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其の参 僕とメイカームーブメントと社外出向

インターネットビジネスに興味を持ち始めたのとほぼ同じ時期にFacebookを通してもう一つ僕が興味を持った事がある。メイカームーブメントとかデジタル・ファブリケーションと呼ばれるモノづくりに関係する新たな潮流だ。モノづくりに興味をお持ちの方々、クリエーターにとっては知っていて当たり前のこのムーブメントが日本に書籍の形で紹介されたのは2006年の「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け」(ニール・ガーフェンフェルド著、ソフトバンククリエイティブ)が始まりで、2012年に発刊された「MAKERS 21世紀の産業革命が始まる」(クリス・アンダーソン著、NHK出版)で一気に認知度が上がったように思う。

 これらの書籍では様々な加工機器をどんな人でも手軽に利用出来る近未来の社会を予測されていた。世界初のファブラボ(市民参加型のシェア工房、ファブラボ憲章の理念に基づく運営が求められる)が2002年に完成して以降、ファブラボの数は毎年2倍を超える勢いで世界中に増え続けている。

「MAKERS」の出版から5年が経過した今日では日本でもほとんどの都道府県にファブ施設、シェア工房が存在している。プラスチック素材を抽出して形を作る3Dプリンタや様々な素材の表面を削ったり切ったりするレーザー加工機、木材などの材料から立体を削り出すCNC(ミリング)マシン、革やプラスチックなど素人には着色しにくい素材にも好きな模様を印刷できるUVプリンタ、金属加工機器・・・何かを作ることに興味が多少でもある方なら、ファブ施設に足を運んだ瞬間にファブ施設の持つ空気に、そこに集う人々の熱気に驚き、魅了されることと思う。

 

 実際に僕もそのような施設に度々足を運び、ワークショップ(実際に参加者がモノづくりを体験できる参加型講習会)に参加して自分の好きな写真を印刷した布製のクラッチバッグやシルクスクリーンで色付けしたカホン(南米発祥の箱型の打楽器)を作ってみた。MDF(木材を接着剤で固めた安価で加工しやすいボード)で小物入れや名札を作ったり、皮革に印字してみたりもした。体験型の学習は好奇心旺盛な僕のような人間や子供達、感受性の豊かな方にはとても好評で、講師を務める方や参加者同士が新たなコミュニティを形成する場となっている。

 そのころからワークショップ以外のイベントにもちょくちょく参加するようになり、サラリーマンをしているだけでは決して会えないような人たち、例えば大手車メーカーのデザイナーとかフリーランスのデザイナー、プログラマー、エンジニア、作家、起業家などなど本当に様々な職種の方と出会い、話をさせていただいた。多くの方はサラリーマンを辞め自ら道を切り開いて起業されていて、僕のようなサラリーマンが名刺を差し出したりすると、「あぁ、○○さん、大きな会社さんですね」などと敬遠されることもあるのだが、ともあれ僕は「ファブ」の魅力にメイカームーブメントの威力にすっかり取り憑かれ、仕事とファブをいつか融合させたいと考えるようになっていったのだ。

社外で経験したことについて、僕は大抵の場合同僚にその体験を(少々自慢気味に)語り、今度一緒に行ってみないか、などと誘うのだが同僚たちはそれほど大きな関心を示すことはなかった。僕らの会社はメーカーであるのにモノづくりに興味がある人があまりにも少ない。職場内でも孤立、社外のイベントでもどこか疎外感、東京という街では人口密度と心理的な距離が反比例しているように感じられた。まぁ都内に勤務するエンジニアは満員列車に揺られて通勤し、平日は多忙な業務に追われ、住居のローンや家庭の事情にも気を配りながら必死に生活しているのだ。職場の同僚は同レベルの給与を与えられる仲間に過ぎない。やむなく僕は一人で起業するための準備というか考え事を繰り返すようになって行った。

 今を遡ること2年ほど前、お盆休みの直前に僕たち企画開発課のメンバーは突然、下期からの社外出向を言い渡された。行き先は関東から遠く離れた地方工場。隣の部署である品質保証課が地方工場に移転するとの噂は少し前からあったのだが開発は移動しないだろうと皆が言っていたのでこの通達は正に青天の霹靂であった。

 大量生産の時代はとっくに終わっているのに、海外で生産していたから安価に製品を製造できていたのに、その4年ほど前にも同じような試みをして失敗に終わっていたのに何故開発部門をまるごと地方へ移すのか。妻は子供も連れて転勤しても良いとは言ってくれたのだが、このような意味不明で横暴なやり方がまかり通る組織は異常なので、何とかして早く戻る手段を考えると僕は主張し単身赴任、十数年振りの一人暮らしを始めることになったのである。

2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。