こんにちは。ONEONONE(オネオノネ)、対話の時間へようこそ。
あなたは、昨日までの当たり前が、突然ひっくり返るような体験をしたことがありますか?
私たちの日常は、自分の中では、あまりにも身近で、淡々と続く事柄のせいで、しらない間に自分の中で、当たり前になってしまっていることがあります。
しかもそれはたくさんの場面で。
何か哲学的な本を読んでハッとする。
誰かの人生のどんでん返しのストーリーに驚く。
昨日まで仲良くしていた同僚や同級生が、一身上の都合で引越して離れ離れに。
そういう、予期せぬ出来事で、私たちは、やっとのこと、ハタと気づくわけですね。
昨日、今日、明日の、連綿と続く日常が当たり前ではなかったことに。
先にあげたような、特別な出来事が全く起こってないうちに、
この日々が、当たり前ではないかもしれないという発想を、どこかに携えて暮らしていくことはできないものでしょうか。
特に。
親子で、
夫婦で、
兄弟で。
家族間の、微妙なズレや距離感は、365日の日常に埋もれ過ぎてしまって、わざわざテーブルの上にあげて吟味をしない、ということが起こりがちです。
でも、対話の時間をしっかり持つことで、目の前の出来事の背景として、普段なら、わざわざクローズアップしていなかった、大事な想いが現れてくることがあります。
ある日、ガンを宣告される
気づいたら、周囲に誰もいなくなった
仕事がなくなる
これらは結構ハードな出来事ですが、
実はもっともっとシンプルで、一見笑い話のような日常の中にも、当たり前が当たり前でないことは隠れています。
本来なら明るみに出して、整理収納のように、順序を追って分けていけば、とても単純なのに、わざわざ、いろんな言い訳やできない理由を足すことで、複雑な問題、課題にランクアップされていたりします。
抽象度をあげて、なるべく俯瞰することと、具体的にしっかり動くことも、上手な使い分けが必要かもしれません。
せっかく関係性は確かなものなのに、物事への取り組みかたが悪かったために崩れてしまうのは、私はとてももったいないと思います。
人生の中の一コマ一コマに、その人のストーリーがありますが、たとえ時折でも、当たり前と思い込んでいたことが、実は当たり前ではなかったことに気づいておけると良いですね。