクされてゆく話は【縷・縷・屡・来】におけるブランケットや【菜・菜・輪・舞】でお菓子の包み紙から作った時計や指輪を思い起こさせるような、あらゆるものに死後も形を変えて続いてゆく生命の時間がある(といいなと願っている)霧子の死生観にも通じる言及です。
ここでまた再び『とんとん、とんとん』という音の回想場面が入り、これは霧子のお母さんが霧子を寝かし付ける時の様子だったことが判明します。
霧子は幼少期や母胎の中にいる時、あるいはもしかしたらお母さんのそのまたお母さん以前の代から同じように行われてきたのかもしれない子への愛情表現を無意識に覚えていて、そのように自分の中で受け継がれてきた暖かい人の想いを繋ぐことに結婚という概念への意義を見出したようです。
花嫁にウエディングベールを被せる役目は通例母親である点からも、今回のコミュの大きなテーマの一つに母娘の愛も含まれているということがここから察せられます。
重度のネタバレになるので貼りませんが信頼度上限解放後のホームボイスで手に触れた時の台詞なんかもここの内容を想起させるものだったので、後々今回のコミュにも繋がるよう予め伏線が仕込まれていたのかもしれないです。
一連の仕事を経た上での実感として、霧子は結婚という概念を自分がこれまでの人生で見て感じてきたものや周囲の人々から受け取ってきた想い全てを結びなおすことのようだと表現します。
締めのナレーションとモノローグにも表れているように霧子にとって生きるという営みは『時間』と密接に結び付いていることで、自分と相手あるいはその家族など結婚の場に関わる人々が生きてきた時間の中にあるあらゆる出来事の意味を改めて捉え直し、それらの価値を真摯に受け止めた上で大事なものを先の時間にも繋いでゆきたいという心構えなのでしょう。
霧子にとっての『時間』の観念が窺える例としては他に『感光注意報』の台詞などがあり、人が意識するしないとに関わらず日々生きている間に起きる出来事はどんな些細なものも常に時間の流れの上に在るということや、『聞こえる』『耳を澄ます』といった言葉を当て嵌めているように霧子はいつもそれらを五感の境目を設けず感じ取っていることが読み取れます。
またエイプリルフールシナリオの『World×Code』で探偵役の霧子が逃亡する犯人に言った「どこへ行っても時間が見てる」という台詞などにも、個体の生を超えた所にある大きな時間という括りの中でこの世の全てが回っているという彼女の視点が表れているように思えます。
ひびいていた、る
True Endの『ひびいていた、る』は、【かぜかんむりのこどもたち】の『き、れ、ぎれ』や【空・風・明・鳴】の『は、しる』のように印象的な読点で区切られたタイトルとなっています。
内容から考えると、ウエディングベール越しの音や『とんとん』の音に象徴される結婚によって継がれてきた人の想いが霧子の中にはずっと響いていたということと、人生の様々な音が響いて至る終点にはまだ道半ばで辿り着いていないという両方の意味を示しているんじゃないかと思います。
撮影に使ったウエディングベールを製作したレース作家の元を訪れたPと霧子は、ウエディングベールが結婚する二人の間にある境を示すものであり、ベールアップはそれを取り去る儀式だという話を聞きます。
帰り道にこれでウエディングの仕事に関わる『ベールの時間』は終わりと告げるPに対し、霧子は物事の終わりや始まりを決める境は人の心の中にあるものだという考えを述べます。
結婚という境に至るまでの一人一人の道のりもその先にある二人で歩む時間も心の中ではずっと繋がっているし、霧子の中に『とんとん』の音が響いていたように人の人生は見方によっては個々の生命を超えた大きな時間の流れの中で代々続いているものだと捉えることも出来ます。
せーので足並みを揃えてレース作家のアトリエを後にするPと霧子の様子は疑似家族として一緒に新しい年の始まりを踏み出した【鱗・鱗・謹・賀】のTrue を思い出す描写で、これからもまだまだ共に歩む時間が続いてゆくことを示唆しています。
コミュの最後には霧子の立ち絵から一瞬だけベールが外れる演出があり、幻の中で擬似的にベールアップ(あるいは母親の視点でベールダウンなのかも)を行った体験が出来るようになっています。
去年の【空・風・明・鳴】が適切な境界を引く話だったとするなら今年の【白・架・祝・幻】は適切に境界を取り去る話であり、これまでの道のりにあったコミュも肯定した上で霧子と一緒に新しい始まりに立つという、結婚(結び)のテーマとしてこれ以上無く良い物語だったんじゃないでしょうか。
こういうキャラクターコンテンツでブライダルテーマは特に人気の高い題材で尚且つ塩梅が非常に難しいものだと思うんですが、ある種のテンプレを押さえて需要に応えつつきちんと幽谷霧子の物語として本人のキャラクター性から逸脱しないラインで嬉しいものを描いてくれていたと思います。
長々した考察やらを置いといても霧子の綺麗なドレス姿と暖かいシナリオが見られただけで本当に大満足のブライダルですありがとうございました!