お金という存在⑥
それぞれの種はそれぞれの環境・条件がそろって
芽を出し花を咲かせることが出来る
しかし現世は、それぞれの種の選別を行い
良い悪いと分け
特にこの時代・社会にとって不都合な種は
取り除いてしまっている傾向にある
なので、不都合な種達は
花を咲かすことのできる機会に恵まれる事が少ない
花開かせない人は自分の「種」に問題があるのではなく
時代と環境に恵まれていないと考えたほうが無難だろう
神はあらゆる生命(種)に平等だが
不平等と搾取を好む誰かがつくった人間社会の環境は
そうもいかんだろうからね
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ある秩序に従って育った存在らは
強く美しいものと、弱く醜いものを見分けて
弱く醜いものは踏みつけ(いじめ)
そして強く美しいものは称えるような傾向にあるが
種は、種だけでは育たない
種が育つための「環境」が必要になってくる
であればこの社会で目立つ「あの性質」は
人間が潜在的に持っているものではなく
この秩序の中で創られ育てられた性質ともいえるのではないだろうか
誰もが美しいバラの種のようなものを欲しがるのも
この人間社会に独自の秩序を定め
従わせた存在達の計画通りと言えるかもしれん
こう考えると
強い弱い美しい醜い関係なく
お互い無いものを、補い合い助け合えるような性質を育てる環境ではなく
一つの美しい種だけを優遇して
競争させ、貧富の差をつくり
貶し合い、虐め合い、殺し合うような性質を育てるような
環境を創っている存在達に
興味はわいてこないだろうか
彼らが何をしたいのか
はたまた、自分が地獄にいるだけなのか?
意識次第でここは天国にも地獄にも変わるというが
この山積みになった犠牲と虐殺っぷりを見ていると
「因果応報」「チャンネルの違い」とか「意識次第」で
済ませて良いものなのか?
と思えてくる