こどものいのちはこどものもの
2歳の息子を見ていると毎日1回は大爆笑する。
先日いきなり2階へ行ったかと思うと、その日私が汗だくで模様替えをした寝室でベッドに登って
「かーちゃんそちらへどうぞ」
と言い出した。もうそこで腹がよじれるかと思うくらい笑った。
さっきはいきなりアルゴリズム体操のポーズをとって私の歌に合わせて体操を始めたのだけど、その動きが江頭2:50そっくりで夜な夜な大爆笑。
毎日彼の想像力と感性で一生懸命やっていることがとてつもなく素敵だと思う。
同じクラスの男の子が仮面ライダーや戦隊ものに興味を持ち始めてお迎えに行くとやって見せてくれる。
その傍で必死にマジックテープでくっつくタイプの野菜のおもちゃを持ってナスとトマトをくっつけたりしている息子が愛おしくて仕方ない。
息子は戦隊ものに興味がないらしく、一度見せたけどキョトンとした顔でピタゴラスイッチを見たいと言い出した。
争い事が苦手な彼らしいなと思う。
彼はとても偏食家で家でのご飯は興味がないものはテコでも食べない。保育園ではなんでも食べているらしいのだけど、誘惑の多い自宅では食べるより大事なことが山ほどあってなかなか進まない。
最初は無理にでも食べさせなきゃと思っていたのだけど、食自体に苦手意識が付いてしまうような気がして今は食べられるものでより多くの食材をとってもらうべく汁物に野菜も肉も入れてみたり、朝食は大好きな枝豆をご飯と混ぜて食べさせている。
大好きな牛乳に豆乳を混ぜて飲ませたり、こちらが工夫すればそれなりに栄養は確保してもらえるので毎日が自分の想像力の引き出しとの戦いになった。
テレビっ子ではあると思うけど、ずっと見ているわけではなくテレビに映ったあらゆるものを私と共有しようとして話しかけてくる。
大好きな虫や新幹線、ラジオ体操は私を誘ってくれるので早朝から一緒にラジオ体操をするのが日課になった。
彼を妊娠してすぐ切迫流産で自宅安静となり、仕事を休んだり、私の骨盤が狭くて自然分娩はリスクが高いことか急遽帝王切開になったりと決して順風満帆にはいかなかった。
その分なのか、乳児の頃は本当に育てやすく、楽に産休育休を過ごさせてもらった。
その反動か魔の2歳期はそれなりに大変だと思うし怒らないわけではないけど、そのコミカルな行動に随分と救われている気がする。
先日の虐待により命を落とした女の子の体重は12キロ。息子の体重と同じ。
息子を抱っこした時、あの子の重さはこのくらいかと思った。軽いのだけど、命の重さとしては十分すぎるくらい重いものだ。
その重さを感じる度にとてつもなく悲しい気持ちになった。
大人は子供の未来を担う責任があるけれど、支配してはならない。
子供達は自由でいいし、自分の幸せを選択する権利がある。
私たちはその未来を切り拓く助けをしているに過ぎない。過度な干渉も支配もなんの意味もないことなのだ。
「こどものいのちはこどのもの」
児童虐待のニュースが絶えない今、何が変わるべきなのだろう。
答えを探しながら、私は預かっている2人の命と向き合い続けて行きたいと思う。