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夏、焦燥。
何もしないまま一日が終わる。深夜、俺何してるんだろう。って急に冷静になって、悲しくなって、寂しくなって焦燥に駆られて。
そんな感情を抱いたまま結局何も出来きずに茫漠とした夏が唐突に終わりを告げて。会いたい人に会えないまま冬が来てしまう。
色々なことが終わってしまう。
11月はその年会えなかった人のことを考えると思うんです。だからこそ私たち、12月にはきっともう会えないんじゃないかって思うんです。いい夏を過ごせていますか。いい夏ってなんでしょうか。
寂しさって、思い出とやるせなさの間で保たれる願望だと思いませんか。
来るとわかっている終わりが、新しい夏が来るんだと教えてくれる。そして夏の終わり、私たちはもう手遅れになっている。そうしてまた繰り返す。別れ、忘れ、泣き、思い出す。忘れないことは最も深い愛情の形だと信じてる。
春の夜、いつか本当のことが言える日が来ると願っていた。
夜に抱く一瞬の激情が何が言いたかったのかすら忘れさせてしまう。恋人がいたら夜って寂しくないなんて思いますか。
馬鹿なくせしてこんなこと考えてるなんて烏滸がましいと思いますか。
あなたは寂しさと戦っていける自信がありますか。
どうして寂しいのかを何時間も考えたことはありますか。
考えて考えて考えて、何も解決しなかった、誰かに会いに行きたかったのにそんな勇気や行動力すら持ち合わせていなくて、そんな自分が惨めで臆病でどうしようもない人間だって感じて、お酒で何もかも誤魔化した夜がありますか。
あの一夜、あいつに会いに行けていたら。
私たちは誰かと生きていく方法を模索して、夏が来る頃にはそれを諦め、鋭利な現実が私たちを突き刺す。
人生は必ず訪れる終わりを待つ耽美な時間だと誰かが言った。そして、その圧倒的な現実に対し、悪あがきをするのが生きる意味でもあるような気がした。自分が悪足掻けない側の人間だと思い知った夏、クリームソーダを作った。
もうどうにもできなかった一日、あの日聴いていた音楽の素敵さ、忘れられない夏の乱反射、たった一夜の忘がたい夜、寂しい夜に見た映画。
何もかも、言葉にすると彩度を失った。
何が言いたかったんでしょうか、私にもわかりません。これが私なりの悪あがきだったのかもしれません。
あなたも夜中に意味不明な悪あがきをしてしまうような人だったら嬉しいです。
ところで、ここにいたくない という感情と、どこかに行きたい という感情は同義ではないと思いませんか。