「傷つけられた言葉と共に生きる」
皆さんも忘れられない言われて嫌だった言葉、一つはあるのではないでしょうか。
私もあります、それはほんの些細なことで
母とご飯を食べに行ったとき半分ずつお金をだすことになりました。合計1624円。私は812円を母に渡しました。その時「ちょっと細かすぎない?」と笑われたのです。
心外でした、自分が少なく払っているならともかくきちんと半分だしただけなのに。
またある時、姉と海外旅行に行ったとき。歩き疲れ疲労困憊の時に雨が降ってきました。私は折りたたみ傘を開こうとしましたが中々開かず、姉に助けを求めると「ホント役立たず」と。なぜ傘を開けなかっただけでそこまで言われるのか。
母はお金に細かいところを少し冗談めいて行ったのでしょう。
姉も疲労困憊で当たり前のことができなかった私に当たってしまったのでしょう。
きっとなにげなくいった一言。
それは棘となって私の心にずっと刺さっています。
ふと思い出すと時々チクッと存在を主張してくる小さな棘。
私はこの棘を恨んでいるのでしょうか。確かに思い出して嫌になることはあります。
しかし恨めないのです。
だって私も同じように誰かの心に棘をさしているのだろうから。
その言葉はなにげなくはなった放ったもので、私は覚えていないのです。
でも自分に棘がささっているように、誰かに棘をさしている、きっとそうなのでしょう。
私は今日も棘と共に暮らしています。
自分がだれかに棘をささないようにするための糧として。
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