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視線

主観 客観という表現がなかなか噛めずに苦労した

一般的に客観は誰が見てもそのように見える固有の視点

主観は人それぞれがそのように見える個別の視点

意地悪な試験のひっかけ問題のようで好きではない。

天文学で日進運動を学ぶ頃ややこしい立場で宇宙を見るのと一緒である。


さてここでこの話題を取り上げたのは「自分がどのように見えるか意識せよ」と難問を出された事について触れたい。

店頭販売の修行中の事だ、今までそのようなことを一切気にしていなかったので思考が混乱した。


よくよく噛んだのは、数年後になるが「どうゆう事か」と、日本舞踊の大家に尋ねてみた。

 「誰もが自分の背中を自分の目で見る事はできない、でも貴方はそのことを、考えてている、それだけでも大したものだ」と大いなるヒントをいただいた。


話は、戻るが、どのように見えるか?という問いに「いい加減に見える」と答えた若かりし日の事を思い出す。なんとも情けない返答だ。ここから随分叩き上げられた。要は一生懸命に見えるように真摯に取り組み真剣になれという事だった。修行をして、そのように思われるまでたどり着いた時、ふと気づいた。集客に困らない人柄を元から兼ね備えていたら、あとは内容を充実させる努力をすればいい。一生懸命に見えるところと、気軽に近寄れるところの調和が取れた時、人としてもっと「いい加減に」になれたように思う。

だから、気軽に、声をかけてほしい。「いい加減の話をしたい」縁のある人と。