今までの人生におけるハマりものを棚卸ししてみる 2 小学校高学年~中学
さてさてハマりもの棚卸し第二弾。
今までは誰もが通る道を通ってきたんですが、ここらへんからちょっと道をそれていきます。前のヤツで伏線めいたものがあったんですが、アレがこうなるなんて思ってもみなかった……
ファミコン&スーファミ
これは低学年からの話なんですが、当時のふじみやくんは筋金入りのゲーム小僧。ファミコンを買ってもらってからは、学校から帰るや否やすぐにファミコンのスイッチを入れ、アニメの時間になるとテレビ出力にして、終わったらまたゲーム出力に切り替えてゲーム、そんな毎日でした。この文で何やってるかわかる方は多分ぼくと同じじゅうななさいくらいの方だと思います。
ジャンルとしては自分自身「アクションゲーマー」という認識。なもんでRPGもやりつつ基本横スクアクションの面白そうなのを物色する感じ。『ロックマンシリーズ』はクイックマンステージのあのレーザーをタイムストッパー(だったか? フラッシュマンの武器です)なしで抜けるとかヒートマンステージの出たり消えたりするブロックのところもアイテム2号無しでクリアできるくらいにはやり込みましたね。今じゃ絶対無理。
他思い出せるのは忍者龍剣伝とか悪魔城伝説とか。ですがどちらもクリアできず、悪魔城伝説に至っては時計塔(2面)で詰まる有様。下にも行きましたがその先の覚えがなく……
ディスクシステムを長いこと持ってなかったふじみやくんは「やっとファミコンでドラキュラができる!」と喜び勇んだんですが……まあそれでも楽しかったのは覚えています。音楽神だったし。はいここ伏線ですよ!
逆にシューティングはかなり苦手意識があって今でもあまり食指が動かないですね。「強制スクロール」っていう自由度の低い(個人の意見です)システムがあまり気に入らなかったようで。大学の後輩に『東方シリーズ』を勧められたんですが、シューティングってだけで「Not for me」判定出すくらい。
でもこの時期のゲームには正直あんまり特定のタイトルに対する思い入れがないんですよね。
というのも、うちの近所のゲーム屋では「交換システム」というのがありまして。
説明しますと、ゲームタイトルごとにA~Dくらいまでの交換レートがついていて、下位ランクだと無料で、同じランクだと数百円、上位ランクだとランク差に応じて1000円~2000円で交換ができる、というシステム。
このシステムのおかげで小学生の小遣いでも簡単にゲームが手に入ったんで、とにかく多数のタイトルをやりたくてクリアしたら交換に出す、といった感じであまり「一つのタイトルを長時間やり込む」ということがなかったんですよね。なもんで「これやったことある……気がする……」っていうゲームの多いこと。
そして今でも「クリア後のやりこみ要素」というのにはあまり興味が惹かれなかったり。「クリアした! ランク下がる前に交換!」って感じだったんでそういうスタイルになるのも是非も無し。
ちなみにこのシステム、他では一切聞いたことがないんですけど、名古屋市内の一部だけのローカルシステムだったんでしょうか?
ファミコン必勝本 a.k.a. ヒッポン
さて、この頃はゲームの情報を仕入れるとしたら、ほぼゲーム雑誌しかないという状況でした。
インターネットなどもちろんなく、ファミコンのテレビ番組も地上波でやっていましたが(これは今の若い方だと信じられないのでは?)、基本的にはゲーム雑誌が一番の情報源だというのは揺るがない感じでした。
で、このころのファミコンゲーム雑誌は、著名なものが4誌ありました。その中でもハマったのが、タイトルの『ファミコン必勝本』。これはおそらく4誌の中で最大の異端児だったと思います。
ゲーム紹介は他の雑誌と違いはないのですが、RPG、中でも『ウィザードリィシリーズ』や『女神転生シリーズ』を異様に推しており、ドラクエ、FFの本国二大RPGに上記2タイトルを加えて「四大RPG」と呼ぶ有様。このカテゴライズ、今の今までヒッポン以外で聞いたことがありません。
ドラクエFFに関しても今で言う「推し語り」みたいな読者投稿コーナーがあったり、ウィザードリィに関しては小説まで載っていたり(大名作『隣り合わせの灰と青春』はこの雑誌連載でした)、PCゲームについても触れていたり、この時期の大体のRPGの背景である中世ヨーロッパの歴史、文化、神話などのコラムが載っていたりと、どう考えても子供向けではない「マニアック」な内容を取り扱っていました。
でもってふじみや少年が始めて近所のマルKでファミコン雑誌を買い求めたときに、最初に手にとって「しまった」のがヒッポンだったわけです。ウワーッ! どうしてこんなマニアックな雑誌が簡単に手に入るんだこのマルKは!!!!
コラムとかは難しすぎて読み飛ばしていたのですが、それ以外に完全に心を奪われ、ウィザードリィに関しては相当の興味を引いてしまい、他のドラクエFFの推し語りや「四大RPG」というアオリにも触発され、次第にコラムも難解ながらも読むようになり、だんだんと他の友人達との乖離が出てくる始末。
ここの編集部が出す攻略本もまたヘヴィで、普通の攻略はもちろんのこと、敵キャラの由来や背景、世界観のコラム、ウィザードリィではPC版との詳細な違いなども記載されたとことんマニア向けのもので、攻略本だけでも楽しめる贅沢なものでした。
そんなわけで、ゲーム雑誌はヒッポンは毎回必須、ファミマガも結構な頻度で購入、余裕があったらファミ通も、という感じになったわけです。
ガチでヲタ堕ちするのはもうちょい先なんですが、思えばここからヲタの道が始まっていたのかもしれない、あの時ヒッポンでなくマル勝を手に取っていたら人生は変わっていたのでは、と何度思ったことでしょうか!
そんでもって残り3誌を簡単にご紹介。
・ファミコン通信
言わずと知れたゲーム雑誌の覇権ファミ通。この頃もゲーム雑誌の中ではトップの扱いだったはず。
クロスレビューや読者コーナーなどはこの時代からすでにあり、多分この頃にはもう今(今も物理版出てるんですかね?)と同じような紙面だったと思います。
・ファミリーコンピューターマガジン
この頃のゲーム雑誌には大なり小なり『ウラ技』の紹介があったんですが、この雑誌はそれにかなり重点を置いた雑誌。ゲーム記事に関しては堅実に紹介に徹していたイメージ。一つのタイトルを重点的に紹介することもあり、この雑誌の企画で生まれたゲームも何作かあります。
その中でも『ラグランジュポイント』はふじみや少年もかなりお気に入りの名作でした。
・マル勝ファミコン
で、最後のこれなんですが、実はなんでだか一度も読んだことがなく。
というわけで内容を全く知らないので、紹介のしようがありません。あしからず……内容知ってる方がいましたら簡単に教えていただきたく。
で、上記で「マル勝を手に取っていたら……」と書いていましたが、どうもこれ、電撃系の流れの源流だという話だそうなので、結局は大差なかったのかもと。
そう、ファミ通かファミマガを選ばなかった時点で道は決まっていたんだよ!!!!
ウィザードリィ
そんなわけでうっかりヒッポンを手にとってウィザードリィ記事ばかり見せられたふじみやくん、初めこそ「レベル13で転職? 20じゃねえの?」とかドラクエ3ルールをむやみに信じ込んでいたのですが、『隣り合わせの灰と青春』でシステムを理解するに従い(そう、ゲーム紹介にすらなっているんだあの小説)、どんどん興味が湧いていきました。
そんでもってプレイしてみるともう速攻で死ぬ始末。それでもナントカ頑張ってマーフィーくんと遊びつつレベル上げて、ブルーリボン取って10階行って、レベルも「マスターレベル」と呼ばれる13まで上げて……
はい、ハマってました。
しかしながら今考えると、心からハマっていた感じではなかったような。「他人と違うスゲエものをやっているんだぞ!」というドヤ感がハマりを助長していたのではないか、と考えています。
実際、2(PC版の3)も3(PC版の2)もクリアできてませんし、「感情移入が大事!」とヒッポンに書いてあって「感情移入」をやってみたもののどうもピンときていなかったり、「想像力が大事だ!」と言うからわざわざ線画モードにしてやってみて「???」ってなってたり。
ただ、中学入ってからやった5には完璧にハマって、大満足のままクリアを迎えて、その後はマロールで地獄へ行ってアイテム狩りとレベル上げを大いに楽しんでいましたし、GB版も相当ハマりました。ただこちらも1は13階だかで僧侶が麻痺食らって救出不可になってそのまま、2は何回かのテレポーターでラスボスまで飛んでマハマンで飛ばすという(合法とはいえ)完全にチートでクリアしてるので、まともにクリアしたのは1と5だけという有様。
そうは言っても大学入ってからスーファミ移植版(ローソンで書き換えできたスーファミロムの1タイトル)やった際には、ちゃんとした方法でワードナを倒し、小学校の時取れなかった村正と聖なる鎧もちゃんと取って満足しましたし(なお手裏剣はダメだった模様)。
今思うと裏箱に「13歳以上推奨」と書いてあったのはあながちフカシでもなかったのかなあと。小学生の頃は「そんなの関係ねぇ!」と思ったんですけど。
なんのかんの言いましたが、私の人生の一部となったタイトルであることには全く変わりございません。本当に偉大なゲームです。
ちなみに小学生の頃は周りにも布教しましたが案の定全くの不発。そらそうよ。
歴史シミュレーションゲーム
小6あたりの頃、なぜだか知らないんですが学校で突発的に三国志が異様に流行り、流れで水滸伝も大流行になっていました。
その流れに乗るために横山光輝三国志を読み始め、ハマりにハマって横山光輝三国志専用本棚を作る始末。(ちなみに1巻の厚さx30で横の寸法を出したため、後の巻がかなり厚くなっててギッチギチになってしまいましたwwwww)さらにその頃見計らったかのように人形劇三国志の再放送やっててそれにもハマった覚えがあります。テーマソングは名曲よ。
そんでもってその流れで『三国志2』(2!)をやったのですがそれで歴史シミュレーションに大ハマリ。よりにもよって光栄(当時)がキャッチーなファンブック出してたもんだからそれにも大ハマリ。気づけば信長の野望にも手を出し、大航海時代も1、2と制覇。元朝秘史もクリアはしなかったけどやったかしらん。ロイヤルブラッドはやってみたいと思いつつ結局プレイできず。アレは架空でしたっけ?
それはそれとして、今の歴史知識の大部分は本当に歴史シミュレーションによるもの。歴史に興味をもたせてくれたこれらのゲームには本当に感謝しています。
WW2、架空戦記、プラモ
で、上の流れで当然『提督の決断』もやって大ハマり、しだいに本も買って太平洋戦争、WW2に関してものすごく興味が湧いてきて、そんな頃に出会ったのが架空戦記もの。
史実では当然日本は負けているわけですが、そんな史実を「もしも」で一部でも書き換える、さらにその中に出てくる間に合わなかった兵器の数々。当時中学生でリアル中二病罹患者のふじみやくんがブチ上がらないわけがない。この流れで船や飛行機や戦車のプラモを買い漁って作って飾っての毎日。
プラモに関してはトランスフォーマーのガムに始まり聖闘士星矢のフィギュアを経由し、ここにたどり着いていたので、一通りの作り方はマスターしており、今までやってなかった塗装にもチャレンジしてみたりでかなり腕を上げたと思います。これが後々役に立つなんて思っても見なかった……
しかしあの頃はブチ上がってて考えもしませんでしたが、じーちゃんばーちゃんは戦争体験者で相当ひどい目にあったみたいで、じーちゃんに至ってはあと一週間戦争が長引いてたら実際戦場に出てた、って話だったんで、今考えると内心穏やかじゃなかったのかもなあ、と。
ラジオ
今ではさっぱりですが、小5~6あたりでは人並みにバラエティも見ていて、中でもウッチャンナンチャンがかなりのお気に入りでした。
で、ラジオをやっているというので夜まで起きてオールナイトニッポン聞いたりしてたのですが、夜の10時頃にミニ番組をやっていたのです。
で、それを聞くために前番組から聞いていたらその前番組の『冨田和音株式会社』の方にハマってしまったという話。
こちらは名古屋のラテ兼営局(当時)、CBCの番組で、ターゲットは中高生。タイトル通りパーソナリティが「会社ごっこ」という名目でターゲットに向けたテーマの放送をしていたのですが、よー放送できたなというシモネタまみれのコーナーも有り社会問題について考える硬派な側面もありのとにかく濃い番組だったのを覚えています。
この頃の名古屋の放送局はローカル番組がすごくて、中京テレビの『5時SATマガジン』では大竹まことが司会やっててX JAPANとか売れる前のシャ乱Qとか普通にゲストに来てましたし、テレビの方のCBCの『ミックスパイください』は司会の小堀アナのトークやとんでもない大物ゲストとかで今でも伝説になるくらいの番組。『冨カン』とは姉妹番組みたいな感じで、出演者がミックスパイの方でコーナー持ってたりというのもありました。バーゲン野郎近所のスーパーに来てほしかったなあ……ヨソの方にすまないことをしている……
そんなこんなでラジオそのものにもハマったふじみや少年、夜になるとヨソの地方のAMラジオが聞けると知ったのもこの頃で、ニッポン放送の中江有里さんの番組とかを雑音と戦いつつ好んで聞いておりました。世にいう「雑音リスナー」というやつですね。
で、これが人生を一変させる伏線になるなんて当時のふじみやくんは知る由もなかったのです……
林原めぐみのTokyo Boogie Night
ハイきましたよ人生ブレイカー!!!
中学どころか人生で一番のターニングポイントそしてポイントオブノーリターン!!!! これでヲタに落ちた人間は数知れず!!!!
思えば中1の時、上のようにラジオにハマってたふじみや少年はなんか面白いラジオはないかとチューニングをしておりました。そこで地元の東海ラジオに合わせた途端、すげえ面白い話が聞こえてきたじゃありませんか。
ジングルを聞くと『林原めぐみの……』ときた。
ここでふじみやくん、ピンときた。
「あっ、これヒミコの声の人じゃね?」
しかしながらこの時点ではほんとに突然だったため時間を忘れており、いつどこに合わせてもあの声は聞こえずじまい。「何だったんだろう……」と思う日々を過ごしておりました。
そして中学2年になってからのこと。またも偶然合わせた東海ラジオでついにあの声に再会! 今度は前の失態を繰り返すまいと「日曜夜10時半」という時間を叩き込んだのでした。
それからというもの、その時間になると、いやその前からラジオをつけ、まだかまだかと楽しみにするほど。
なんですが、一つ懸念が。
当然声優さんのラジオなもんで、アニメの話題が相当聞こえてくるわけです。中には女子供のアニメやテレビでやっていないようなアニメの話まで。当時はそういう「ヲタ」的なものに相当風当たりが強い世の中。オタクと知れただけで人権を失うような、そんな世の中でした。
ふじみや少年も「ラジオは聞くけど、そういうのにはハマらないぞ」と心を決めつつ聞いておりました。
しかしながら、その中でやってるラジオドラマも結構面白い。タイトルは全然聞いたことないけど心は踊る。めぐ姉の話も当然面白い。めぐ姉の歌も最高に最高。それが使われてるアニメも面白そう……
オタクにはならないぞ! オタクになんかなるもんか!
数カ月後、駅前の本屋で恐る恐る万猫のB5版ムックを買うふじみや少年の姿が!!!
いや無理でしょwwwwwwあれでヲの字に堕ちないやつがいるものかwwwwwwwwww
しかしながらあのムックを買うときはホント緊張しましたね! エロ本買うときのようなスリリングなサムシングがそこにはありましたね!!!
そんなわけで完全にヲタ堕ちしたふじみや少年。一度堕ちたらもう早いもの。めぐ姉さんの出ているアニメを完全チェック、かばんに靴紐を結び(ブギーナイトリスナーの符牒)、平日6時には必ずテレビ愛知をつけ、中3でゴウザウラーにブチ上がり、自転車で市内の本屋探し回ってラジオで言ってた『コミックガンマ』を手に入れ、影技(シャドウスキル)に完落ちし、困難に際して武技言語をつぶやき、中に書かれていたTRPGなるものに(ヒッポンでも触れてたような)興味を持ち、買えないOVAのCMを羨ましげに聞いたり……完全なアニヲタの完成でございました。
こうなってからというもの、今まで金があればゲームにつぎ込んでいたのがいつの間にかラジオドラマやめぐ姉のCD、マンガ、ジュニアノベル(ライトノベルと呼ばれる前のライトノベル、この頃はいろんな呼び名がありました)になり、いつしかこれまでの趣味全てから遠ざかりひたすらアニメ関連のものを追い求めるようになっていったのです。
あれだけハマったゲームも、上記に加えてソフトがCDベースになってから読み込みがウザくなったとか、生命線とも言えた交換システムが無くなっていったりとか、そんなこんなで気づいたらほとんどと言っていいほどやらなくなってしまっていました。
なもんでバイオハザードとかのPSサターン以降の名作とかを挙げられても「?」という感じなんですよね。10個くらい年下の子と話しているとホントそれで、周りが盛り上がってるのに自分だけなんにもわからないんです。たまに気が向いたら復帰するけどそれっきり、な感じが今後数十年続くことになりました。
で、話を戻すと。
当然他のアニラジも欠かさずチェックするように。幸いアニラジには国内有数の強さを誇った東海ラジオがあったのでもうふんだんにアニラジを浴びるように聞きまくりですよ。去年(2019年)のRadiコミ復活のときは「復活Radiコミをラジオで聞くために」わざわざ茨城から名古屋に帰りましたし、「合言葉は?」と言われたら脊髄反射で「Bee!」と言いますし!
とにかく、今の自分があるのはこのラジオのおかげ、というか「せい」というか。まあ、ここで一般人からは決定的に袂を分ったわけです。
この選択が良かったのか悪かったのかはよくわかりませんが、楽しいと苦しいのどっちが多いかといえば「楽しい」のほうが多かったんじゃないかなあと。未だに一般的な「幸せ」からは遠い人生ですが、ここで得た楽しみはそれを補うだけのものがあるのでは、と考えております。
というわけで長くなりましたが高学年~中学校編はここまで。
次は高校からのお話……なんですがここらへんはもうこのヲタ活動の延長線上って感じなんですよねえ。ここまでボリュームあるかどうか。
まあとりあえず書いてみよう。それでは待て次回!