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電子書籍2作目 失敗学 ”学びの源泉を刺激せよ”

まえがき

◆失敗は誰でも怖い

本書を手にとっていただきありがとうございます。

今回2作目の電子書籍は自分にとって何を書いた方がいいだろう。と考えたときに自分の経歴を少し振り返ってみようと思い書き上げました。

僕は特別に支援が必要な特別支援学級の教員でした。早い話が、発達障がいを抱えた教員が発達障がいの子供に指導する人間でした。

振り返ると本当にいろいろ失敗しました。
常識という言葉が怖くなりました。

自分はなんでこんなにできないんだろう?

自分はここで教えていて、
いいのだろうか?

失敗が怖くなり、新しいことにチャレンジをすることが怖くなりました。


◆挑戦には成功が伴う謎のプレッシャー

これは絶対にみなさん一度は通って来ていると思うのですが、負けず嫌いという名の根性論がこの世の中には蔓延っています。

“僕も負けず嫌いに陥ってしまったタイプなので人のことは言えませんが。”

『どうせやるなら勝った方がいい。』

これ、考えてください?

なんで勝った方がいいんですか?
勝ったらどんなことが得られるんですか?

そもそも
本当は何に勝ちたいのですか?

運動会、
どうせやるなら勝って終わりたい。

部活での大会、
どうせやるなら優勝しよう。

これ、
よく考えてほしんですけど。

勝者と敗者
より勉強になるのってどっちだと思いますか?

◆勝って満足するのは何に満足するんですか?

勝つことで僕たち私たちは満足を得られると思うのですが、なぜ満足感を得たいんでしょうか?

満足感が成長に繋がるのでしょうか?

もちろん、
成功は自己肯定感を高めるので、成功体験を収めることは大事です!

ただし、自己評価は高くなくてもいいと思うんですよね。

問題は、
勝たなければならないという考え方がそもそもの間違いなんです。


僕たちが本当に得たいものはなんでしょうか?
それをこの失敗学の中で書いていこうと思っています。

◆教師ブロックを外せ!

自分も教員をしていたので当時を振り返って反省するのですが、子供に対して、

「◯◯でなければならない。」
「常識的に◯◯した方がよい。」

ほとんど学校でしか社会人経験をしていない教師が一般常識を語るんですね。

僕も大人からよく言われました。

「君は常識がないから。」
「常識を知った方が良いよ。」

常識ってなんでしょうか?

日本大百科全書の中にはこう書いてありました。
ある社会のある時期において、一般の人々が特に反省することなく、共通の事として認めている意見や判断のことをさす。

ある社会のある時期。。。

先輩教員はすごい常識があると思っていましたが、今考えると学校という組織の中の今までの時代の共通の認識だったのかもしれません。

その常識があっていたんですかね?
どうなんでしょう?

少なくとも、僕にはとても窮屈でした。

大事なことは、
常識があるという事を認識しておくこと。
だと思っています。

自分のチャレンジは全ては経験になる。
けれど、つい経験したことがない人に向けてこんな言葉を投げかけます。

「それはやめた方がいいよ。」

おそらく、これは本心で言っていることだと思うんですよね。

相手のことを思っている言葉なんだと思います。

どうしてだろう?

“大人が言っているから正しい”
“頭がいい人が言っているから正しい”
“教科書に書いてあるから正しい”

正しさってなんだろう。。。

本書を通して、今まで考えてきたことって固定概念なんじゃないのかということを考えるきっかけになれたら嬉しく思います。

目次
まえがき
《ポイント1》教育という名の大義名分
  ◉センスcrazy
  ◉スクラップ&ビルドがない学校
  ◉共依存が生み出す狂依存思考
《ポイント2》気づかない失敗
  ◉教師ブロックを外せ
  ◉地雷を気づかずに踏んでいる
  ◉失敗経験は成長の糧となるというマインドセット  
《ポイント3》雑草の戦力を知る
  ◉雑草が持つ『弱さ』に気付く
  ◉環境は大切だが環境に頼るな!
《ポイント4》学びの源泉に触れろ
  ◉ムリかも思考を駆逐せよ
  ◉凡人だから戦略的に失敗しろ
  ◉スタンフォード大学から学べ  
あとがき

《ポイント1》教育という名の大義名分
◉センスcrazy

crazyであることが、
目の前の問題を解決する手段と僕は思っています。

皆さんは松下村塾を開いた吉田松陰をご存知でしょうか?

歴史の教科書にも載っている偉大な教育者ですが、彼の一生は、振り切った行動力で有名です。

そんな彼が、こんな言葉を残しています。

「諸君、狂いたまえ。」

松下村塾といえば、たくさんの成功者を輩出している事で有名ですよね。

例えば、
伊藤博文、木戸孝允、高杉晋作、山縣有朋など

それ以降も吉田松蔭の思想に影響を受けた偉人はかなり多いですし、現代の会社を経営している人でも影響を受けている人は少なくないと思います。

僕が何を言いたいかというと、
あなたも成功者になりましょう。

なんて、
言いたいわけではなく。

変わった生き方をしている方は面白い人生送っている人が多いから、正しい事が全てじゃないよ!

という事を伝えたいのです。

僕は、
たくさん失敗してきたけれど、苦労もたくさんしたけれど、みんなから君面白いねって言われるようになりました。

ついこないだスナックのママに、

『計画性がない人は嫌いです。』
と言われてしまいましたが。笑

確かに僕は人より計画的に動く事が出来ないかもしれないです。

計画的に動ける人が優秀なんだとも思います。

だけれども、
僕は優秀な人が正しいというわけではないと思っています。

僕はまだまだ道半ばですが、

ひとつ断言できるのは、
過去の失敗は全部未来に活きてくるということ。

行動の源泉になっているし、
学びの源泉になっています!

学びの源泉とは何か?

僕は自分が死ぬほど悔しい経験や苦い経験が人を強くすると思っています。

経営の神様と言われている松下幸之助さんはこう言っています。

『逆境、それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯に鍛えられてきた人は、まことに強靱である』
また、
野球界のレジェンド
王貞治さんはこう言っています。

『ときには嵐のような逆境が人を強くする』

つまり、
失敗は人の行動の源泉になるのです。


話を元に戻しますが、

センスcrazyは、
成長のために必要だと思うのです。

人は、
残念ながら常識という
見えないルールに
支配されていることが多いです。

もちろんそれは僕も含めてです。

だから

僕が最近心がけている事は、
王道と邪道のハイブリットを目指す。

という事です。

個人の経験からも一般的にも教育で教えることは、
正しいことを教えようとするし、
答えを探す教育をする。

僕はこの『正しい』という言葉が嫌いです。

まるで大人が答えを持っているかのような。

『正しさ』があったら、
みんな人生楽しいはずじゃないかと。

教員をやっている時に
ひとつの疑問を持ちました。

なんでこんなにも愚痴をいう大人が多いのだろうかと。

教員は同僚や生徒の愚痴を言うし、
保護者は教員の愚痴と子供の愚痴、
そして旦那や奥さんの愚痴など

ひたすら聞いていると、
頭がおかしくなるんじゃないかと思いました。

絶対に自分はこんな大人にはなりたくないと思いながらも、1〜2年後自分も同じように愚痴を言っている自分に気が付いた時、もっといろんなことに挑戦していこうと思ったんですよね。

『正しさ』は危険だ。

いつからか、『正しさ』を突きつける人たちとは距離をとるようになっていきました。

人が『間違っている』と言っていることや『常識じゃない』と言うことをあえてやるようになって感じたことは、別に死ぬわけじゃない。

ということでした。

人から何度も罵倒もされましたし、人して扱ってくれないような仕打ちを受けたこともなんどもありますが、別に死ぬわけではない。

親から
『あなたは一色家の戸籍から外れていただきます。』と言われた時はさすがに精神的にきつかったですが。笑

◉スクラップ&ビルドがない学校

新しさというものはきっといつの時代も否定されるのでしょうね。

ですが、

時代の変化に合わせて新しいものをどんどん取り入れていくことはとても大切ですよね。

皆さんはスクラップ&ビルドという言葉ご存知ですか?

企業の成長戦略として使われる言葉ですが、

例えば、
イオングループは『スクラップ&ビルド』を繰り返すことで成長してきました。

イオングループの創業者岡田卓也氏の家訓に、常に自己変革を促す『大黒柱に車をつけろ』というものがあります。

イオングループの奇跡を辿るとまさに創造と破壊の連続だったことが分かります。

90年代〜00年前後のイオン(当時ジャスコ)を見ると、その動きはダイエーとは全く違っていました。

もともと、
大手に連なるのが遅れたジャスコは、地方への展開を進めていく際にも後発なので、中心市街地の一等地はダイエーや市場大手に抑えられていました。

このため、ジャスコ店舗の多くが、クルマの普及によって生まれた「郊外のロードサイド」という新しい立地環境に立てられていました。

そして「これからは地方ではロードサイドが商業立地の中心になる」と気付いたイオンは、中心市街地の店舗についても順次、郊外のロードサイドの巨大な複合商業施設へと転換を進めていった。

これがダイエーではみられなかったイオンのスクラップ&ビルドなのです。

(スクラップ&ビルドが功を奏したイオン)(出所:イオン公式Webサイト)

それにしても、

学校は新しいことをするのにあたりとても縛りの多い組織だなと感じました。

新しいことをやるのに、

『前例にないから。』
『今までそういうことは失敗してきたから。』
『今の行事にそれ以上足すことはできないよ。』

いつも僕の頭には「?????」が浮かんでいました。

どうして新しいことをやってはダメなのだろうか?

新人だからなのか?
考えが浅いからなのか?

社会人経験のある先生が同じようなことを言っていた時、経験の問題ではないということを知りました。

もしかしたら、
たまたまだったのかもしれません。

たまたま新しいことをあまりしないような学校だったのかもしれません。

たまたま伝統を重視するような学校だったのかもしれません。

ただ、
伝統を重視する学校も時代はどんどん変化しているので、もっと多様性を重視しないといけないと僕は思っています。

例えば、
こんなこともありました。

ソフトバンクと東大先端研究所の研究員として、特別支援教育を通常学級へとICTの導入と学習のバリアフリー化に勤しんでいた時期のことです。

iPhoneとかiPadとかを生活や授業で使うのですが、教員が使うこともあれば生徒が使うこともあります。

文字を書くのが苦手な生徒が、
黒板の文字をノートにまとめのに、

写真を撮ったり、
教科書の読み上げをするのに音声アプリを活用したり、アプリを使って連絡帳代わりにしたり、勉強の復習にアプリを使ったりもありました。
(実際の僕の生徒の例ではない場合もあります。守秘義務で話せないものもあります)

周りの生徒と違う事をすると一斉授業に差し障りがある。

カメラとかIT機器を使うといった事は大学生からで良いだろう。

などなど。

今考えると、

個別に学習課題が違うのだからITの力を使わないなんてあり得ないし。

何でIT機器を使うのに大学生が良くて、義務教育だとダメなのか理解が出来ません。

時代はどんどんアップデートしていくのに、教育の方法は時代の変化に追いつけない。

自分が優れているわけではないけれど、
素晴らしい先生もたくさんいたけれど、
何時もどこかで疑問を感じていました。

学校という組織では、スクラップ&ビルドをしていくのが難しいのかもしれません。

一般企業だったら、、、
どうなんでしょう?

僕は派遣やアルバイトで30個くらいの仕事を教員を辞めてから経験させていただきましたが、大手の会社はどちらかというとそういう傾向はあるのかもしれませんね。

他の会社ではどうなんでしょう?

スクラップ&ビルドも否定的にも考えることができるので、
失敗してしまうことに陥ってしまうことがそもそもダメだとか。

確かに失敗してしまうことがダメなのかもしれません。

なので僕は、
ダメで構いません。笑

だって天才じゃないので。
失敗してしまうんですもん。

失敗しないようにするのではなく、
失敗した後にどれだけ早くリカバリーできるかが大事だと思うんですよね。

もちろん、
防げる失敗は防ぐことを大前提とした上でです。

◉共依存が生み出す狂依存思考

僕は、孤独を大事にしています
それは、共依存になるのが怖いからです。

もちろん、
チームとして、コミュニケーションをとる事はしますし、仲間が好きです!

集団で行動をする事は好きだし、人に協力したり、人を頼りにする事もします。

でも、
一人の時間も大切にします!

自分で考える時間を止めないためです。
自分の思考は常に動かし続けなればいけません。

なぜならば、
僕は自分の人生を他の人に任せたくないからです。

たまに、
うつ病になって人生終わったとか。

旦那のせいで人生が狂ったとか。

彼女に振られたから最悪な気分だとか。

パチンコのせいで人生が狂ったとか。

会社にリストラされたから人生が狂ったとか。

ごくごく稀に、
起業して人生狂ったとか。

何かのせいにして人生が狂ったとか言っている人を見ると、本当に可哀想だなと思ってしまいます。

僕は、絶対に自分の人生を何かのせいにはしたくないです。

自分の人生は誰のものでもなく自分のものです!
あなたの人生も誰のものでもなくあなたのものです!

マズローの欲求階層説から考えて、
安全の欲求、社会的欲求の方が下位欲求なので他人に依存したいと言う気持ちは十分に分かります。

集団の中にいた方が考えなくてもいいし、行動を人に任せることもできますからね。

とても楽でいいと思います。
川の流れにのって、旅をするのも自由だと思います!

でも僕はしません。
川の流れに乗って崖から落ちるという経験を何度もしたことがあるからです。笑

何度死にそうになったことか。。。
もちろん比喩です。

借金地獄で首をくくろうか、
ホームレスになって無差別殺人を考えたこともありましたね。

今考えると恐ろしい。笑

とにかく、
苦しみに耐えなければいけません

苦しい時に人は助けてくれません。
誰かが助けてくれるという考えは捨てた方がいいのです。

自分でなんとかするしかないんです

助けの手は本当に奇跡だと思った方がいいです!
TVや小説のように誰かが助けてくれるなんてのは基本的に幻想です。

ブッダの言葉でこんな言葉があります。

交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。


【「ブッダのことば」犀の角(さいのつの)より抜粋】

真っ暗な暗闇を歩くのは恐いんですけどね。

ただ、
一人で歩いていないと見えない景色が絶対にあると思うのです。

頼るものがないと思うと人は突然進化するんじゃないかなと。

そして僕が思っていることがもう一つあって。

自分でとにかく
もがいて、もがいて、もがいているとき
ふと手を差し伸べてくれる人がいるんですよね。

そういう人を大事にしたいですね。

ですが、
依存思考が狂依存思考を生み出すと思うのです。

※ポイント1のまとめ

・過去の失敗は全部未来に活きてくるので、狂気を持って、常識の外にチャレンジしてみましょう!

・時代はどんどんアップデートしていくから、自分たちも時代の変化に追いつけるように新しいことへ挑戦していくことと思い
 切って古いものを捨てることの覚悟を持つ。

・自分の人生は誰のものでもなく自分のものです!

 あなたの人生も誰のものでもなくあなたのものです!


はい、
どうでしたでしょうか(^^)

明日販売になる電子書籍2作目
「失敗学」”学びの源泉を刺激せよ”

続きは本編で!

少しでも参考になればいいなと思います。

では今日はこの辺で!
アディオス!!!!


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