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そういう気分です。お元気ですか。
何かあったときはいつも断片的な記憶と活字に逃避して、どん底からまた現実を見つめ直せるような
どこかにあった確かな現実と、いつも変わらず動いてる電車の正しさで感じる生きた現実に混乱して、何もわからなくなった頭の中を洗い流してくれるような
分かったようで分からないような、覚えてるようで覚えてないような、ノスタルジーでもロマンスでもない確かな現実が、そんな文章が、救ってくれる時もあるんだと思いながら電車に揺られていた。
学校へ向かう電車の中である作家のエッセイを読んでいた。涙も流れないし感傷的にもならない。そこにはただ現実が綴られていた。それに救われた気がした。漠然とした現実を、洗い流してくれて、沈めてくれた。
行きたくもない学校へ行ってる。全て自分の甘えが招いた結果であり自業自得。そんな鬱々としながら学校へ通っていて友達が出来るはずもない。
電車で座れないだけでイライラするような朝。ただ授業に出席するだけの日々。幸せだ。幸せなんだ。自分が送る生活が美しいと騙し騙しに生きてる。
高校を卒業してから気づいたことがある。
どんな映画を見たって、どんな小説を読んだって現実は圧倒的現実だった。何も起こらない。何も変わらない。それが人生だった。きっと、マラソンと同じで先を見てはいけないんだと思った。果てしなくて絶望する。走る気力が削がれる。世界は長距離ランナーで溢れている。
喫煙者は短距離ランナーなのだろうか。何はともあれ親は長距離ランナーでなければならない。私の両親もタバコを辞めた。本当に肺が悪くなるのだろうか。小中学校ではタバコは害!!!と教え込まれるのにタバコはずっと存在していて吸う人もわりといる。怖い、現実の微妙なズレが恐ろしく感じていた。コンビニはタバコ屋さんだし何もかもが正しい。決まった日に夜勤へ向かう。
何も変わらない日常に安心し、退屈する。夜、どこかへいきたい。私はここにいたくないわけじゃないけれど、どこかへいきたい。年上の男の人とラブホ街の駐車場でシュークリームとたべっ子どうぶつとルイボスティーかカルピスで乾杯したい。東京タワーも雷門も歌舞伎町のTOHOシネマも燃えてしまえばいい。隅田川の花火大会で男性器の形をした花火だけが打ち上がればいい。渋谷のスクランブル交差点は陥没しろ。青の洞窟で使われてる木が燃えて真っ赤になればいい。新宿の猫はそろそろ出てきて新宿の人間を食い荒らせばいい。動物園からライオンが解放されればいい。港区あたりにゴミの埋め立て地が出来ればいい。都会のデカい広告が全部ED治療薬の広告になればいい。
誰か、爆破予告せずに大学を爆破して欲しい。英文科に入りたかった。ライ麦畑でつかまえてが好きで、グレート・ギャツビーが好きだった。浅はかな理由だけど初めて自分で見つけて決めた進路だった。結果は行きたくない大学の大して興味もない学科でよくわからない講義を聴いてる。好きなものから離れてしまったが、それで良かったのかもしれない。
頑張れなかった、叶えられなかった、私は今まで何も最後までやり遂げられなかった。習い事からは逃げ、中学の部活も挫折、高校での部活もまた逃亡した。運動はできる方だったのに期待されるのが怖くて運動音痴を演じるうちに本当に出来なくなった。勉強も何も出来ない人間になった。テストの順位は130/230で偏差値はだいたい42で体育の成績は6。クラスに友達はいないし一人だけ浮いてた。高校三年生だった2020年は人生最悪の年だった。
それからの私も何も変わらず頭も悪く、成績も悪い。人望も人脈もなく、何も行動しないままボケっとして生きてる。情けない、でも変われない。苦しい、けれど現実は変わらない、変えられない。
相変わらず都会は冷たかった。
どうすればよかったか。どうしようもなかったんだろう。プレッシャーから逃げて恥から逃げ続けたのが悪い。努力も怠った、親に悪いとも思う。幸せじゃないわけではなかった。でも、受験に失敗してこんなことになったのは苦しいと思う。部活も友達もダメ、勉強もダメ、そして高校生が終わった。
自分のことを好きになってくれた人と付き合っても、思ってたより情けない人でつまらないって感じでフラれてた。高一の4月、いの一番に声をかけてくれた男は2年後には学年を代表するグループの一員だった。何となく見かけで判断して近づいて、中身がダメだからと距離を置かれるなんてことばかりだ。思えばずっと失望されてばかりだった気もする。
諦めてくれた人だけが仲良くしてくれていて、それがありがたかった。物凄い努力も、凄惨ないじめも何も経験してない、大きな挫折もなく、ただの諦観と逃げだけがあり、壮絶な何かが決定的に何も無い。在り来りな、在り来り未満な人間。誰からも認められたことなんてない。
世界はそれでも生きてていい仕組みになってる。いてもいなくても変わらないなら私はここにいる。でも、誰かが見つけてくれるわけもない。一度、諦めないを経験してみたかった、挫折してみたかった、寂しさで誰かに会いに行ってみたかった。優しさで誰かを本気で殴ってみたかった。今はなんかもう図書委員になりたい。
今年20歳になる。
この先に生きていて得るのは人生への愛着でしょうか、絶望でしょうか、美しさでしょうか。これを読んでくれているあなたはお元気しょうか、暖かくして体調に気をつけてください。寂しかったですか、今度一緒に海が見える電車に乗りましょう。私はあなたの何にもなりません、なれません。私の何にもならないでください。今おひとりですか、あなたの好きな歌を聞きたいです。一人じゃ怖いけれど、夜の都会を歩いてみたいです。どうですか。夏とか冬とか関係なく何にもなれないなりの何かを探したいです。今は、今だけはそんな気分です。そんな気分でいさせてください。
現実を現実たらしめるのはいつも非日常な気がしてます。
2022 1/3 の夜より おやすみなさい。