ヤリマンに会いたい。
すごく唐突な話になるんですけどね、
どうやら世の中には
【ヤリマン】
ってゆう種族の方がいるらしいですね。
たとえば地元の違う者同士で
地元の話なんかになると、
決まって一人くらいはゆうわけです。
うちの地元にな、
誰にでもヤラせる女がおってなー。
みたいなね。
ヤリマン。
わたしは今まで幾度となくこのフレーズ、
単語を聞いて参りましたが
実際のところ本当にいるんですかね。
ヤリマンて。
わたしの世間が狭いだけかも知れませんが、
少なくともわたしの地元にはおりませんでした。
ヤリマン。
なので基本的にわたしには
ヤリマンとゆう概念が無かったのですが、
たまに女の子とお話する機会があった際にも
わたしの友達に誰にでもヤラせる女の子がいて、
出会い系で会いまくっている。
年上年下関係なくヤラせている。
お金ももらっていないようだ。
等々、そんな話を聞いたことがあるので
ここまで色々な話を聞くとなると、
一度で良いので会ってみたくもなるものです。
ですがわたし一個人の考えとしては、
もしかしてヤリマンって
都市伝説なんじゃないかと思うんです。
家畜を襲うチュパカブラや、
雪男イエティの様に
人づたいに聞いたりはするんですよ。
それに目撃例とか文献が
それこそ山の様にあるので、
実際ヤリマンの存在は
かなりの確率でいるんでしょうけど、
自分が見た事が無いものは存在しない。
とゆう狭いものの捉え方をするならば
やはり存在しないんじゃないかと思うわけです。
ですがもし、もしね、
巡り巡ってわたしがヤリマンに出会うことが
出来たとしたら
まず何をしたいか考えた時、
わたしは話を聞いてみたいと思うんです。
君はどうしてヤラせるのか。
君はどうしてヤリマンになったのか。
君の貞操観念はどうなっているのか。
そんなヤリマンの中でも
1番思い出に残っているセックスはどんなのだ。
こちとら
聞きたいことは山ほどあります。
わたしが尊敬する人は
デーモン小暮閣下とローリー寺西なんですが、
それと同じくらい今、
わたしはヤリマンに会いたい。
胸ときめいているんです。
ヤリマンに。
わたしの勝手な想像なんですが、
多分ですよ、多分なんですけど
ヤリマンて優しいと思うんですよ。
誰にでもヤラせる。
ってことは、
それだけ人を受け入れる器がある。
ってことですよね。
この誰にでも。
ってゆうところに、
わたしは非常に強い母性を感じるんです。
誰にでも分け隔てなくヤラせる。
素晴らしいじゃないですか。
彼氏に求める条件はー、
年上でー、
金持っててー、
包容力があってー、
みたいなね。
自分の顔面の質の悪さを棚に上げてね、
やっすいドンキで買った香水みたいなもん付けてね、
携帯片手にモノ言う女性なんかとは
明らかに一線を超えてますよ。
ヤリマンとは、
この混沌とした暗い世の中に現れた
性のマザーテレサみたいなものです。
ですがね、
ですがここで一つ問題が発生するんです。
実際ヤリマンに会えたとしても、
そのヤリマンにすら
ヤラせていただけないかも知れない。
これは大問題です。
とゆうのもね、
わたし非常にモテないんですよ。
人生にモテ期とゆうものが
存在した事が無いですし、
会心の一撃で結婚は一度できたものの、
結果離婚もしちゃってますから
たぶんもう無いと思うんですよ。
自分を不動産に例えるならば、
なかなかのいわく付き物件なわけですからね。
ですのでね、
そのもはや誰でもいっちゃうよと、
千手数多の男性とヤリ尽くしたヤリマンであったとしても、
そんなわたしを受け入れてくれるかどうかは、
また別の話になるわけです。
これは由々しき問題です。
わたしはその昔、
クリスマスの夜に彼女に浮気をされてから
女性に対してコンプレックスがあるので、
もしここで誰にでもヤラせるのがウリである
ヤリマンに断られようもんなら、
閉じようとしていた古傷が
また開いてしまうことになります。
ああ、わたしはヤリマンにすら
受け入れていただけないのか。
わたしとヤリマンは、
年に一度しか会えない織姫と彦星では無く、
抱きしめたくても抱きしめられない、
悲しきシザーハンズのような関係なのか。
出会ってしまうことは罪なのか。
そう考えると夜も眠れません。
世の中には知らない方が良いこともある。
どこの誰が言ったのかはわかりませんが、
今ならその言葉の意味がわかる気がします。
これを見ているヤリマンの方々、
もしわたしと出会う機会があったならば、
多くは望みません。
ただ優しくしてほしい、
そして願いが叶うならば
強く抱きしめて欲しい。
あわよくば、
胸は揉ませていただきたい。
どうぞよろしくお願い致します。