なんでnote書いてんだ?ってふと思った
なんで毎日note書いてんだろう?
昨日の夜、眠れず天井を見上げているうちに、ふと思いました。
別にめちゃくちゃ読まれてるわけでもない。
今は、仕事として記事書いてるわけでもない。
文章がすごく上手になりたい!って向上心があるわけでもない。(少しはあるけど、そんな大きいとは思えない)
なのに、私は毎日noteを書いている。
え?なんで?普通になんで?
今後フリーライターとして働きたいとか、特に思ってるわけでもない。そもそも、営業ツールとして出すには、粗しか見当たらない文章でそれほど意味がない。
それでも書いている理由はなんだろう。ツラツラと、毎朝、スマホに書き連ねて公開する理由はなんだろう。
そう考えて、なんとなく、これまでの経験を思い返した。そうして、なんとなく、分かった。
聞いてほしいのだ、自分の思考を。自分の考えていることを。今思ってることを。ありのままを。
そうして、思考を深めたいのだ。ひとりじゃ行き着かない場所に、人の力を借りて行きたいのだ。
人に話を聞いてもらっている時、私はいつも以上にお喋りになる。1人で考えてる時、至らなかった考えに行き着いたりする。
どんな話もただ聞いてくれるというのは、実はかなり貴重なことだ。
noteを書くのは、目の前に人がいて、お喋りをしている感覚に、遠いようで多分近い。
「聞いてもらってるから、とりあえずなんか言おう。」
その感覚で話してると、何となくいつもより自分の気持ちが深堀りされて、スッキリする。
「見てもらう可能性があるから、とりあえずなんか書こう。」
その感覚で書いてると、なんとなく、1人で書く日記よりはるかに深い場所まで行けるのだ。
あぁ、やっぱり自己満でしかないんだな、私のnoteは。
だからこそ、すこしでも見て貰えたら、いいねがひとつでも貰えたら、「え、いいんですか!?」って嬉しくなれるのだろう。
見てくださるかもしれない誰かがいることで、私ははじめて、noteを書きあげられる。思考を深められる。
つまり、これまでの文章含め全部、見てくれる方との共同作品とも言える。
だから、きっとnoteは好きなのだ。独りなようで、独りじゃないから。
そして、だからこそ感謝が浮かぶ。書き上げさせてくれた皆さんに感謝している。
かつ、私の自己満noteが何かの因果で読み手の皆さんに刺さった時に、いいねなどで感謝を受けることもできる(と勝手に思っている)。
noteでは、感謝し合える関係が作れるのだ。それは、とても幸せな事だと思う。
だから、私は今日も明日も、noteを書く。
そして話し疲れた日があれば、みんなの話を聞きにいこう。いつも聞いてもらってばかりじゃ、申し訳ないから。
改めて、見てくれてる皆さんのおかげで、このnote含め、全てのnoteは出来上がってます。
いつもありがとうございます。
私のnoteは常に迷走していますが、「見て貰えてるから書けている。」というこの1点は変わらないと思います。
これからも見ていただけるという方は、どうぞよろしくお願いします。