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『メキシコ旅行の途中で』[15] 痛み

お爺さんは、明治生まれらしい。父と同じくらいだ。
父は若い頃、足を痛め、年老いてから、水が溜まったりして痛みが酷くなったが、手術の決心が遅れ、70を過ぎてしまい、もう手術は出来ない。
手術をすると、一生寝たきりになってしまうからだ。
死ぬまで痛みを我慢するしかない父も、このお爺さんのように、足を引きずって歩いているに違いない。他人事ではない。
私自身も足が悪かったからだ。足を引きずる訳でもなく、外見では誰も気づかない。靴を履いていれば、足の変形も見えない。
事故がもとで発病したが、その頃にはまだ病名さえ付いていない、未知の病気だった。合う靴を探すのに、何十件も靴屋を廻った。
変形も年がたつにつれ酷くなり、痛みも足が疲れると痛んでいただけなのに、何もしなくても痛むようになり、痛みは上の方へ上がってくるようだった。
治してくれる医者はいなかった。
発病して10年くらいたった頃、治療法が新聞に発表された。
いつか、機会があれば手術をしようと思った。
治してくれる医者は、中々見つからなかった。
発病して13年たって、やっと手術してもらえた。医学が進歩するのを13年も待ったことになる。たった二週間ギブスを付けて使わなかった足が、全く違う足になってしまうのには、驚いた。思うように自由に歩けない。
歩き方を初めからやり直さなければならない。階段を上がるのはどうにか出来るのに、下りるのは恐い。一段一段ゆっくりでないと、降りられない。
その時、初めて足の悪い人の気持ちがよくわかった。正常な人なら、下り階段の方が楽に感じるし、駆け降りてしまうのに、それが出来ない。
足の不自由な人は、転げ落ちないように、手すりにつかまって必死で階段を降りている。ほとんどの人が気づかない。手術をして、やっと3年。
普通っぽくなったが、左足をかばって歩いていたせいか、右足が時々痛む。
完全な元通りの足ではないが、あの13年の痛みが左足から消えた。

寝ている私の足をまたいで通ればいいのにと、口に出して言わないでよかったけれど、我慢せずに席を変えてもらえばよかったのかも知れない。
10時間の飛行中、ほとんど眠ることが、出来なかった。
何度か運ばれてくる機内食も、ほとんど食べられない。油の匂いがプーンとするともうダメだ。

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