バンコクで逞しく働くS.Uさん[1]
【タイ・バンコク編 現地採用インタビュー#003】
久しぶりにこんなに負けず嫌いな人と話した。最初に思った感想だ。バンコクのPR会社で働くS.Uさんにインタビューをしてみた。実は、僕が海外就職面接の旅に出る前にスカイプで話をした人でもある。
久しぶりにスカイプで話たら盛り上がってしまい、気がついたら2時間くらい経過していた。凄く刺激をもらった。
【S.Uさんの生い立ち】
S.Uさんは、京都の生まれ。家族の凄く仲が良くイベント好き。毎週末旅行に行くような家庭だった。後にその理由を知ることとなる。父親の都合で、京都から愛知に引越しをした。今までの居場所を捨てた、奪われた。まさにそんな感覚だったという。小学1年の時だった。
新しい学校行きたくないとごねていた。行ってみれば、いい友達にも出会える。場所を変えてみると、新しい人、新しい場所、新しい体験ができる。新しい生活に馴染んできた。普通の小学校生活をする。小学校までの成績は、すごく良かった方。代表生徒に選ばれるほど模範的な優等生だった。
中学時代には、大好きなハンドボールに出会う。ハンドボールが好きで好きで仕方なくて、勉強をいっさいしなくなる。お世辞にも部活仲間は、頭がいいといは言えないような状況で、自分もその一員となる。模範生徒からの転落。
そんな思春期まっさかりに大事件が起こる。母親との死別である。母親は生まれた時から心臓病を患っていたようだ。自分が生まれたことが奇跡。いつまで生きられるかわからないという想いが、家族の絆を強くしていたのだった。今振り返ると幼い頃に家族でイベントや旅行が多かった理由がわかる。
母親の死をきっかけに可愛げがなくなった。物事を人の意見に流されるだけでなく、自分の頭で考えるようになった。自分としてはすごくいい子になった。考えて動くようになった。部活引退後は勉強に専念して、それなりに頭のいい学校に入学。
高校入学後にガクッと成績が下がる。地元では頭もよくて、かっこいい、かわいいの集まった学校。文字通りに高校ライフエンジョイしていた。
再びハンドボールにはまる。部活のメンバーは皆めちゃくちゃ運動神経がよかったものの、ハンドボール経験者が2人だけ。もう一人は、職人のように黙々と一人でやっていくタイプだったため、必然的に自分がリーダーシップを発揮するようになる。選手兼監督みたいなことをしていた。チャラチャラしてるチーム。最後までチャラいことには馴染めなった。
大学受験を意識し始める頃、気が付いたら成績は最後から数えたほうが早かった。360人中351位をとってしまう。焦って勉強するものの、身が入らず、これといった目標もなかった。引退後に図書館通う宣言。学力がすごく伸びた。最後に結果ができて、90位くらいまでになる。運命に導かれるようにしてとある私大に通う。経営学部というまたもやチャラい学部で新しいスタートを切ることになる。
【海外の扉が開いた大学時代】
何かに導かれるように。
急速に歯車が回り始めた。
国際色豊かな経営学部へ。
ここまで国を越えるというきっかけもなく、日本以外全く考えたことがなかった。入学の説明会で「留学を2人に1人は経験する。」この言葉がきっかけだった。一念発起して得意でなかった英語の勉強を始める。
生まれて初めて好きな学問「経営学」に出会う。経営学に関する成績は良かった。ビジネス関係の成績は軒並み良く、マーケティングが特に好きだった。
とあるきっかけから大学内にある国際交流センターに足を運ぶこととなる。日本語が禁止だったため、片言の英語でも話さざるをえない状況だった。そこで、中国人の綺麗な女性と話すきっかけがあった。昔から抱いていた中国のイメージから、少し下に見ていたが、印象がガラッと変わった。彼女は日本で日本語を勉強しているのに英語が流暢に話せたのだ。
初めはブリティッシュ音楽好きだったイギリス行きたいと考えていた。しかし、中国人の留学生に「国際色豊かな人と会いたいのであれば、アメリカがいいよ。」とアドバイスをされ、アメリカに行くと決める。
国際交流センターでたまたま張り紙を発見。日本人をちょうど募集していたのだった。メンバーは、日本人10人と外国人50人。世界各国に友達ができるようになった。自分のアイデンティティが、国際に変わっていった瞬間だった。
【世界の優秀な人たちに出会った留学】
大学での国際交流センターをきっかけに英語を勉強して、アメリカに留学する。みんな英語を話すスピードは早いし、最初は会話することに本当に苦労した。
いつも教室の最前列に座り、講義を聞いていた。みんなと違うことをして、トップになりたかった。留学を成功させたかった。
友達をたくさん作って、国を跨いで生きていくのだと
ストイックに英語を勉強するために、日本人を無視してた。机に向かって黙々と勉強することをしないで、ひたすら人と話すことを意識していた。敢えてご飯は一人で行って、その場で友達を作ることにもチャレンジ。みるみる英語が上達していくのがわかった。
良い友達に沢山出会い、いろんな国のトップ層と知り合いになる。インターナショナルグループのトップ学生で、バングラディッシュから来ていた留学生がいた。大学の2年でゴールドマンサックスに入るような優秀さだった。
そんな友人の姿を見て、自分が目指しているところが見えた。自分はトップ集団を走って、世界を引っ張っていきたい。
留学中にボストンで3日間で行われる採用があった。日本で誰もが知っているような大企業が優秀な学生を集めようとしていたのだった。30社に面接を申し込み、10社面接をしてくれた。結果は、空振りだった。
そこで、衝撃を受けたのは、トップ集団が必死に内定をとろうとしていることだった。この人たちと同じ世界で戦うのは無理だと思った。将来のことを考えるようになって、自分のオリジナリティ−を探すようになった。
バンコクで逞しく働くS.Uさん[2]へつづく。
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