啓蒙と洗脳のわずかな違いについて
ここ3年位、いい歳して僕は勉強をしまくった。俗に言う『自己啓発』に結構な金額を投資し、暇があればネットサーフィンをしていろいろなことを調べまくり、ビジネス書を買いあさって乱読した。
マインドマップを書いてみたり、やりたいことを100個書き出してリスト化したり、ホームページを立ち上げようとしてみたり、ペンネームを何日にも渡って考えてみたり、会社のPCにイラストレータを入れさせてもらったり、自分探しをしてみたり、それまでにやったことのない、他人から見たらとても小さな挑戦を数えきれないくらいたくさんやってみた。
三日坊主で終わることもたくさんあった。三日どころか始めた次の瞬間に興味がなくなることもいくつかあった。
それでも継続し、習慣化することが出来たこともいくつか残っている。
読書や写経、テニス上達のための筋トレやストレッチなどがそれに該当する。
つまり「啓発」のポイントは正しいことをコツコツと積み重ね、「努力しているなぁ」から「習慣」に昇華させることだと僕は考える。「啓蒙」は正しいことを繰り返しインプットすることを指す。
逆に「洗脳」のポイントは「正しくない」ことを何度も何度も吹きこんで、正誤の判断がつかない状態にしてしまうことだ。
今地球上に存在している人間は、100%ホモ・サピエンスだ。
人種とか肌の色とか性別とか出身地とか、そんな些細な違いだけでカテゴライズすることはそもそも間違っている。
それと同様、啓蒙と洗脳の違いもほんのわずか。
だけど「正」とか「善」とか「美」というものは、実は考えれば考えるほど難しい。
そういった難題に向き合う学問が哲学で、哲人がちょっと偏屈な方が多いように見受けられるのは、難題好きな人たちばかりであるからに違いない。と思うのだ。
今日は眠いのでもう寝るね、おやすみ。
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