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【社会観】「法政大ハンマー傷害事件」について本学学生が思うこと-「スティグマ」の恐ろしさ-


本日は私の通う「法政大学多摩キャンパス」で起きた、「法政大ハンマー傷害事件」について、容疑者と同じ法政大学の社会学部に通う私が、この事件の一連を通して感じたことを語ります。

*私は事件当時に現場に居合わせた訳ではなく、容疑者・被害者ともに赤の他人の立場です。そのため、得ている情報自体はニュースで知ったみなさんと同じです。そのため、事実確認の取れていないことに関する発言には細心の注意を払っています。

事件の概要

法政大学ハンマー傷害事件とは、2025年1月10日午後15時半ごろ、法政大学多摩キャンパス、社会学部棟の教室で起きました。

犯人は社会学部2年生で韓国籍の女子生徒22歳で、社会学部棟7階の教室から運んできたハンマーで、授業中の学生8人程度をハンマーで殴り、負傷させたと報道されています。

事件が起きた教室は大人数向けの講義を行うための大講義室で行われました。授業を受けていた人数は各種媒体では100-150人程度と報道されていました。

当日は、社会学部の4年生の卒業論文の締め切り最終日であり、他の学年も授業内試験の実施等で、全体的にキャンパスは賑わっていました。事件について報道したニュースの動画からも伝わりますが、映画やドラマでしか見ない、緊急車両が駆けつけていることからも現場の緊張具合が伝わると思います。

犯行時間は2分程度で、その後すぐに授業をしていた担当教員に連れられ教室を退室し、その後すぐに逮捕されました。

大学の対応には問題無し

事件直後、17:10に授業が終わると同時に校内には事件に関するアナウンスと「犯人はすでに逮捕されているので、心身の体調を崩さないようにしてください」という旨の放送が流れました。

そして、当日の20:30ごろには、社会学部生宛ての一斉メールにて、「1/11以降の授業及び試験は予定通り実施する」という旨の連絡が入り、これによって、キャンパスにいなかった学生も「ひとまず、既にキャンパス内は安全な状況に戻っている」ということを知ることができました。

ホームページでは、総長が、以下の文章が公開されていました。

1月10日午後3時40分ごろ、本学多摩キャンパス(東京都町田市)の社会学部の教室において、授業中に学生1名が他の学生に対して傷害を負わせる事件が発生しました。

負傷された8名の学生は、病院で治療を受け、全員入院の必要がないと診断されています。1日も早いご回復をお祈り申し上げます。被害にあわれた学生の保護者には、大学から連絡をしております。

本学といたしましては、被害にあわれた方々や、今回のことで不安を感じておられる学生や教職員のケアに取り組むとともに、警察の捜査に協力し、事態の把握に努め、キャンパスの安全を図ってまいります。

法政大学総長 廣瀬 克哉

そして、事件から数日たった1/14に、総長から今度は「(おそらく)全学部生」宛てに以下のメールが送られてきました。

1/14に全学生宛てに送られたメール

このメールには校医からのアドバイスが記載されており、とても丁寧な印象を受けました。それが学生の精神的不安を和らげるための大学側の配慮であり、大学の対応は極めて誠実であり、適切であったと感じます。

問題は…世間の身勝手な「考察」

私が今日語りたいことは大学の対応に対する批判でも、事件の犯人に対する非難でも、事件そのものに対する考察でもありません。

それは、この事件に関する世間の反応です。この事件が報道されると同時にXでは様々な憶測が飛び交いました。

その中で私が感じた事は、世間の「韓国」や「法政」という大きな主語で事件を語ろうとする人々の視野の狭さと、「韓国」や「法政」という存在に対する「スティグマ」の強さです。

スティグマとは

スティグマとは、超超簡略的に言えば、「社会的に良くないとみなされた悪いイメージの付いたラベル」のことです。1960年代にゴフマンによって提唱されたラベリング理論の中で提唱されました。

例えば、一人だけ肌の色が違う人がいた時にその人の肌の色を「普通ではない」「あの肌の色はおかしい」などと思ったり、言ったりするとき、その差別の行為のことを「スティグマを押す」と言います。

このスティグマは、スティグマを押された人々に対する抑圧や差別や偏見を助長することにつながってしまうのです。

実際に、今回の事件では犯人である女性に対してだけでなく、法政大学そのものに対するスティグマが強く映りました。

このスティグマが、今回の事件の「本質」に目を向け、正しく議論するべきことから私たちの視野を狭めてしまっていると強く思うのです。

スティグマは「あるもの」ではなく、「生み出されるもの」

今回の事件で焦点になったのは、犯人が自称「韓国籍」であったことです。そのことで、ネットでは、「ヘイトスピーチ」とも呼べる自由勝手な考察が沢山流れてしまいました。

たとえばこれ

日本人では考えられない行動
強制送還は当たり前だけど、冗談ではなく韓国人の入国は厳しくした方がいい。 自分の家族がハンマーで殴られる可能性が上がるよ!

https://x.com/taku__crypto/status/1877720860892774731

韓国人が犯行を起こしたという事に付け込んで、「韓国人の入国は厳しくするべき」「日本人では考えられない行動」といった「主語」をデカくして、韓国人そのものにスティグマを押そうとする発言であり、立派なヘイトスピーチです。

次にこれです。

法政大学ハンマー事件が起きた要因の一つは 韓国では、テロを礼賛する教育を 国家の主導で行っていたり、日本でも一部の人達が、 テロを礼賛し、正当化する教育を行ってるから なんだから その。。。テロを礼賛する事は 多様性や多文化に、含まれないという事を ハッキリ決めた方が良いと思うよ 動画にまとめたけど、法政大学の島田雅彦って人は 安倍元総理に対する手製銃撃テロが「成功してよかった」とか言ってるし そこで一緒に笑ってる宮台真司って人も 切り付けテロに遭ったんだろ?

https://x.com/Minidgp/status/1878165094439497900

これは、事件が起きた要因を「韓国ではテロを礼賛する教育を行っている」と再び主語を「韓国では」とデカくして考察する一例です。

勝手な考察に過ぎません。

法政大学の社会学部には沢山の韓国籍、韓国人留学生がいます。彼らが現地でテロを礼賛する教育をどのように受けていたのかについては、私自身も本質的な部分はわかりません。なので、私はその教育自体に対する是非を述べる資格はありません。

しかし、少なくとも法政大学社会学部の一学生として、語れることが有ります。それは、本学部に数多いる韓国人の留学生の友達は、誰一人、日本や日本人に対する偏見や差別を抱いていません。

なぜなら、日本に留学する学生のほとんどは、私達には想像できないくらい、日本のことをしらべ、考え、本質を見て勉強をしてきているからです。

自分に都合の良い情報だけを簡単にネットから得て、偏った情報を取り入れただけで「韓国のことを理解している」かのように語る一部の日本人とは、雲泥の差があると思うのです。

「端から日本のことが嫌いな韓国人はわざわざ日本に留学なんて来ない。」韓国人留学生の友達の言葉です。

仮に韓国でそのような教育が行われていたとしても、それがあたかも韓国人全員に適応される行動かのように語るのはまちがっています。

今回の事件の直接的責任の所在は、「韓国」でも、「韓国の教育」でも「韓国人」でも、「法政大学」でもありません。犯人である「ユ・ジュヒョン容疑者」本人に第一義的責任があります。

このように韓国に対するヘイトスピーチやスティグマが強く映った事件ですが、「法政大学」そのものに対するスティグマもかなり散見されました。

安倍首相暗殺が「成功してよかった」とうそぶいた島田雅彦氏を教授として雇い続けている法政大学らしい事件だ。 弁護士がこの韓国人留学生に、「私は雅彦教授の影響を受けて怨念系と化した。責任は法大にある」と証言させたら、大学当局はどう対応するのか。

https://x.com/ProfShimada/status/1878014572726235602

この発言も目に余るものが有ります。(前提として、島田氏の発言の内容の是非はここでは置いておきます。)

島田氏の発言は決して法政大学を代表する発言でもなければ、島田氏は法政大学の代名詞でもありません。それにもかかわらず、まるで「法政大学だから起きた事件」と決めつけているかのように主語をデカくしてしまっているのです。

それだけでなく、基本的に接点のないであろう市ヶ谷キャンパスの国際文化学部の教授である島田氏に多摩キャンパスの社会学部の一学生が直接的に影響を受け、邪念系と化して今回のような事件につながったという仮説はあまりにも飛躍しています。

本人が「グループに無視された」「いじめ」といったような原因を示唆している以上、そこに焦点化し、原因究明と再発防止に努めることが、我々に求められる「本質を見る力」であると考えます。

それにもかかわらず、本人の主張を無視して、「韓国人だから」「法政大学だから」と大きな主語で勝手に決めつけ、スティグマを押すことは、本質的な再発防止策を生み出すことを拒む障害になってしまいます。

本当に今回の事件で議論するべきことは、そんなくだらない原因分析ではありません。

仮に本人の証言通り、学内の学生による「無視」や「いじめ」によってこのような「無敵の人」が生まれてしまったのだとしたら、同じような経験に苦しむは学生が模倣犯となって、事件が再発すること危険性があるということです。それだけは絶対に防止しなければいけません。

そのために

・今回起きていた「いじめ」の実態
・「いじめ」そのものの性質
・学内でいじめが起きた際の学生の救済方法の改善

などをみんなで議論することこそ、「本質に触れた議論」であると考えます。

今日、みなさんに知ってほしいことの一つは、生まれた時からスティグマを抱いている人は存在しない。スティグマというのは「社会」によって「生み出されるもの」であるということです。

韓国人であること、法政大学であること、、、人種、国籍、性別、、、属性や特徴そのものが「スティグマ」なのではなく、それらを「良くないものである」と社会がみなし、悪いラベルでレッテル貼りすることで生み出されるのが「スティグマ」であるということです。

スティグマはあなたの広い視野を狭め、集団の中に新たな排除を生み出す悪魔のようなものです。そのスティグマであなたの視野を狭めることほど、不合理なことはないのです。

では、スティグマに捕らわれないようにするにはどうすればよいのでしょうか。最後にそれに対する主張を述べます。

主語デカい人間に騙されずに「個」を見る力こそ、本質を見る力

今回紹介したXのような発言は探せばいくらでも出てきます。
右翼かもしれないし、ネット右翼かもしれないし、積極的左翼かもわかりません。

そして、それらのどの立場が理想であって、どの立場はいけないものだというものでもありません。

みんな各々の立場と正義の下で、発言をしているので、その発言自体を否定し、抑圧しようとすることは、逆に思想や言論の自由を侵害することにもつながってしまいます。なので、このような主語をデカくする発言を根絶させることはできません。

でも、このような主語をデカくした理論には「それっぽさ」が含まれています。そのため、本来であれば本質をみる力を持っている人が、主語のデカい話に翻弄され、自然には生まれなかった無駄なスティグマや偏見を抱いてしまうことがあります。それが何よりも悔しいのです。

大切なことは、「属性」や「国籍」などデカい主語にとらわれずに「個」を見る力を養うことです。

自由を生き抜く実践知

ちなみに、この本質をみる力こそ、法政大学のブランディング・ワードである「自由を生き抜く実践知」であると考えるのです。

新しい社会を構築するために主体的かつ自立的に自らの力でものごとを考え、多様な立場に立って公正な判断を行い、新たな価値を創造できること

https://www.hosei.ac.jp/hosei/daigakugaiyo/rinen/kensyo/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54

今回の法政大学の事件は悲しい事件でしたが、せめて法政大学の「自由を生き抜く実践知」を全国民が身に付けるためのきっかけとなることを願っています。


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