【縄文土器に平和賞を】
2025年がスタートして早半月。相変わらず世界各地の争いは止むことがありません。もはや平和な世界は訪れないのかと、少々悲観的にもなってきます。
これまでも世界の歴史は争いの連続でしたが、日本の縄文時代は一万年以上も平和な時代が続いたと言われています。
何故、縄文時代だけ?縄文人は成人君主のように、穏やかで思慮深い人間ばかりだったのでしょうか?
いえいえ、今と同じような人間社会ゆえに様々な感情があったと思われます。
殺傷痕のある縄文人の骨が確認されていることから、個人同士の殺傷事件があった可能性も考えられています。
しかしながら集団による戦い、いわゆる「戦争」はなかったと言われています。その根拠は「武器」となる遺物が全く出土しないことです。
長きにわたる縄文時代。特にその最盛期と言われる縄文時代中期の中心地は今の山梨~長野県でした。
発掘された遺跡数からも、この地域には数多くの集落があり、周辺各地との往来も活発であったことが分かっています。
人が触れ合えば当然摩擦がおこりやすくなりますが、大きな争いが起こらなかったのは、温暖な気候で木の実や獣も多く、食料が豊富で安定した生活があったことがあげられます。
それでも、人間は欲深いもの。もっと多くの食料や装飾品を、大きな集落を…と、今の私たちと同じように思ったに違いありません。
ところが彼らには『縄文土器』がありました。
土器の文様や形にはそれぞれのアイデンティティが表されています。
それは集団の中ではコミュニケーションのツールとなり、一方では自分たちの権威や地位を表すものであったと考えられるようです。
共通した大きな文化圏の中で、それぞれの集団が創意工夫を凝らし熱心に土器作りに取りくむ…「競い」合うことでその表現力は高まり、さらには精力を注ぐことで無意味な「争い」からも遠ざかっていたのでは、と想像できるようです。
一万年以上もの平和な時代が続いたことは、世界でも稀な現象です。
勿論、その場所、時代によって取り巻く環境は違いますが、縄文時代の生活や思想、縄文土器から、平和な世界を実現する何らかのヒントが見つけられるかもしれません。
そのためにも、もっともっと多くの人に縄文時代や縄文土器を知ってもらいたいと思っています。
縄文時代と聞いて、「ああ、平和な一万年の時代ね」と日本はもとより世界中の人がイメージする日を夢見て、縄文のアンバサダーとして活動していきます。
*参考資料
季刊考古学・別冊36 「心とアートの人類史」 ㈱雄山閣
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