【今日の教皇様】#21「自分は人に何をしてあげられるか 」②
自分は人に何をしてあげられるか
私たちの手を見れば、いかに愛に欠けているかが分かります。今日は、他の人に無償で与えることのできる贈り物について考えてみましょう。
(出典『<日めくり>まいにち、教皇フランシスコ あなたを支える31の言葉』PHP研究所 編)
人に何をしてあげられますか?
じっと手を見て考える。
…この手の温かさで、
元相方さんを癒すことができたのに…。
この時期の思い出。
元相方さんと天文館などを歩いていて、いきなりダッシュして赤い羽根募金に募金していた。その度、そんな季節なんだと思うと同時に、元相方さんは人間ができたひとだなあと、いつも感心してましたよ。
元相方さんは、無償の愛を理解して、実践してる人だと、今までのことを思い出すたびに実感しています。
他の人に無償で与えることのできる贈り物を、自分で考えて、自然体で与えている元相方さんの姿を容易に想像できます。
では自分は?
何が足りない?
贈り物は何だろう?
そう考えると、無償の愛について無性に考えたくなり、調べてみました。
無償の愛とは
以下のサイトに詳しく書かれていたので紹介します。
<参考>
「無償の愛とは何かがよく分かる7つの言葉と、幸せになる為に必要な事」(スピリチュアリズム)
「愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。」(マザーテレサ)
愛する人には自分の事を知ってもらいたいし、愛してもらいたいと思うのは自然なことですが、無償の愛とは愛されることを欲するよりも自分が愛することが大事だということなのです。
無償の愛とは、受動的なものではなく、能動的なものなのですね。
「“何とかしてあげる”と自分勝手な愛情を押し付けるのは自分がかわいいだけ。本当の愛は見返りを求めない無償の愛」(美輪明宏)
無償の愛とは見返りを求めないことです。自分勝手に何かを相手にしてあげて、それに対する対価や見返りを求めてはいけません。
もしかしたら、無意識に態度に出ていたかもしれない。今思うと、自分勝手なしてあげてる感がでていたかも・・・反省します。
「愛はいたって単純な方程式で説明できます。相手の欲するものを与え、欲しないものを与えないというだけのことです。」(瀬戸内寂聴)
相手が欲するものだけを与えることが無償の愛であり、愛とは自分本位のものでは決してないということなのです。
相手をしっかり理解して、欲するものだけを与える、これが難しい。まだまだ努力が足りないところだ。まず、自分のしたいことは一度置いといて、相手を観察し、傾聴するなどして、理解に努めよう。
「好きな人と一緒になれなかったとしても、もしその人に幸せになって欲しいと思ったら、それが愛なんだと思う。」(ジュリア・ロバーツ)
愛する人は結ばれたいのが本音かもしれませんが、無償の愛とは、相手の幸せを心から願えることです。
相手の幸せを一番に考え、願うことが、無償の愛に近づく。本音を抑えて、実行する、とてもキツイことですけど・・・。
無償の愛を意識して生きる
上記以外にも名言がたくさんあり、どれも胸に刺さりまくりです。
・無償の愛とは、自分の犠牲を払ってでも相手のために貫くもの
・愛は相手が中心
・大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたか
以上、無償の愛とは何?を常に意識して、生きていきます。
元相方さん、ありがとう、感謝です。