何故人は愚かなのか、どうすればそれから脱却出来るのか。
人間、愚かですよね。
インターネットに潜むヌマエビです。
ヌマエビから見ても分かるぐらいには、人間は愚かです。何故なのでしょうか
1.人間はどのように愚かなのか
人間が愚かな例、いくらでも思いつきますよね?
最近だと兵庫県が荒れたりしましたね。
マスコミよりSNSを信じる人が増えたとか、あれはそもそも選挙制度をハックした影響だとか。
ナチズムなんかも同じですね。あの時代に、あれを信奉した者が居るのは事実です。
私は全て、「人間が自己判断を誤るから起こる」と考えます。
つまりは、人間は正誤を誤り善悪を誤るから愚かであると。
今の時代、情報がアレコレ大量に錯綜しています。
あるメディアはAが正しいと言い、あるSNSはBが正しいと言う。こんなのは日常茶飯事でしょう。
我々はこの多種多様な情報の中から、適切な情報のみを選んで、その情報を元に判断しなければなりません。
大半の人間は気がついて居ませんが、これは非常に高等な作業です。
とても優れた者か、あるいは時間が豊富にある者でなければ行うことは不可能です。
このような事実に気づかず、出来ない物を無理矢理やらせるのもまた愚かであると言えるでしょう。
高度な作業を適切な環境を与えずにやらせると失敗する。というのは言うまでもない事実でしょう。
昨今皆が「人間は愚かだ」と言う原因の大半はここにあると考えます。
逆に言えば、これを解決すれば愚かでなくなれると言えるでしょう。
2.何故自己判断は高度な作業なのか
本来人間とは目先の事しか考えられず、さらにストーリー性にめっぽう弱く、事実と思しき物は常に一つしか考えられない。そんな生き物です。
「短期的には良い物だが、長期的に見ると悪い。」
「彼にも何かしらの事情があったのだろうが、それでも暴力はいけないことだ。」
「Aは正しい事を言っているが、Bが間違っているという訳ではない。」
これらの事を、本来は考えられない生き物です。
しかし、時間をかけて熟考したり、日頃からこのような事を考える習慣があれば、この不可能は可能になります。
それが出来る者からしたら、この様なことは高度な作業でも何でもなく、今日の晩御飯を考えるのと変わらない思考でしょう。
しかし、現代にその様な余裕がある者は少数です。
大多数の人間は、学習に追われ、労働に追われ、時間がありません。
そしてこれらの仕組みは、「上から与えられたことをこなす」が基本となっています。
要は、「一つの事実から求められた一つを出す作業」という訳です。
例えば、義務教育において先生が嘘をつくことは基本ありません。
「先生の言うことは嘘かもしれないから、ちゃんとソースにあたって判断しなければならない」などという状況は基本生じません。
労働においては少し変わってきますが、上司の機嫌を損ねる訳には行きませんから、結局ある程度上の言う通りにやるでしょう。
誰も複数の情報から一つの事実、あるいは複数の考察を出すなどやりません。
自己判断の習慣が無いのです。
学校教育において、基本的に正解は一つです。1+1の答えは2であり、決して3はありません。
道徳教育においても、「悪いこと」は決められているのですから、答えは「善いこと」の一つだけです。
正しい物が複数あり、この中のどれを優先するべきか。だなんてことはやりません。
事実の取捨選択に慣れていないのです。
目先の事しか考えられず、ストーリーに弱い。これは人間の性というべきものです。
そしてさらに、現代は今日食べすぎても明日食べる物が枯渇するなんてことはなく、ストーリー性に満ちた解釈が溢れています。
短期的判断で失敗しなかった経験、ストーリーを疑う経験が少ないのです。
これらの習慣を培える土壌がなく、さらに時間も無いのです。
このような状態で適切な自己判断が行える者というのは、ある種の天才の類である。そう考えても良いでしょう。
大多数の人間は天才ではありませんから、自己判断という作業はとても高度になっているのです。
3.どうすれば自己判断出来るようになるのか
もし仮に適切に自己判断が出来ている者であれば、わざわざ言われずとも方法を理解していることでしょう。
しかし、大多数の人間は明確に答えが出されないと分からないのですから、言っておく必要があります。
そうは言っても、やるべき事は今まで挙げてきた原因を解決するだけです。
自己判断の習慣をつけましょう。
「Aは戦争はアメリカのせいで起きていると言っている。Bはロシアのせいで起きていると言っている。」
ウクライナ戦争の話でしょうか。こんな状況はよくありますね。
ここで、AとBのどっちを信じるかをこの時点で決める。それは適切な自己判断ではありません。ただの盲信です。
Aの言い分とBの言い分を聞いてみましょう。必要なら、別のCの意見を聞いても構いません。
Aは、NATOの拡大のせいで戦争が起きたと言っている様です。対してBは、交渉などをすれば良かったのに無理矢理戦争に踏み切ったのはロシアであると言っている様です。
では次に、これらの情報が正しいのが、正誤の判断をしましょう。
この時、その判断に使う情報が正しい物であるかどうか、それも判断しなければなりません。
NATOの拡大について調べてみれば、「ウクライナが望んでNATOに入ろうとした。」という話と、「NATOがウクライナを脅して加盟するよう促した。」という話が出てくるかもしれません。
この様な2つの情報に出くわしたとき、このどちらを信じるかこの時点で決めるのも、適切な自己判断ではありません。
その情報は普段から正しい情報を発信しているのか、それを見ている人はその情報にどの様な意見を言っているか。
その情報の源はどこか。誰かの根拠の無い噂を元にその情報を出していないか。
公式(この場合はNATOやウクライナの声明)は何と言っているのか。
少し難しくなってきたかと思います。こういったケースの場合、確実な方法ではありませんが、疑いをかけている方に何らかの証拠があるのか。それを考えるのが良いです。
やった証拠というのは簡単に見つかりますが、やってない証拠を出すのはとても難しいです。
今回のケースについて調べてみれば、後者の情報の明確な証拠というのは見つからないことが分かるでしょう。精々、本当に言ったのかも怪しいよく分からない証言が出てくる程度です。
ここで初めて、前者の情報が信用に足ると判明します。
さて、ようやくNATOの拡大について話せます。
NATO加盟を望んだのはウクライナの側ですから、「NATOの拡大」と言うのは少し恣意的な言い方でしょう。
Aの言い分は少し怪しくなります。
では、Bについても見てみましょう。
「無理矢理戦争に踏み切ったのはロシア。」これは本当でしょうか?そうせざるを得なかった理由があるかもしれません。
調べれば、ウクライナがNATOに加盟しようとした。ロシアはそれを口実に戦争に踏み切った。と分かります。
この間に交渉の余地はなかったのか、あるいは交渉の余地なく今すぐ戦争をしなければならない理由があったのか。
ここら辺の話は非常に複雑になり、調べても中々答えが出ないでしょう。
こういった場合、自分で考える。というのも選択のうちに入ります。
自分で考える為にもまた、情報が必要です。
どうやら、一応は何回か交渉があり、どれも失敗している。というのが分かります。
そしてさらに、戦争開始直後もまだ交渉は続いていた事も分かります。
例えば、「ウクライナ、あるいはロシアが一歩も譲らなかったせいで起きてしまった。」
「戦争開始も含めた交渉だったが、目論見は外れそのまま戦争は長期化してしまった。」
「実は全て陰謀で誰かが儲けようとしている。」
色々考えられます。
この仮説を否定出来る情報、あるいは立証するには根拠が足りていないという物を考えなければなりません。
一つ目に関しては、「ウクライナ側は自国の安全が保障出来ればNATO加盟は断念する」だとか、「ロシア側も何度か和平案を提示している」だとかが出てきます。
お互いに譲れるところは譲っていた。交渉はしていた事が分かります。
二つ目に関してはどうでしょうか。
ロシアは初期に首都へ目がけて攻勢をしていました。交渉の為の戦争なら、いきなりこんな真似はしないでしょう。
一方で、戦争開始直後にも停戦交渉が行われていたのは事実ですし、それが失敗したのも事実です。
可能性としては有り得るが……ぐらいでしょうか。
三つ目も考えてみましょう。
このとき、ストーリー性に騙されては行けません。
「ロシアは騙されていて、本当は裏でほくそ笑んでるやつが居るんだ」というのは、明確な根拠がありません。
アメリカが儲けるためにこの戦争を始めさせた、という話も出てきますが、誰も明確にアメリカが始めさせた証拠を出しません。
疑いをかけた側に証拠がなければ、それは怪しい。というのは先程言いましたね。
三つ目の仮説は十分な証拠がありません。
さてどれも確度を持ってこれだ!とは言えない物となりました。ここで、最初に言われていた「ロシアが無理矢理戦争を始めた」を振り返りましょう。
ロシアが戦争を始めるだけの妥当な説は今回出てこず、可能性としては有り得るが……程度の物だけでした。
少なくとも、Aの主張よりは信憑性があるでしょう。
今回の目的はAとBのどちらが妥当な事を言っているのか自己判断する。という物でしたから、ここで目的は達成出来ました。
しかし、ここまで考えて分かった通り、Bの主張も100%正しいかどうかは分かりませんでした。
自分の自己判断を信じるならば、Bも鵜呑みに出来ないでしょう。
勿論、今回は隅々まで精査していませんから、ちゃんと調べればBは正しいと言えるかもしれません。
しかし、とりあえず今回の目的とは離れますから置いておきます。
さて、ここまで見てきて分かる通り、適切な自己判断とは中々にカロリーを消費する物です。
ですが、慣れてきたら適切な情報というのを素早く入手し、素早くその情報を元に思考出来ます。
あるいは、これぐらい時間をかければ慣れていなくても適切な自己判断は可能です。
これを、反する複数個の主張を見つける度に行う。それを続けていけば、いつか自己判断が出来るようになるでしょう。
4.自己判断を応用する
見てきた通り、自己判断とは非常に高度な作業です。しかし、世の中の様々な問題は、この自己判断が出来たことを前提として話されていきます。
そうです。自己判断とは前提に過ぎないのです。
大事なのは、この自己判断を元に、どのような主張をするのか。そこになってきます。
その前に、自己判断は間違っていても構いません。自己判断が間違っていると感じたら、どこがどう間違っているのか。どう訂正すれば正しい物になるのか。それを考えてください。
そして、それを考えた上でやはり間違っていないと思えば、積極的に議論に参加して、より自分の主張を高めてください。
自己判断を元に主張をする。というのは、実はこれの繰り返しです。
まずは自分の自己判断を元に、それについての様々な議論を見て、「この主張は私と似ている。この主張は私と異なっている。」それらを見てください。
次に、それらの主張の良い点、正しい点。反対に、悪い点、誤っている点。これらを考えてください。
恐らく、自分の自己判断よりも良い主張や、逆に悪い主張があるでしょう。
良い主張を自分の思考に取り入れ、悪い主張は何故悪いのかを考える。
これを繰り返してください。
主張や思想に著作権はありません……と言うと語弊がありますが、好き放題借りても文句は言われません。むしろ喜ばれる方が多いでしょう。
それらを繰り返していけば、そのうちとても立派な、自分だけの主張が生まれることでしょう。
その時になって、ようやく議論に参加出来ます。
貴方の主張はこういう風に間違っているのではないか。なるほど。確かに私の主張にはこの様な問題点がある。
お互いに、認められるところを認め、そうでないところを指摘する。それが生産的な議論です。
さて、本来の社会はこうあって欲しいのですが……。
5.現実はどうなっているか
殆どの人間が自己判断をしていません。
少数の人間が行った自己判断を盲信し、それだけが正しいのだと信じ切って他者を攻撃しています。
他者の主張に対して、「それは間違っている!なぜなら○○はそう言っていたからだ!」と言い、他者からの指摘に耳を傾ける素振りもありません。
そんな状態で生産的な議論が出来るはずもありません。
それに、自己判断を行っているものが少数ですから、思想の母数が減り、必然的に極端な物に先鋭化していきます。
思想に多様性がないのです。
その結果が、二元論的な「Aが悪いか、Bが悪いか」になっているのです。
何故こんなにも醜い争いが絶えないのか、何故人を愚かだと見下す人間がこんなにも多いのか、全て自己判断が行われていないからです。
みな誰かの刃を勝手に使って、他人の刃で争っています。
誰も自分だけの刃を持っていないのです。
6.最後に
このnoteを見た皆様は、既に適切な自己判断が出来るかと思います。
世の中の人間は他人の刃で争っている中、貴方は自分だけの刃で争えます。
しかし、それでは効率が悪いですよね?
もっと、争いを効率的に行うなら、自分の刃を増やす必要があります。
貴方の自己判断を愚かな人間に授けてやり、醜く争わせる。
悪しき為政者の様ですが、現実ではこれらの事が無意識的に行われています。
誰かが意図せずして流した自己判断が、誰かに勝手に刃として使われ、勝手に争われている。
今起きている争いの数々は、これが原因です。
これを阻止する為には、自己判断をするべきだ。という自己判断を広める必要があります。
積極的に自己判断を皆にさせ、皆に生産的な議論をさせる。それが普通になれば、少しはインターネットの治安も良くなることでしょう。
そうなれば、晴れて私インターネットのヌマエビは、無事に死滅することが出来ます。私のようなヌマエビは綺麗な水には住めませんから。
どうか皆様、インターネットヌマエビの駆除のご協力をお願いします。
自己判断をしましょう。