うんこはなぜ臭いのか


Ep.1  うんこ博士を夢見た少年、うんこを語る

うんこを知るために時間を使うあなたは幸いである

うんこはなぜ臭いのだろう、と今までの人生でたった一度でも考えたことはあるだろうか。もしある場合は、あなたの残りの人生の幸せは約束されている。貴重なエネルギーの一部を、歴史の偉人の名前でもなく、算数の暗算に使うのでもなく、この素朴な疑問のために大脳に送り届ける決断をしたあなたは、既に人生の勝ち組である。ぜひNoteを読み続けることでさらに見識を深めてほしい。もしない場合は、既に人生の2%くらいを損失しているという真実に落胆し、深く反省して欲しいものであるが、それを取り返すためにやっぱり読み続ける英断をするべきだ。そう、このNoteを開いてしまったあなたは、未開のうんこ旅へと誘われているのである。

「ウン」につかれる

筆者の幼年時代の夢は「うんこ博士」であった。うんこはニオイだけでなく、同時にどうしようもない魅力をゆうし少年の周りに撒き散らしていたのである。ただひとつ忠告すると、好きな人ができたら両思いになりたいと思うのが人間の常だが、うんこに対しては是非とも片思いにしておくべきである。遺憾なことに、筆者はこれまで鳥に💩を3回投下されている。これを見たまわりの家族や友人は爆笑しながら「うんこが落ちると運がつく」と、まるで慰めにもならない言葉をのんきにかけるが、実際その後ツイてると思ったことはない。ついているのは服に染みつつあるただのうんこである。日本では人間が公共の場でうんこをしたら軽犯罪らしいが、これを鳥にも適用するべきだ。犯人(犯鳥?)は少なくとも鳥獣保護法の対象から外して、こちらが丸焼きにしてやる権利をいただきたいものだ。

ただ幼い筆者にも羞恥心が存在したのか、「うんこ博士」をオフィシャルな願望として公開するのは憚られた。もう少し子どもじみた「ウルトラマン」と、当たり障りのない「サッカー選手」を用意していたようだ。うんこ博士を笑われた筆者少年は、幼い頃から出る杭は打たれる日本社会の波に晒されてしまったのである。そんな中、「うんこ博士」になると聞いて喜んでくれた唯一の理解者は、今は天国で元気に暮らすおばあちゃんである。きっとばあちゃんもこれを読んでくれている。

インスタのDMで💩を単体で送り、それをタップするとミニゲームが開始される。
下の板をスライドさせてうんこが落ちないようにする。
板に当たるとハエが出る演出も凝っていて評価できる。
回数が上がると早くなるのでこぼれやすくなる。
現在の最高得点は32

実は偉い?💩

iPhone ユーザーの方はぜひキーボードを開いて絵文字一覧を眺めて欲しい。
うんこの絵文字は、非動物の中でも非常に稀有な「顔つき絵文字」なのである。すなわち💩は、人間によって擬人化対象に認定された栄誉ある物体でということだ。

このような絵文字は、🤖など顔の構造が既に人間に近いものを除いたら、他に🌞、🌛、🎃ぐらいしかない。輝かしさ・美しさの象徴である太陽・月や、魔除け用としてはたらくハロウィンカボチャと同じ地位に「💩」が図々しく君臨しているのである。これはこの世の人間が行った最もユニークなカテゴライズのひとつだろう。初めてウンコに顔をつけようと思った人間には、文化功労者ないしイグ・ノーベル賞ぐらい渡してしまっても構わない。

うんこの形は絶対💩じゃない

うんこに顔をつけようと思った人間は評価されるべきだが、螺旋状のうんこを定着させてしまった人類は、うんこに対する名誉毀損で起訴されるべきだ。だってこんな形のウンコなど存在しないんだもん。この形のうんこを意図的に作成するとしたら、手始めに前日は爆食して腸内に生地をたくさん貯蓄しておく必要がある。最低でも30 cmは欲しいところだ。そして洋式のトイレではなく和式のトイレに入る必要がある。あとはまあ、そういうことである。そういえば一時期、shortsやリールで「一日のうんこが90 cmないと便秘」と主張するヤバめの女が出現したが、あれは生理的に不可能だろう。

そしてうんこがこの形で広まってしまったことによる一番の被害者は、ソフトクリームである。ソフトクリームを描く時は、大体クリームから先に描く。そうすると必ず一旦はうんこシェイプを通過しないといけない。隣で絵を見てる他者がいる場合、「こいつうんこ書いてやがる」という失望感と呆れ(筆者のような人間にとっては期待感)を、途中まで与えなければいけないということだ。そしてコーンを描くことで、良くも悪くもそれらを裏切ることになる。このような無駄な感情のフラクチュエーションを起こさないよう、ソフトクリームは先にコーンから描くべきだ。ただ歴史的には、ソフトクリームの誕生よりうんこの螺旋化の方が早い気がする。ソフトクリームも先輩を前にして威張れるわけではないのだろう。

大便と小便はあるのに中便はないのか

高校時、スポーツ大会か合唱コンクールか何かのあとで、クラスラインで打ち上げの話が持ち上がった。当時尖りまくっていた筆者は、「打ち上げはあるのに打ち下げはないよね」というコメントを残し、舌鋒が鋭いやつらに袋叩きにされた記憶がある。

ともかく、物事をスケールで表現するときは、必ずその反対や中間があっても良いものだと思っている。ただこればっかりは考えても上手いアイデアが出てこない。あまり想像したくないが、大便と小便を撹拌したら中便になるとかそういう次元の解答しか思いつかない。

正論を返された。

中便があるかないか不安になるよりも、こんなものを朝の3時半までたらたら空想する自分の将来を憂慮した方が良い気がしてきた。

次に続く。

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