赤べこ伝説と『2体の人体像が付いた縄文土器』
約一年前に「2体の人体像が付いた縄文土器」が話題になったのをご存じでしょうか。
その土器が出土したのは、赤べこ伝説発祥の地として知られる福島県柳津町。
約8か月の修復期間を経た土器は、美しい山間の小さな街で公開されています。
柳津の自然と歴史を感じる
会津若松駅からJR只見線に乗り約1時間。会津柳津駅へ到着です。
福島県会津若松市と新潟県魚沼市を結ぶ只見線は、絶景の秘境路線で知られるだけあって、車窓からは心が洗われるような風景が通り過ぎます。
柳津の街中を悠々と流れるのは只見川。水面には新緑や橋が映り込み、美しい景色を作り出しています。
緑の中のアクセントカラーは赤。街中にはこの「赤べこ」カラーがあちらこちらに見られます。
橋のアーチにすっぽり収まっているのが、「赤べこ伝説」のある圓藏寺です。
只見川を見下ろす高台に建つ寺は、名僧・徳一大師によって約1200年前に創建されました。
ご本尊の福満虚空藏菩薩は弘法大師の作と伝えられ、日本三大虚空藏菩薩の1つに数えられます。
このお寺が「赤べこ伝説」発祥の地と言われるのは…約400年前、大地震で倒壊した寺の再建のために木材を運んでいたところ、赤牛の群れが現われ手伝ったとされることから。
境内には「撫牛」が祀られて、撫でるとご利益があると言われています。
人体像の付いた縄文土器を見に行く
目当ての縄文土器が展示されているのは、只見川沿いにある「やないづ縄文館」。
お土産屋&食堂&足湯の「憩いの館 ほっとinやないづ」の入口から入り、右手にあるのがミュージアムです。
ミュージアム入口から見えるのが、あの『人体像把手付土器』です。
この土器は約20年前に畑を耕作中に発見され、その後町に寄贈され長らく保管されたままでした。一昨年になり出土品を再整理中に発見されました。
昨年本格的な修復作業に入る際にメディアで大きく取り上げられ、人体像が付いた土器では国内最大級として話題となりました。
そして今回ついに公開されることになったのです。
大きな土器の上部に2体の人体像が向かい合っています。
現存の大きさは、最大径57.6㎝、高さは38.7㎝。もともとの高さは約80㎝で大型の深鉢と推定されています。
約5000年前の縄文時代中期のもので、何らかの儀礼や祭祀で使われたと考えられています。
その大きさからも、幼児の棺であった可能性もあるということです。
人体像は共に約17㎝と同じサイズで、顔や体の細部の殆どが同じように作られています。よく見ると手の指までもが表されているようです。
一対の人体像は、亡くなった我が子の復活・再生を祈る両親の姿…とも考えられています。
奥の大きな吹き抜けには再現された竪穴住居。数々の大型の縄文土器もあり、縄文時代に繁栄したムラがここにあったことを教えてくれます。
「人体像」のみならず、「顔」の付いた土器も多く見られます。これらの造形には、ここで生きた縄文人の死生感が表されているようです。
吹き抜けの2階には、触ることの出来る縄文土器がいくつも置かれています。
グルグルの文様、水煙のような土器の把手も!
そっと手触りを確かめながら、何度もあきることなく…だいぶ時間を費やしてしまいました。
思いのほかに充実のミュージアムには、まだ整理中の遺物がたくさんありました。もしかしたら何か驚くべきものが眠っているかもしれない…と期待を胸にミュージアムを後にしました。
赤べこの街のニューフェース
街のあちらこちらに様々な「赤べこ」。
そして駅にも。
この春にリニューアルされた会津柳津駅には「赤べこの工房」が併設されています。
この工房では群馬県から移住した彼女が修行を経て、オリジナルの赤べこ作りに取り組んでいます。
木の温もりを感じるあたたかな空間では、制作の様子を見ることができ、ここで作られた赤べこのショップにもなっています。
小ぶりで丸みのあるフォルムが特徴の彼女の「赤べこ」。
どれもとっても可愛くて…ふと目が合ったこの子を購入しました。
「赤べこは玩具なので、たくさん頭をなでて可愛がってくださいね」と、手渡してくれました。
美しい景色とたくさんの赤べこ、優しい笑顔…と、心が和む柳津の街。
季節を違えた景色も見てみたい…そんな思いを抱え帰途につきました。
*『人体像把手付土器』は、7月より福島県立博物館で展示されるとのことです。
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