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気になる土偶#117:弥生人も作っていました/藤岡市教育委員会

多くの土偶は縄文人によるものですが、僅かながら弥生時代にも作られていました。

弥生時代の初期に作られた土偶です。
伏し目がちな穏やかな表情、耳のあたりには耳飾りを表すような2つの穴、顔に刻まれた線は入れ墨と思われるものです。
手足の表現はなく、大きくデフォルメされた体形で自立しています。

体にはXのような文様。この文様とシンプルな体形は、縄文時代の晩期に東北地方で作られたX字形土偶を思わせるものです。

顔の入れ墨の様なものはこの頃によくみられる表現で、同じ弥生時代に作られたこちらの「顔」の口周りにも刻まれています。

これは土偶ではなく土器に貼り付いていた「顔」ですが、同じような目を持つ柔和な表情から、上記の土偶と共通の文化にあったことがうかがえるようです。
因みにこの様相から〝ミッフィーちゃんに似ている〟と言われています。

人面付土器/墓料遺跡 会津若松市教育委員会所蔵

土偶は真横から見ると全体が平たく、板のような像であることがわかります。
弥生時代に作られた土偶の主流は、平たく手足はなく、左右にくびれがある縦長の円形で「分銅ふんどう形土偶」と呼ばれるものです。
この土偶は立体的な縄文土偶から、そのシンプルな形へと変容していく過程にあるように思えます。

土偶が出土した遺跡からは、多数の再葬墓さいそうぼが出土しました。
再葬墓さいそうぼとは、「亡骸をいったん土に埋めるなどして白骨化させ、その後その骨を取り出し壺に納め、再び土に埋める」という弥生時代の葬祭方法です。

弥生時代は土器などにあまり多くの表現をしなかった一方で、再葬墓さいそうぼという葬祭に手間と時間をかける新しい文化を作りだしました。
そんな中にあっても、僅かに縄文時代の土偶文化を継承していたようです。

新旧織り交ぜた文化の一つが、この土偶に表されているのかもしれません。


*写真は群馬県立歴史博物館 企画展にて

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