見出し画像

思考を言語化すること

主張のはっきりした人が周囲に多かったせいか、自分はすぐ思考を言葉にして吐き出してしまうし、相手の思考もできる限り発言から推察しようとしている。

積極的に主張がないのは、何も考えていないのか、思考を言語化する能力が足りないのか、私に対して主張する価値がないと判断しているかのいずれかだろうか。
何も考えていない人間は、偏見だが男性に多い。想像力が乏しく、未来の結果への関心が薄いように思う。今現在の状況に対する思考の比重が大きいのかもしれない。また、自身の内面へ向き合う機会に恵まれていない人が多い。日記など書いたことがない、出来事のみ書いている、ということも多そうだ。自己啓発などの流れで内面の感情と向き合う機会が増えるといいですね。内面を言語化できない人間は感情を処理できずカッとなりやすいイメージがあるので、言語化はアンガーマネジメントにもいいと思う。
言語化する能力が足りない場合、何か言いたげにしていればまだ耳を傾ける気になるが、ひたすらだんまりされるとこちらも打つ手がないため、どうしようもない。本をたくさん読んで能力を身につけて欲しい。私もご覧の通り言語化能力に特別優れているわけではないので、今後もフィクションノンフィクションに限らず読書を続けていきたい。
私が主張する相手足りえていないケースは、一番多いかもしれない。どうしようもないので離れるしかない。私は私に多少でも価値を感じてくれる人間とできるだけ関わっていたいので、そうではない人間に対して評価を得ようとは思わない。さようなら。

言語は思考のやり取りに適したツールなのに、積極的に使おうという人が少ない気がする。むしろ日本においてはむきになって主張することはダサいという風潮すらある。これは完全に権力者(政治だけではない、あらゆる局面で優位に立っている者を指す)だけに有利であるので、我々一般人は常に主張を言語化することを怠るべきではない。

この世にエスパーがいたとして、相手の思考を読んだ上でそれを汲んでくれるとは限らない。言葉を放った時にこそ、はじめて世界に自分の思考の存在が認知されるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?