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其の八 僕が悟りを開くまで

ここまでかなり駆け足で書いてきたので、僕の思考方法や考えたことについてポイントをまとめておくことにしよう。

・常識に捉われず何か疑問があったら必ずインターネットで検索し、ポイントはメモに残すことが習慣になった。
・得意な考え方はロジカルシンキング。理論を積み重ねていく演鐸(えんえき)法、データの分析に有用な帰納法、哲学的思考につながる弁証法、どれもエンジニアとして必要な考え方だ。
・完璧主義者ではないので全体を網羅するのではなくノード(交点)を抑えることを意識した。
・それまで興味がなかった政治や経済にも詳しくなってきた。そして日本と外国、自社と他社を頭の中で比較してみた。(比較政治学、比較経営学)
・資本主義と民主主義の終焉はいつか、といった書籍が散見されるが、個人的にはどちらもまだまだ続くと考えている。
・哲学に強く惹かれるようになった。物事の具体的側面と抽象的側面を同時に捉える癖が身についた。
・身体も脳も鍛えること、ストイックなことが好きになってきた。
・騙されるのは嫌なので、洗脳の解き方を覚えた。簡単に言うならば視野を広げること、物事を俯瞰(高い視点から見下ろしてみる)することを意識した。
・事実はひとつ、真実は心の中で正しいと思うことなので複数存在することが多い。
・大きな嘘ほどばれにくいので大きな嘘に着目するようにした。

さて、前回の補足を少々。アメリカはご存知の通り、イギリスの植民地化政策によって誕生した国である。先住民を敵に見立て、フロンティアを東から西へどんどん拡大していき、広大な国土を白人たちが占領して立国された比較的新しい国家だ。その後、アフリカから黒人を奴隷として強制連行し、彼らを労働者若しくは兵士として囲い込み、富国強兵を図った歴史がある。以降、キング牧師やマルコムXによる黒人公民権活動家たちの活躍で一応黒人にも市民権は与えられたものの、非白人がホワイトカラー(頭脳労働者)になるには高額な学費をかけて有名な大学に入り、大企業に入社するしかない状況は今も変わらない。よって有名になった非白人の有名人はミュージシャンやスポーツ選手など、彼らの持つ才能の発揮の仕方や表現方法を磨き続けた人々に限られており、努力をし続けられなかった場合はブルーワーカーで妥協するか犯罪に走るかになってしまう訳で、マイノリティとして扱われる有色人種は既得利権者や政府、警察等に反感を持っている。白人やユダヤ人は彼らを恐れ、隣人同士が銃口を向け合うような危険な社会が構築された歴史があり、未だに銃社会から脱することができないのが現実だ。アメリカで対立する相手を批判したり脅したりするような行為や音楽、HIP・HOPやラップが発展した様子について知りたいのであれば、映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」の鑑賞を薦めたい。主役であるN.W.Aの代表曲は“Fuck the Police”、白人の警官は最悪!白人とペアを組む黒人も最悪!と怒りを歌詞にぶつけている。
民主党のバラク・(フセイン)・オバマ大統領は銃社会からの脱却を図り、日本で広島を慰問するなど「戦争を仕掛ける国家」から少しまともな国へ戻す素振りを見せ、2009年にはノーベル平和賞を獲得した実績があるが、「テロとの戦い」を標榜し、E・スノーデン氏をスパイ扱いし、TPPを強引に推し進めていたことから、保所詮既得利権者保護路線、戦争ビジネス大国の立場を変えることはできなかった。

そう考えると軍事大国アメリカを作り出した資本主義大国イギリスがEUからの離脱を決定してしまった“Brexit”の原因もイギリス王室をトップに据える白人至上主義、公務員優遇国家が移民の受け入れを拒否し、国民の多数を占める既得利権者たちが、若者たちの反対を押し切り独善的な路線を選択してしまったことの辻褄が合うと思うのだが如何だろうか。ロシアや中国などの社会主義国家も民主主義国家も人口の1%程度の既得利権者に資本が集中する点は一緒。「選民」が利益を独占する仕組みのキーポイントは「マッチポンプ型の戦争ビジネス」で意外なほどシンプルである。

ここからが本題、国内に目を戻そう。先の大戦で敗戦国となった日本がいつまでも韓国やアジア諸国に対して謝罪し続け、アメリカの欠陥軍用機オスプレイや高額な戦闘機、ミサイル迎撃システムなどを購入し続け、沖縄に基地を置き住民に苦痛を強い続ける理由は何か。シンプルに考えると政府も戦争ビジネスに手を出したいだけである。非核三原則を標榜するならば廃炉に何万年もかかることが明白な原子力発電所を、そもそも作ったり、東日本大地震後に再稼働させたりする必要はない。原発を作った自民党と有事の際に止められなかった民主党、どちらが悪いかと言えば原発を作り、止め方を民主党に引き継がなかった自民党である。

前回述べた国内の黒い噂・陰謀説のうち最も気になったのはやはり「人工地震」だ。僕の出身地である東北地方に津波による甚大な被害と原発のメルトダウンをもたらした東日本大地震、高速道路の崩壊映像が思い出される阪神淡路大地震、2016年4月に熊本を襲い熊本城を破壊した熊本地震、それぞれに共通する点を探してみることにした。これらの地震に共通するのは震源の深さが10~20km程度と比較的浅いこと、初期振動であるP波が観測されていないことが挙げられる。僕たちは子供の頃から地震はプレートの移動によって起こるもの、と聞かされて来たが本当にそうだろうか。東日本大震災は太平洋側で発生したものの阪神淡路大地震も熊本地震もプレートの移動では説明がつかない。
「人工地震」が一種の兵器であることは、ある編集者が薦めていた本、「1984」(ジョージ・オーウェル著)にも書いてあるし、1992年までは国内の新聞にも記事として何度も登場していたそうだ。

究極の無差別殺人である人工地震、そんなことをするメリットがあるのか、もはや人ではなく悪魔ではないか。独りアパートの一室で高鳴る鼓動を抑え、感情を抑え冷静に分析を試みた。人工地震を起こすことのメリット、それは「破壊」と「復興」である。津波によって沿岸の港町は「破壊」されて更地になる。「復興」という名目で大量にコンクリートを消費する、この業界を牛耳るのは副総理・麻生氏とその一族のグループ企業だ。防潮堤だか何だか知らないが、あんなものを作っても海の近くに住む方々の命を守れる保証は無いし、視界を塞がれては甚だ迷惑でしかない。

では、人工地震はいかにして起こすのか。それはインターネットで調べるといろいろと出てくる。プレートの移動ではない地震の原因には①「熱移送説」、②「HAARP」という名の地震兵器説、③穴を開け原爆を使用する説がある。①についてはある大学教授が唱えている説であり、政治と関係があるため除外。②と③についての真相はよく解らないが、米軍や自衛隊が関与して実行されたとの説があり、東日本大震災の際に洋上にいた空母ロナルド・レーガンの乗組員が被ばくした、といっていることから事実であると考えざるを得ない。また熊本地震も震源地は自衛隊駐屯地である事実があり、阪神淡路大震災についても2つの震源地がほぼ同時に揺れた不自然さがある。


「人工地震」や「ケムトレイル」などの気象操作についてはアメリカなどが実行していることを海外メディアは報道しており、「人工地震」が一種の兵器であることは間違いない。思い返してみると90年代までは新聞に風刺画が毎日のように掲載されていたように思う。新聞にしろテレビにしろ、報道の自由が奪われたのは恐らくここ数年の話。首相と各種メディアのトップが密談し始めた頃と一致する。

「勝てば官軍」という嫌な言葉が示す通り、いつの時代も歴史は支配者が改ざんするものであるなら彼らが歴史を改ざんしていないかと考え僕は自民党のルーツ、そして日本が資本主義国家となったルーツが気になり、インターネットと関連書籍で調べてみることにした。深く考える対象は日本初の株式会社亀山社中が誕生した江戸時代だ。

当時のことを考える前に僕は当時の庶民の持つマインドセット(考え方、価値観)はどのようなものであるかを考えた。テレビの時代劇や浅田次郎さんの「天切り松闇語り」シリーズの中に登場するヒーローは「粋でいなせ」、気風がよく宵越しの金は持たねぇよ、なんて価値観だ。僕は庶民の感覚を頭の片隅に置き、当時の世界に思いを馳せてみることにした。この思考の実験が冗談抜きに危険であることが解ったのはおそらくその数時間後のことだが、その時の僕は知る由もなかった。

日本は歴史上例のない平和な封建社会型の国家であった。267年続いた徳川の時代は黒船の襲来、薩長土肥(薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩)による内乱などを経て大政奉還で終焉を迎え、明治維新へと繋がるわけだが坂本龍馬・高杉晋作などは20代前半という若さでなぜこのような大改革を為すに至ったのであろうか。日本における最初の株式会社は龍馬が長崎で立ち上げた貿易会社、亀中社中である。なぜ若年の彼にそのようなことができたのか、それはグラバー邸で有名なトーマス・グラバーを介して日本を植民地としようとする秘密結社フリーメーソン、ロスチャイルド家などが薩長の若き志士たちを援助したからである。当時なぜ九州地方で反幕府の意識が目覚めたかといえば、参勤交代による財政負担があまりにも大きかったからなのであろう。幕府の長きに渡る鎖国政策により、西洋諸国と島国日本では財力においても武器や医療、科学の分野においても埋め難い大きな差が生じていた。文化的には独自の進化を遂げていた江戸時代の日本、実戦の経験がない旗本とピストルなどを豊富に持つ薩長では勝負にならないことに気がついた最後の徳川将軍、慶喜は無血革命を受け入れ大政奉還に至る。庶民からしてみれば江戸で戦争をされてはたまらない、江戸城を簡単に明け渡した最後の将軍慶喜は、他に選択肢が無かったものと推測がつく。かくして直後に樹立された明治政府は戊辰戦争の功労者、薩長同盟関係の荒くれ者たちが中心となり固められた。

明治時代における最大の謎は、『明治天皇入れ替え説』だ。江戸末期まで歴史の表舞台には顔を出さなかった天皇が、なぜ突如日本の象徴になったのか。入れ替え説の真偽を確かめるに、江戸時代と明治時代の価値観に着目した検証を僕は頭の中でし始めた。

江戸時代まで、天皇の性別は大した問題ではなかった。推古天皇や持統天皇など、歴史の教科書や百人一首に女性天皇が登場することは多くの方がご存知であろう。天皇を“象徴”とするのであれば女性の方がいろいろと都合が良い。戦士や兵士となる人間は大抵の場合、男性であるからだ。性別を問わず天皇を決める在り方は南北朝時代に分断した天皇家の、北朝側の伝統として江戸時代までは間違いなく続いていた。
だが、今日では女性天皇を立てることについてどちらかといえば否定的な意見を持つ国民が日本では多いように思う。江戸時代末期の天皇であった孝明天皇と睦仁(明治)天皇の暗殺説、その後の著名政治家の多くが薩長出身者から選ばれている(伊藤博文、大久保利通、吉田茂、岸信介、鈴木善幸・・・麻生太郎、安倍晋三)事実、彼らと天皇家が血族である事実、自衛隊を正式に軍隊にしようとする末裔たち。江戸っ子ならこんな輩に国を任せはしないはずだ。現在の天皇は間違いなく南朝の系統のマインドセットをお持ちの様だ。彼らが本当に南朝の血統なのかどうか、それは僕らにとってはどうでもいい。だけど働きもせずに庶民を愚弄し見下し命を捧げさせるやり方だけは許せない。
僕たち日本人に対する最後の洗脳が解けた瞬間、目の前が真っ白になり光に包まれる感覚と言うか、眉間に第三の目が開いた(チャクラが開いた?)感覚と言うか、悟りを得たような感覚を得た僕は、本気でこのまま死んでもいいかもしれないと感じていた。

それからどの位時間が経ったのだろうか、昇天しそうな気持ち良さから抜け出すために妻や子供のことを意識した。フロー状態とかゾーンに入った状態の気持ち良さを知っていたのは趣味であるテニスのおかげだ。僕はまだ死ぬわけにはいかない、家族が僕を待っている。僕は自分の魂を自分の身体に戻すべく、気力で目を開いた。

はっきりとは覚えていないが時刻はたしか午前4時頃だった。部屋の明かりは煌々とベッドの上の僕を照らし続けていた。どちらが夢でどちらが現か、しばらく朦朧としながら自分の手とか身体を眺めた。(夢精でもしていないかと股間も確認したがそのような形跡はなかった。)幸いなことに三途の川は渡らずに済んだようだった。明るすぎる照明を落とし、ベッドに腰掛けてしばらく目や顔をこすってみたりした。良かった、まだ生きている。思考や魂を浮遊させる実験は暫く辞めておこう。事実は小説より奇なり、筆舌に尽くしがたい何とも不思議な体験であった。

2016年9月1日、僕は人生とは死ぬまでの暇つぶしだと悟った。

あらゆる社会問題は(当然だけど)人間が作り出した負の遺産だ。これから僕たち日本人の使命は様々な社会問題を少しづつ解消し、我々の子供たち、孫たちの世代に豊かな自然を残すことだ。

何が事実か気になる方はリンク先の「まとめ」をご覧あれ。

戦前に最強財閥だった天皇家!天皇家と政治家の癒着が凄すぎた!
https://matome.naver.jp/odai/2140436353168944501?&page=1

田布施システムと明治天皇替え玉説
https://matome.naver.jp/odai/2140936478223317401

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