「陶芸」とは、「泥団子」
子供の時に、
手足を汚しながら、
服をドロドロにしながら、
夢中になって作った
「泥団子」
だれでも、一度くらいは、経験ないですか?
自分は、けっこう、楽しかった思い出なんですよね
赤い土だったり・・・
茶色い土だったり・・・
表面をツルツルになるまで、さすってみたり、
何かを、燃やした後の「灰」を、まぶして白くしてみたり、
なんか、みんなに言わない、自分だけのナイショの方法があったり・・・
あれが、「陶芸」の正体です。
「陶芸家」は、その「泥団子」を、
「焼く」方法を知っている人の事だと思っています。
砂場の砂では、どんなに、水を混ぜても、あの、「泥団子」は、作れません。
縄文時代の土器(縄文式土器)は、
すべて、あの、「子供の遊び」の延長線上から生れた技法で作られています。
水を混ぜると、粘りが出る「土」を見つけ、
それを、焼くと、固くなる事を知った先人たちは、
その土で、さまざまな形を作って、生活の中に取り入れました。
戦後、紀元前の考古学的な資料としてのみ、保存されていた、その、「縄文式土器」を、
「なんだ、コレは!」
「これこそ、ホンモノの日本の美観だ」
と、驚きと、感嘆を持って叫んだのが、
自分も尊敬している芸術家、
「岡本太郎」
その人です。
以下、岡本太郎氏の言葉を、本より抜粋して、紹介します。
#~縄文式土器には、日本の土の匂い、そのうめきがある。あの太々しい執拗さ。
いつでも、爆発しようとするエネルギーをグッと抑えて緊張している怖しい美観。
腹の底から、じわじわとつきあげ、鳴りひびいてくる異様な生命のリズムの共振を感じとる。
私は、民族の生命の底のなまなましい血のながれに、はじめて、グッと脚をのばした思いがする。これこそ、求めていたものである。
あの、メソメソ、イジイジしたケチくさい根性、したり顔で弁解ばっかりしているインテリどもに、これをたたきつけてやりたい衝動にかられた。~#
すご〰️い
さすが、岡本太郎先生は、すごい事を言ってますね。
まあ、すごい先生は、置いといて、
でも、それの元は、「泥団子」なんです
あの泥遊びを、「楽しい」って、感じた人は、陶芸で、遊べます
泥団子作りを、大人がやると、「陶芸」って、言うんだと思っています。
ざっくりと書きすぎかもしれませんが、
「陶芸」について、もう少し、こまごましたことは、また、別で、書こうと思います。
とりあえず、第1弾は、ここまで~