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私と鬱病(発覚前)

昨日初めてのnoteを読んでくれた方、ありがとうございました。

本日読んでくださっている方、本当にありがとうございます。

早速私の闘病記録のさわりから失礼します。

まずは自分のことについて少々。

順風満帆だった人生

私は田舎の海街にうまれ、優しい家族に囲まれ不自由なく育ってきました。比較的友達にもめぐまれ、いじめられることもなく面倒を起こすでもなく、受験も失敗したこともない、本当にありがたい話です。

大学を出てからは金融機関に内定をいただき、初めての仕事。失敗しながらも仲の良い親友みたいな先輩と厳しいけど優しいパートさん、頼りになる上司に囲まれ楽しく働くことができていました。

人が少ない職場でしたが、沢山の経験と上司の教えがそこにはありました。3年目には事務は大方習得でき、営業についてもチームリーダーに抜擢されるほどになっていました。

絵にかいたような順風満帆人生

この言葉がよく似合う生活がそこにはありました。


やってきた転勤、環境の変化

金融機関の転勤は結構はやい。私も4年目の前期には転勤が決まりました。

営業リーダーをしていたものの目標が重く伸し掛かるのは嫌なもの。

転勤先での業務は事務方の仕事を希望したものの、私を待っていたのは個人営業チーム。つまり主に数字を稼いでくる部署でした。

のちに店長が推薦していたと聞いた時の「こんの●●!!」と叫びたくなる気持ち、忘れません。

転勤後びっくりしたのがこんなに考え方の合わない人たちがいるのかということ。

特に課長とはそりが合わず、つねにバチバチ状態。王様とお姫様と王子様と兵士と奴隷が住んでいる世界、私のチーム。ちょっとこのあたりの金融業務や環境のあれこれは黒くなってしまうので別記事でいつか書きますね。

色んな人がいる中、その時の私は同僚から「テロリスト」と言われていました。

いつか自分が爆発するときは部署全員巻き込んで爆発してやる、絶対にだ。という気持ちが強く表れている、導火線が見えると同僚はいっていましたね。

その通り。

ここの人間関係がこれからの私を大きく狂わせたのでした。

…となれば分かりやすかったのに。

自分で納得ができたのに。


私の人生が狂い始めるその時

落とし穴

個人営業チームで爆弾を抱え過ごす毎日。

業務変更の願いがきいたのか、テロリストを我が国から追放したかったのか定かではありませんが1年後私は融資業務に配属されることになりました。

「1年間お世話になりました!」いままで見せたことがない最高の笑顔で個人営業チームに別れを告げ新しい新天地に向かう私。希望に満ち溢れていました。

そこには頼りになる上司、ベテランのパートさん、私よりも融資業務に早く配属された可愛い後輩。ここが楽園か…

こんな良いところに配属されたんだから一生懸命頑張りたい!前の課長に、あなたの下でなかったらこんなにも自分は働けるんだと見せつけたい一心でした。


この思いがだんだん自分を追い詰めていると知る由もなく。


最初はとても楽しく仕事をこなしていました。初めての業務でしたがパートさんと上司のサポートは厚く、後輩も自分の仕事をソツなくこなしていました。

仕事になれていくと、いかに早く終わらせるかを考えるのが楽しくてどんどん仕事をこなしていくようになりました。

そこまでは問題がなかったのです。

あの日の人事変更の通知がくるまでは。

通知の内容は上司は変わらないがベテランのパートさんが今季で退職すること、後輩が異動すること。そして変わりは業務経験のないパートさんと今年入った新人であること。

衝撃でした。だって私この業務をはじめて半年しかたってない。その私が一番上?いやいやそんなはずは…ありました。

突然やったことない業務が降りかかってくる毎日。パートさんが退職される前にしてもらっている業務を覚えなければ、後輩の仕事を引き継がねば。

机に書類が積まれていく中、驚くべきことに私は仕事楽しい!とハイになっていました。


だって任せられるということは私ができる人間ということでしょう?


仕事をこなせばこなすほど前の上司への当てつけになるでしょう?


頭の中は仕事のことでいっぱい。常にスケジュールを考え、机で事務をしながら「この書類を上司に出しに行くときに、このお客さんの書類をあっちにまわして、まわしたら別の案件をこなしている同期の近くに行くから話をきいて、最後にファイルを取って…」永遠にこんなことばかり考えているのです。

そうして過ごしているうちにパートさんは退職。後輩も転勤し新人が配属されました。

このころとにかく自分の仕事を回すのが必至で回りが見えていませんでした。新人教育なんてもってのほか、私にはそんな暇はなかったのです。

今思えば仕事をこなしている自分が好きで詰め込みをしているだけで、沢山助けてもらえる方法はあったのです。暇を作ることもできたはずなのです。

ただ、その頃は自分にひどく酔っていたのだと思います。暇を作らなかったのです。

忙しい私は全然仕事ができるようにならない新人にだんだんイライラしてきました。新人なんだかそんな早く覚えられるはずがないのに、私だって初めの方はびっくりするほどできない子だったのに。

そんな当たり前なことも気づけないほど私は必至に仕事にうちこんでいました。

そしてとうとうイライラが頂点に達してしまう出来事があったのです。

続く

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