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肺炎になった時の話 〜思い出すと悲しい〜

始まりは風邪

風が冷たくなってきた秋の日のとある金曜日。
体力には比較的自信があった方なのですが、この時は久々に体中がゾクゾクして、ヤバイなと感じました。

熱を測ると38度。
「どうしよう、、」

体調不良なんて夫の標的にされるだけ。
どうしようなんて思っても、選択肢があるわけもなく。
気合いで乗り切るしかない。
薬あったっけな、、、

台所で薬箱をあさっていると、
「なに、体調悪いの?」
案の定、嫌なものでもみる目つき。
「いや、ちょっと熱があって、、、」
「遅いよいつも、体調管理が」
だよね、そう言われると思ったよ。

翌日から2日、夫も休みの週末。
体調不良も知ってるし、午前中くらい遊びに連れ出してくれるかなという淡い期待もあったのですが。

私の体調不良を知っているにも関わらず、朝から身支度をして何処かへ出かけて言った夫。
「やっぱりそうだよね、、、」
むしろ、私の体調不良を知ってわざといなくなったのかとも思ってしまいます。
元気な子供達を放っておけないので、熱っぽい体を引きずるように外遊びの準備をします。


ママ友と話していて、夫あるあるの愚痴を言っていても、
「体調不良の時はいてくれて助かる」
と言う言葉を聞くと、
「なんだ、結局優しいじゃん。」
と、素直に羨ましく感じます。

全然楽しくない外食

お昼ご飯を調達してお友達と合流して、たっぷり外遊びの終わった夕方頃、ようやく夫が現れました。
来ると連絡があった時に喉が痛いからと飴を頼んだので、それだけ早く欲しかったのですが。
「あ、忘れてた」
であっさり終了。

厚着はしてきたものの、熱があったので本当は横になっていたい。
喉が痛くて話すのもきつい。
本当ならもうすぐにでも帰宅して眠りたかったんですが。

週末に外食するのが夫の楽しみのひとつ。
そんなこと言おうもんなら超絶機嫌を損ねて、帰宅してからどれだけ罵詈雑言が待っているかが容易に想像できるので、不調を気合いでカバーしながら焼き鳥屋に付き合います。

子どもたちが落ち着いていないので、面倒を見る私にとっては外食自体正直行きたくないんですが。

本格的に不調が襲う、、、

一晩寝て回復することを祈りつつ、本格的なだるさが私を襲っていました。

翌朝、39度。
自転車で息子を幼稚園まで送るも、フワフワしていて現実世界にいるのかわからない感覚。
自転車自体危ないですよね。

その足で病院に行くも、
「無理がたたったんじゃない?」
と、風邪の診断。

娘はまだ授乳していたので強い抗生剤は飲めなかったのですが、自宅で遊ばせながらなんとかやり過ごしていました。

もちろん、夫の夕飯作りやある程度の部屋の片付けはしておかないと何を言われるかわかりません。
案の定、朦朧としている私を嫌そうな顔で見ながら、

「ねぇ、もし会社に勤めてたら、体調管理も仕事のうちなんだよ。
熱が出ました?
そんなんで大事なアポイントすっぽかすわけにいかないだろ?
俺は、熱が出てても行くよ。
ほんと、社会人として甘えてるわ。
うんたらかんたらあーだこだ、、、、」

もっと事前に危機管理していたら、もっと早く薬を飲んでいたら、と、タラレバを繰り返してずーっと説教を垂れる夫。
熱にうなされながら泣きそうになります。

その翌日さらに体調が悪化した私は、本当に無理だと判断し、母に迎えにきてもらいました。
車の中の振動すら体や頭に響きます。
幼稚園はお休みさせて、実家で休むことにしました。
「夕飯用意できなくてごめんね」
と夫には伝えて。

それでも子どもたちは寝ている私を起こしにくるし、娘も授乳しなければなりません。
熱は40度に。
息苦しさに加えて何より頭痛がひどくて、本当に脳に腫瘍でも出来ているんじゃないかと、脳神経外科に連れていってほしいと思ったほど。

本当だったら入院して子どもからも離れて絶対安静にしたいところだったんですが、病院に行くにも、少しでも動くと辛い。
出産より断然辛い1週間でした。

いくら我慢強い私でも、もう限界だと思い、娘の断乳を決行します。
息子がかなり手こずったので不安でしたが、思いのほかあっさり乳離れしてくれました。

3日目4日目は完全に廃人と化していましたが、5日目にようやく病院に行くことができ、レントゲンを撮ってもらうと、なんと「肺炎」の診断。
レントゲン画面が真っ白になっていました。
「こんな状態即入院だよ。お母さん、薬も飲まずによくがんばったね」
全然嬉しくないけど、、
抗生剤を早く、、、

点滴もしてもらって約1週間ぶりにようやく回復しました。

本当に、きつかった、、。
体調不良って周りからはわかりにくいから仕方ないですけど、こんなにがんばらなきゃダメだったのかなと、今思い返しても当時の自分が不憫になります。

私は何を得たのだろう。

夫の反応は、、、
もうおわかりですよね。苦笑

一言も、気遣う言葉はありませんでした。
逆だったら大激怒するんですけどね。
今でも、娘がいつ、何を理由で断乳したのか知らないと思います。

あの日、半日でも休めていたらおそらく肺炎にまではならなかっただろうに、、。
なんでしょうね。
辛いっていうより、これは悲しみですかね。

試練を乗り越えて人は強くなるって言いますけど、元気な時に自分の目標に向かって乗り越える試練ならその強さも武器になりそうですが、私は一体何を乗り越えていたのでしょう。

夫との生活を通して色んな意味で強くなった気はするものの、例えばスタートアップから成長した人たちが当時を振り返って「あの頃の自分がいたから今の自分がいる」って言う時は清々しさを感じるものですが、私は当時を振り返っても心の傷が生々しく甦るだけです。

それでも、それ以前より人に優しくなれているのなら、その体験の価値はあったというものでしょうか。


「機能価値」と「存在価値」

聞いたことあるでしょうか。

機能価値(giving)というのは、役に立つか立たないかという価値
掃除が下手、料理がまずい、すぐに寝込むような嫁は、夫からすると機能価値が低い。

存在価値(being)というのは、ただその人が存在しているだけで価値があること。
生まれたての赤ちゃんは何の機能価値も提供できないけど、いてくれるだけで周りを幸せにしてくれます。

サービスを受けたりビジネスでは機能価値を求めるし求められますが、家族や友人は存在価値だけで本来は十分なんだと思います。

存在価値の大きな赤ちゃんに
「元気で大きくなってくれたらそれだけでいい」
と思っていたのに、小中学生になると
「試験の点数がこんなに低いとダメよ」
「試合で負けないように頑張らなきゃ」
徐々に機能価値を求めがちになってしまいます。
多少は必要なのかもしれないですけど、社会に出たら嫌でも周りから評価されるんですから。
親くらいはあんまりうるさいこと言わずに存在価値で認めてあげたいなというのが私の独り言です。

私は夫から存在価値を認められた覚えがないんですよね。
私の価値は常に機能価値で判断されていました。

でも私は民間のサービス事業者じゃないんです。
夫婦って本来は、機能価値の仕事で疲れて帰ってきても、お互いを存在価値で認めて癒し合えるものじゃないかと。
まぁ、いつもいつもそんな綺麗事言えないと思いますけど。笑

頭の中の言葉をとりとめもなく綴っていたらとりとめのない内容になってしまいましたが。

あなたにとって、存在価値の大きな人は誰ですか?
その人を機能価値で判断していませんか?

「ただいてくれるだけでありがとう。」
そんな風に思う人が頭の中に浮かんだら、それを言葉にしてぜひ伝えてあげてくださいね^^

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