見出し画像

【映画感想】君の名は。

当初、あまりのブームに遠巻きにしか認知していなかった作品ですが、
あらためて観てみると、いろいろ感じる所のある映画でした。



まずは、運命で結ばれた〈魂の片割〉に出会うストーリー。
女の子と男の子が「入れ替わり」をきっかけに出会い、
やがて村人を救うための同志愛的な、運命共同体のような存在に発展する。

一方で、「彗星接近」というストーリー。
こちらの方は途中まで、奥にある舞台装置みたいな存在だったのが、
ある瞬間から表に躍り出て、全体の物語も俄然広がり、
宇宙の意志、自然界の摂理、人間にはどうすることもできない力、
といった、壮大な空間と時間軸が横たわっているのが見えてくる。


主人公の女の子が巫女の家系で、天の声(宇宙の意志)とつながれる、
宇宙界と人間界の仲介的な存在であること。
そして、彼女の村は千数百年前にも「彗星が落下」したことがあり、
その地にご神体が祀られ、主人公の半身としての酒が奉納されること。

主人公一族が、代々儀式や奉納を通して、
天や自然を敬い共生共存を願うこと。村の繁栄と存続のために努めること。
それは、この村の在り方の一部として、長年に渡り機能していた。

そのひとつとして「入れ替わり」も、代々あったように描かれることで、
「入れ替わり」自体が装置であり、「宇宙の意志」という風にも感じられ、
並行していたストーリーが結びついていくことに納得できた。



一見、すべては村を救うために天が起こしていること?と、思えたが、
しかし宇宙は、そんな小さな時間軸で物事が流動してはいないし、
そもそも、人にとっての災難が、災難であるという軸自体を持たない。

宇宙ではどんな出来事も、すべての事象は事象でしかない。
意味づけするのは人間だけ。
そう考えると、やはり「彗星接近」は、
この物語においてのひとつのきっかけに過ぎないのかと。

主人公が時間を遡っても、起こること(「彗星接近」)自体は、
人間の力では変えようのない出来事。

であれば、人間にとって重要なのは、
いかに出来事に向き合い、その結果をどう捉えて、
その後をどう生きるか、ということになるだろう。
考えることのできる、人間である以上は。

ものすごく元も子もない例を言えば、
例えば主人公たちが、村のことなんか放って、
自分と家族だけで避難してしまうという選択もある。
もし現実だったら、逃げたとしても批判はできない。

でも、それをしないという選択が、主人公たちを形づくる。
そういった選択の積み重ねが道になって、
人それぞれの人生を創っていく。

すべては、どういう選択をするか。
そしてこの映画において、主人公たちの選択は、
一個人の視点でなく、宇宙の意志に則るということだった。
ということなのかなと、個人的には、そんな所に落ち着きました。


ツラツラ書きましたが、観終わった人々が、
「入れ替わった〈魂の片割〉がどこかにいて、いつか出会えるかも」
なんて気持ちになったとしたら、それだけでも素敵なのではと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集