坂本子龍馬のvia Twitter 2022年1月19日(水)

学校の校則について、考える機会かあったのですが、生徒会が校則を検討して学校側と同意を得て校則をアップデートするプロセスにおいて、一般的には生徒会の仕事を評価しがちだけど、生徒会長自身は、勉強のできる普通の人かもしれない。

これに対して、制服のスカートをはくのがイヤな生徒や、進んで校則を破る生徒は、これまで不良などのレッテルを貼られ、生徒会が仕切る普通の集団からはじかれる事があたりまえであった。

しかし、校則を破り、アウトローと言われても自己に忠実な生き方を選ぶのは、相当なパワーを要することであり、勉強ができて、社会に忠実なお陰で安全地帯に生息する生徒会よりも、孤独な闘いを強いるリスクを自己研鑽と捉えるならば、生徒会と同等もしくはそれ以上の評価を与えて然るべきかと思われる。

これまで日本の閉塞感というのは、「校則」そのものより、「校則」を作る側が一方的に評価されてきた点にあると思われ、未来の人材をつくるのが教育ならば、校則を破る才能を育むべきだと思う。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるけど、ひょっとして、それを罪と決めた法律に問題があるかも知らない。今はそんな時代。

https://twitter.com/crimecrime39/status/1483030380756504582?s=21

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