【小説】あかねいろー第2部ー 51)津雲詩音
「吉田さん、ですよね?」
お昼が過ぎるとだいぶ客足は落ち着いてきて、並ぶ人たちはいなくなってきてので、少し一息つこうか、レジ役変わってもらうかなと思っているところに、僕にズバリと正対する形で、一人の見知らぬ制服の女子高生が声をかけてくる。
茜色のチェックのスカートが目立つ制服で、この近くの学校の子ではない。身長は150センチはあるけれど、160センチは絶対にない。手にしていたお金を机に置き、彼女のことをのぞき込む。
「あの、、」
「どこでもお会いしたことはないです。私が、ラグビー雑誌見て、勝手に来たんです」
僕の疑問を猛スピードで早回りして打ち消してくる。賢い子だ。きっと偏差値の高い学校に行っているのだろう。
「今月のこれ、ここ」
確かに、今月の花園予選の特集号で、僕らの学校も取り上げられていて、例によって、笠原と僕が紹介されていた。この間のWEBの記事と同じ媒体で、内容も同じだった。
「肩、どうしたんですか?」
彼女は少し訝しげな顔で僕の右の肩をみる。
「ああ、これは、、、」
「骨折ですか?」
「いや、まあ、そんなもんだけど、まあ、大したことはないんだ」
「じゃあ、予選は出れないんですか?」
「ん、いや、そんなことは。初めの方だけ」
こんなことペラペラ喋っていいのかちょっと不安になる。しかし、彼女の矢継ぎ早の質問は、僕に思考の猶予を与えない。
「よかった」
何がよかったのか、僕は、もう一度煙に包まれたような顔で彼女をみる。小さな顔に、よく日焼けした肌、そしてとても大きな2つの目が印象的だ。
「私、吉田さんのファンなんです」
後ろの方で1年生たちがざわつく。
「ファンって。。。」
僕に事態がよく飲み込めない。ファン?
「私の家、タウくんがホームステイしているんです」
タウくん?
「ああ、桜渓大付属の留学生のタウファくんです。うちのお父さんは桜渓大の先生で、毎年留学生をホームステイに受け入れているんです。それで、今年はタウ君がうちに来ているの」
少し血の気が引いていく感じがする。何が起こっているのだ、これは。
「タウ君が、吉田さんのことをよく話すんです。あいつはすごい、あいつにだけは絶対に負けないって」
「6月でしたっけ、2回の目の試合の後、家で無茶苦茶泣きじゃくっていて。”絶対に吉田に負けたくない”って」「
僕から血が全て抜かれていき、ちょっと放心状態になる。タウファが僕に対して、悔しがっている? 本当だろうか。確かにあの試合ではちょっとやり返すことができたけれど、その後の県代表のセレクションでは、格の違いを見せつけられたけれど。
「タウ君がいうには、すごい選手はいっぱいいるけど、吉田君からだけ、”怖い”と思ったんだって。地元でケンカばかりしていた頃だってそんなこと思ったことないのに」
「それで私、吉田さんに興味が湧いてきて。どんなプレーヤーなんだろ、って。学校もわかって、いくつか試合の映像なんかも見たけれど、正直タウ君の言っていることはよくわからなかったの。だけど、この雑誌の記事見て、毎号買って、結構くまなく見ているの、改めて興味が湧いてきたの」
そうして見せてくれた記事の、一文、ピンクのマーカーで線の引かれた部分を見せてくれた。
”愚直な当たりでチームを鼓舞するリーダー”
なるほど。なかなか痺れる文言だ。確かにそんな時もある。けれど、ちょっと言い過ぎだ。
「ごめんなさい。私は、桜渓大女子の1年生の津雲詩音っていうの。怪しいものじゃないわよ。ちゃんと制服も着ているし」
津雲?桜渓大?もしかして。。
「そう、私のお父さんは、2つ前の桜渓大のラグビー部のヘッドコーチね。そして、桜渓大が最後に大学選手権で優勝した時のメンバー」
「フランカー。6番」
「さすが!よく知っている!」
「その試合は、YouTubeで何度も見た。雪の決勝戦。フランカーの津雲さんが、ロスタイムに相手のSOのキックにチャージをするんだ。そのボールがインゴールに転々として逆転トライになった。この30年くらいの決勝戦でも、相当印象的なシーンだよ」
「そうなの?お父さんは、自分の学生時代のプレーについてはあまり話をしないの」
「体が小さいから、社会人には行かずに、大学に残って指導者を目指した」
「そうね。お父さんは身長は165センチくらいしかないから」
驚きにさらに驚きが加わり、僕の心は少し踊り出す。
「そんな津雲さん、素敵な津雲さんが、僕に何の用なんだろう? この肩を亀裂骨折して練習にもろくにでていない僕に」
僕は、後ろでわさわさしている1年生に手を振って、あっち行けという合図を出す。
「偵察ですよ、もちろん。吉田さんや、笠原さん、そして山向高校は何をしているのか。どんな状況か、スパイしにきたんです」
僕は目を丸くし、少し笑う。
「なんともまあ、堂々としたスパイだよね、これは」
「吉田さんの怪我はどうなんですか?桜渓大と当たるまでに治るのかしら」
僕は一瞬躊躇する。こんな情報を伝えていいのだろうか。まあ関係ないだろう。プロの世界じゃないんだ。
「治るさ。間違いなく。ベスト8の試合には必ず出る。もしもそこまでに出れなくとも、まあ、負けることはないだろ」
津雲詩音はパンと手を叩く。
「そうなんですね!それはよかった」
「よかった? 桜渓大にとっては、僕がいない方がいいんじゃないの」
詩音はニコニコしながら大きく首を振る。
「私は別に、桜渓大付属を応援しているわけではないんです。それはもちろん、勝って欲しいとは思うけれど。それよりも、タウくんと吉田さんのライバル関係に、すごく興味があるんです。今日までは、日本代表を目指せるようなタウ君が、ただ一人”怖い”と思っている吉田さんがどんな人か興味があったんですけど、こうして会ってみると、もっと違ったことを感じちゃって」
「違うこと?」
「そうです。タウ君から聞いていた吉田さん、この記事から見える吉田さんの印象と、今こうして、屋台でお金数えている吉田さんの印象、180度くらい違うんですよ。もっとガタイのいい、ごつい、みるからにいかついこわそーな人を予想していたんです」
「でも、吉田さんって、怪我しているからなのかもしれないけれど、こうしてみると、単なるその辺の偏差値高い進学校の普通の生徒にしか見えないんですよね。申し訳ないんですが、オーラもないし、強そうでもない。話してみても、なんかモゾモゾしていて冴えない感じで。でも、ラグビーすると違うんですよね、きっと。その辺のギャップ、タウ君と真逆にあるようなキャラクター。その二人が、花園かけて戦うっていうの、なんかすごくワクワクしちゃうんですよね」
なるほど。父親の血だな、きっと。戦うということ、そこにあるストーリーや邂逅に自然と興奮してしまうらしい。
「津雲さんももしかして、ラグビーやってるの?」
「私? まさかです。こんな熱苦しくて痛々しいスポーツなんてまっぴららです」
「私は、ブログ書いているんです。中2の頃から。私たちは新聞部なので、いろんなことを取材しながら、私はその中から、特にスポーツに関しての、記事にならないことを自分のブログにしているんです」
「新聞?」
「桜渓大の学内新聞があって、中学生もその作成に参加できるんです。私の担当は、スポーツ全般。桜渓大付属高校のことも、当然記事の対象なの。だから、正直に言えば、これは、取材の一環ということですね」
そう言って、彼女はスマホで、noteの彼女のサイトを見せてくれる。”詩音の風「スポーツに吹かれて」”というサイトだった。フォロワーだけで8000人を超えている。
「すごいな。noteのフォロワーが8000人?」
「なかなかでしょ。結構、有名な方もフォローしてくれているの。たまに、テレビなどからも取材が来るのよ。ごくたまにだけど。まあ、女子中学生、高校生だから、ということでだけど」
僕は確実に彼女のペースに引き込まれている。知らず知らずに。
「校内案内しようか? タウファのライバルとして」
「いいですね!お願いします!」
津雲詩音は、してやったり、という顔で明るく頷く。僕は後ろにいる1年生たちを振り向く。彼からは、”どうぞどうぞ勝手にしてください”というサインが送られてくる。