意見が対立した際の解決方法について思うこと

物事には大抵の場合多面性が、少なくても二面性があって、あっちを取ればこっちが立たない、矛盾している、なんて状況は山ほどある。
認知的不協和状態や、二律背反する事柄の間で、ぼくたちは毎日右往左往している。

子どものうちは「じゃんけん」で決着をつければ良いかも知れない。
じゃあ大人はどうやって決着をつければ良いのだろうか。

ぼくはサラリーマンとして人生の半分近い時間を過ごしてしまった訳だけど、「多数決」によって解決しようとする場面には幾度となく立ち会ってきた。

いやいや、国会だって多数決だし、過半数の人が良いって思うのだったら間違いじゃないのでは、と思う方も多いのではないだろうか。

でも、そもそもその会議や打ち合わせに参加しているメンバーが、最初から過半数を超えていたら、それは健全な「多数決による解決」ではなく「数の暴力」と表現すべきだ。

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ぼく(ら)は、今の日本の政治のあり方がこの国で最も大きな問題のひとつだと思っている。

自称「世界の警察官」だったアメリカの場合、民主党と共和党が常に競い合い、互いをディスり合っている。政治というのは政(≒祭り事)なので、あの国の人々が「大統領選挙」という祭りで大盛り上がりする理由は分かり易くて楽しそうだ。「選挙」に熱狂するのはある意味健全。

それに対してこの国はどうだろう。はっきり言って「政治には興味がない」のが普通であり、政治について語るのは「寒いヤツら」と思っていないだろうか。

終戦後にアメリカが、当時の日本の政治家の一部と結託し、この国の憲法を作り上げてしまったことと、直接民主制を導入しなかったこと、多数の政党が存在しつつも「政権を握るのはほぼ自民党」という独裁体制を築いてしまったこと、愚民化政策が終戦後ずっと続いていることなどが、日本人の関心を政治から遠ざける原因となっているのではないだろうか。

先日、西日本で大雨による大災害があったにもかかわらず、オウム真理教事件関係者の死刑執行前日であったにもかかわらず、首相や彼を取り巻く大勢の議員が大宴会を開催し、おまけに宴会の写真をツイートし、大炎上する事件がネット上では報じられた。

昨今、自民党周辺で流行しているのは「ごはん論法」というなんともお粗末な解決法というか言い訳手段。

「今朝、ごはん食べましたか。」
「いいえ、食べていません。」
〜チョット間があいて〜
「あの日の朝、ごはんを食べたって証言があったんですが。」
「食べていません。あの日の朝、私が食べたのはパンでした。」


要は答えたくない質問に対し、質問者の揚げ足を取り、聞かれた事には回答した、聞かれてない事には対応する義務はないとするやりかただそう。

モリカケ問題、LGBTは生産性がない発言、副総理の「オマエどこの新聞社だ」「セクハラは罪じゃない」等のパワハラ全開発言など、与党の失策は数え切れないほどあるのが現状だ。

政治にしても経営にしても腐敗し始めたら、急加速するのが世の常だ。
いつなのか知りませんが次の選挙、あなたならどうします?
しっかり考え、必ず投票して欲しい。

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鰯 十三
2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。