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面会交流に悩む親たち 〜セミナーで聞いた話〜

エフピック

面会交流についてこちらの記事に書きました。

当人同士でスムーズに面会交流が行えない場合は、支援団体に間に入ってもらうという手もあります。

団体自体は全国に多数ありますが、参考までに法務省のホームページに掲載されていた一部も載せておきます。

私自身、面会交流時に直接夫と顔を合わせる方法は選択肢になく、母に頼むというのもひとつでしたが、母の負担も考えると支援団体という候補も持っておいた方がいいと思いました。

調停で面会交流支援の老舗と言われている「エフピック」を紹介されたので問い合わせをしましたが、老舗というだけあってサポートスタッフは割と年配の方が多い印象。

このような支援団体の評価は二分されることが多い印象です。
双方意見が対立しやすい離婚にまつわる問題を介しているので、利用者全員が満足するサービスというのは難しいからだと思いますが。

最初は電話で問い合わせましたが、利用するのであれば両親それぞれに面談が必要とのこと。
参考までにエフピックでの全体の流れを添付しておきます。


結局夫がエフピックの利用を拒否したので面談をすることはありませんでしたが、ここで月に1度開催されている、「かるがもミニミニセミナー」の案内をもらい、無料で参加出来るというので行ったことがあります。

次の章ではその話をお伝えしたいと思います。

かるがもミニミニセミナー

毎月開催されている面会交流に関するセミナーで、参加人数は限られているようですが、私が参加した時は8名でした。
全体で約2時間の会。

最初の1時間は配られた小冊子に則ってエフピックのスタッフのお話を聞きます。
「面会交流とは、親ではなく『子供のための権利』」
ということを何度も強調されていました。

離婚前の両親のいざこざから、面会交流とその継続について、4つのステージに分けて説明されます。

離婚問題は、夫婦当事者がクローズアップされがちですが、その紛争に巻き込まれる子どもこそ、一番の被害者であること。
ないがしろにされがちな子どもの目線で理解を深めることの重要性。
子どもは、小さな体で一生懸命、状況や自分の感情を理解しようとしてもがいていること。

衝撃的な気づき

中でも特に衝撃的だった事実が2点ありました。

一つは
「DVを目撃することによる脳機能の変化」
について。
言葉の暴力は、身体的な暴力よりも根深く脳機能にも影響し、将来に渡って子供の心に闇を作る可能性が高いのだそうです。
実は18歳未満の約70%が、親の言葉の暴力を経験しているとのこと。

2つ目は。
DVは、親の一方ではなく、
「子どもにとっては両親とも加害者」
であること。

私は被害者であると公的機関に言われましたが、あの時「子どものためだから」と我慢して一緒に暮らしていたら、子どものためどころか、私も子どもに対してひどい仕打ちをしていたことになったのだと気づけました。

離れてからも父子を離してしまった罪悪感から心が晴れることはなかったのですが、自分の選択は間違っていなかったと肯定されたようで気持ちが随分と楽になりました。

参加者たちの体験を聞く


後半の1時間はグループセッションになります。
参加者たちが自身の体験をもとに話し合っていくような形式で進められました。

私はここで初めて、実際に離婚とその後の問題を抱えている当事者の方たちと話をしました。
冊子の説明も参考になりましたが、各個人の体験話は更に深く考えさせられる内容でした。

以下に数人の事例を記したいと思います。

<アルコール依存症の父親を持つ妻>
中学生の息子さんがいるが、父親がアルコール依存症でどのように面会交流を遂行したら良いか悩まれている女性でした。
支援団体が付き添うのは乳幼児や小学生までが殆どで、中学生になると自由意志も尊重されるため支援のプランがないことが殆どです。

短い時間だったのでお子さんの意向など詳細に渡って聞くことは出来ませんでしたが、ご本人は元夫には会いたくない。
かと言って、元夫はお酒が入ると暴力の見境がなくなるのでいくら中学生になったとはいえ子どもだけで会わせることに不安があるというお話でした。

<父親に洗脳されて息子にも嫌われている母親>
中国籍の女性は、ある時突然3人の息子を元夫に奪われ会えなくなってしまったと言います。
もともと日本に身よりがあるわけではなかったようですが、子どもたちとの繋がりが遠くなってしまうので故郷に帰国することなく一人日本で頑張っているとのこと。

夫や義母が子どもに彼女の悪口を散々言っているようで、最後に会ったのは数年前だと言いますが、子どもたちから唾を吐きかけられて終わったそうです。
裁判も行ったとか。
そこで決められた通り手紙などのやり取りはされるものの、送られてくる手紙には中指を立てて睨んでいる子どもの写真や「死ね」と書かれた手紙なんだとか。
「子どもを深く愛しています」
そう語る彼女の言葉は真実そのものですが、その言葉が愛する息子たちに届かない絶望はいかほどかと、彼女を抱きしめたくなりました。

<生後2ヶ月から2年間子どもに会っていない父親>
一見淡々とした風に話をする男性。
妻と義母の結束が固く、夫である男性と対立することが何度かあったようなのですが、産後ほどなく妻が帰って来なくなったそうです。
そして、そこから一度も会えていないんだとか。

突然愛する我が子と引き離されて文字通り心も引き裂かれそうな中で、考えうる法的なアプローチは全て行ったけれど、法律は何の助けにもならないと絶望する日々だったそうです。
それどころか逆に接近禁止令も出されてしまったとか。
せめて子どもを一目見たいという気持ちを逆手に取ってか、妻側は1枚1万円という価格で写真をダウンロードできるよう設定されるのだそう。

最初の1年で、絶望も憎悪も全ての負の感情を経験したと言います。
気が狂いそうになって仕事も手につかず、本当に暗闇の中を這いつくばるような1年だったと。
でも、いろんな感情が1周回ってある意味悟りの境地のような心情になったんだとか。
お子さんに会いたい情熱は持ち続けているけれど、できることを淡々と、自分を律しながらただ行っていくという姿勢に、本当に大きな衝撃を受けました。


他人と自分を比べるのは無意味とわかっているけれど、、、

自分の感じている気持ちが全て。
受ける暴力のレベルで自分は大丈夫とかそうじゃないとか判断するのはナンセンス。
自分の心が傷ついたならそれが全て。
自分の心が不快に感じたならその気持ちを尊重してあげるべき。
同じ出来事を経験しても、受け取るダメージは人それぞれなんだから。

頭ではそう思いつつも、これだけ辛い経験をされている人たちの話を聞くとどうしても
「自分の経験なんて大したことなかったのかも」
と思ってしまったのも事実。

セミナー帰りの駅までの道すがら、たくさんの人とすれ違いながら、この中にも見ただけじゃわからない、もし私が抱えたら立ち上がれないほどヘビーな問題を持っている人もたくさんいるんだろうなと想像しながら歩いていました。

「長いトンネルにも必ず出口がある。」
「明けない夜はない。」

そんな言葉が陳腐にも感じられそうな、ギリギリの精神状態で今を生きている人はたくさんいるんだろうなと。


人間は本能的にみんな幸せになりたいはずなのに、なんでうまくいかないんだろう。
人が抱えている問題はその人を見ただけじゃわからない。
自分が人に接するときは、誰に対しても優しくするように心がけよう。
あとはちゃんと
「父親のことが大好きな子ども」
に育てることも、私の大事な任務だな。

母に預けていた子どもたちに早く会いたくなって、その日はいつになく小走りで帰宅したのでした。

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