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2020年12月3日「青虫は一度とけて蝶になる」

12月3日の会とは?

誰か1人が亡くなるまで続けるをミッションに、若者から学び続けたいオトナ4名により、毎年12月3日に開催される会。(開催経緯の詳細は記事の中に記載)

2020年12月3日概要

日時:2020年12月3日(木)17:00~
会場:東京都市大学 世田谷キャンパス
当日の流れ:
1. チェックイン
2. ウォームアップ
3. オトナ紹介
4. ダイアログ×2

【登壇者プロフィール】
但馬 武(たじま たけし):パタゴニア→地域創生→企業
山田 崇(やまだ たかし):ナンパ師→公務員→スーパー公務員・大学講師
鳥屋尾 優子(とやお ゆうこ):ワコール一筋
山川 知則(やまかわ とものり):文祥堂16年勤務→ベンチャー企業

チェックイン

*チェックインとは
ミーティングや会の最初に今の自分の体調や気持ちを共有し、話しやすい空間をつくるための雑談の時間です。

山田:
いや〜行きたかったんですけどね。
なぜ今、尾山台に行かなければいけないのかって言われたら、なかなか東京行きますって言えなかったですね(笑)
ただ、目の前で起きていることが唯一の真実なので、「今、ここ」に意識を向けて、塩尻市からオンライン参加でも、いい時間にしたいなと思います。

鳥屋尾:
京都から参加しています。
この一年間、色々あったのでアップデート情報をお届けできればいいなと思います。

坂倉:
直前まで、そもそもこのおじさんの会やるの?って話だったんですけど、
会場を変えたり、山ちゃんも久々の東京を楽しみにしていたのに来れなくなっちゃったり、
こういう状況で開催したのはずっと語り継げると思うので、それも楽しみですね(笑)

但馬:
一年間経ったんだなぁ。
この一年間のアップデートということで何が成長したのかなって考えるとプレッシャーですね。
ほんとは息子を連れて来たかったので、少し後悔してます。

(山川さんは遅れての参加)

イベントの開催経緯・今日のテーマ

123の会2

このイベント開催経緯は、3年前くらいに飲んでる時に、12月3日の年一回だけは、主催のおじさん4人の誰かが死ぬまでやりましょうってなって。
僕らから何かをみなさんに与えるというより、みなさんから与えてもらう会にもなればいいなと。
相互扶助。おじさんたちに付き合っていただければと(笑)

今日のテーマは「青虫は一度とけて蝶になる」

卒業する瞬間に自分の思い通りのキャリアになると思ってるかもだけど、実際は違う。
アップダウンがあり先が見通せるってのも違う。
霧の中を歩いてる時って、10m進むとその先10mが見えて、また10m進むとその先10mが見える。
それがキャリア。
レイルの上を歩いてると安全というものではないよ、人生は。
10m進んで初めて見えてくる。

青虫は一度とけて蝶になる。(青虫→さなぎ→蝶)
さなぎの中でドロドロに溶けて蝶に変わる。
僕自身の人生は、自分に何か足りないと思ってインプットし続ける、学び続ける人生でした。
でも「あなたは既に持っているからそのまま進んでいいんだよ」と言われて励まされました。

僕ら4人も青虫からさなぎになって、蝶になるという繰り返しがそれぞれあって、その話が少しでも皆さんのヒントになればなと。
そして、こうして話すことで僕らもヒントを得られるので、相互扶助でおじさんたちにお付き合いいただければ嬉しいです。

オトナ紹介

但馬 武(たじま たけし)
社会に出た時は何もやりたいことはなかった。
携帯電話の会社を3年くらいで辞めて、両親のコテージの手伝いをしてたが、彼女との遠距離は無理だなって東京に戻ってきた。
何の仕事しようかなって思った時にパタゴニアの服を着ていたから
「よし、パタゴニアに入ろう」と思った(笑)

パタゴニアに入ってから環境問題に取り組んでる会社ってことも知って、
「僕はこの会社で社会を変えよう」と思い込んでしまった。
そこから46歳まで19年間働いた。

子供が生まれたのがきっかけで、
自分が環境問題をやらなければと思って森林の生態系の問題からエネルギー政策まで10年以上活動を続けてきました。

給料もポジションも上がっていくにつれてプライドもできてしまい、
「ビジネスによって社会問題が起こっている。であれば解決できるのはビジネスではないか。」
これが僕の生き方だ!って思って人前でも話してた。

でもこれは僕の思い込みで、たしかに自分が望む社会ではあったけど、
自分の命の使い方は別のところにあったようで、そこには気づかないふりをしていました。

でもパタゴニアはいい会社でみんなが尊敬してくれるし、どんどん自分が望んではいない方向に進んでいってしまった。

転機は震災からの福島第一原発の事故。
近くにあった両親が経営していた福島のペンションの売り上げは減り、倒産直前に。

パタゴニアを通じて社会を変えたいと思っていたのに、一番身近なひとを助けることができなかった自分。
果たして環境問題は僕の命の使い方なのだろうか、って悩み始めたのが40歳。
そこから見ないようにしていた自分と向き合い、変容の旅路がスタートしたようにおもいます。

パタゴニアではどうしても「正しさ」を中心で話している自分がいました。
しかし、正しいことを話している自分はどうも自分らしくないと。
いいこと言ったつもりで誰かを打ち負かしたような感覚になって。
僕がやりたいのは正しいことで人を巻き込むんじゃなくて、楽しいことで人を巻き込むことではないかって考えたのが42歳くらい。

そこからコミュニティを始めたり、イベントを通じて人と関わる機会を増やしていって、だんだん自分のコアな部分が見えてきました。
しかし、まだ変容するには怖い。
踏み出していいのかと。

42歳くらいから複業でコンサルを始めて、4年くらいで踏ん切りをつけ、パタゴニアを退社しました。
まだまだこの段階でも自分のコアな部分は理解しきれておらず、変容の途中であったことはあとから気づきます。

その後スタートしたのがエーゼロという地域活性化の仕事。
しかし、これも難しかった。

関わる地域を魅力にしていく仕事でしたが、どうしても出張ベースでの限界があり不完全燃焼に感じる日々。組織運営という点でもまだ未熟であったために難しさを感じることも。

なにより、家族と離れて生きることが自分の原動力であることに気づく日々でもありました。

自分のなかでの限界を超えつつあり、そこできづいたのが自分の命のつかいかたでした。

大きく人生を変えていくプロセスとしての「ダウンローディング」。
一度自分が積み上げてきたものを全部壊すプロセス。
自分のプライドも年収もいろんなものを手放さないと新しいものは入ってこない。
このままでもいいんじゃないか、って思ってしまったりもする。
これに贖い続けた変容の8年間だったとおもいます。

あることがきっかけで全部手放したのが2017年の11月くらいで、
手放した瞬間に自分が心から取り組みたいことが徐々に形になってきました。創業した会社はfascinateといいます。

fascinateでは顧客とスタッフから愛される企業「LOVABLE COMPANY」への変容を伴走することを生業をしています。
シンプルにいうと、企業にファンを増やす仕事。 

社会に出た時はこれをやりたいなんて思ってなくて、もっと違う道だと思ってたけど、今までのプロセスの中でやっと今自分らしく生きれるようになりました。
今が人生の中で一番生き生きしてるんじゃないかなとおもいます。

但馬のストーリーでした。ありがとうございました!

鳥屋尾 優子(とやお ゆうこ)
飽き性でいろんなことに興味があって、今でも何足ものわらじを履いているので、自分がこんなに長くこの会社にいるとは思ってもいませんでした。

私がここにこんなに長くいられたのには、ワコール創業者の塚本幸一さんの存在が大きい。
第二次世界大戦でミャンマーに従軍して、そこで生き残った3人のうちの1人が塚本幸一さん。

塚本さんは、なぜ自分は生き残ったのかを考え続けた結果、
「生き残ったのではなく、生かされたんだ」と思い、
戦争から帰って6月15日に京都駅に降り立ったその時に創業。

ワコールの理想と目標:
「世の女性に美しくなってもらうことによって広く社会に寄与することこそ我が社の理想であり目標である」

美しくなりたいと思っていない人はいない。
でも、戦争中はそれさえ否定される時代だった。
美しさを謳歌できる平和な時代を作りたいという思いでワコールを創業。

「世の女性の美しくありたい気持ちを応援する」
下着を売ることだけを基軸にせず、価値を届ける会社であることが私がここに居続ける理由でもあります。

だからこそ、自由度があってやりたいことに耳を傾けてくれるのも私の中のワクワクポイント。
これまでいろいろ任せてもらえてきましたし、常に新しいことにチャレンジできるワクワクな日々です。
ただ、一方で任せられることには責任が伴い、やりきれる自信はあっても、やはり初めてのことには戸惑いもあり、怖さも伴います。
押しつぶされそうなプレッシャーを感じた日々もあるけど、それでも楽しくこられたのには、必要以上に不安がらないように気をつけていたからかもしれません。

例えば、不安になる、そんな時は、
まず未来のありたい姿を明確に言語化した上で、何がこんなに自分を不安にさせているのかを毎日ノートに書き留めるようにしてきました。
見えない不安が実は最も扱いにくく、必要以上に不安を増殖させる危険もあるので、
なるべく些細なことでも不安と思うことは言語化することでモヤモヤを形にして、まずは見えるようにしてきました。
そうすると「漠然としていた不安」は「対応できる(もしくは対応しないでいい)課題」に変わるので、あとは対応手段を考えればいい、という頭に切り替わり、さらに迷いなく、自分が進むべき道が明確になっていったなぁと。

もともと広報をやっていて、新規事業立ち上げのあと、人事関連の部門部へ移動し、2年間人事を経験。

現在は出向先の子会社で社長をやっています。
新しい仕事、立場に就くたびに、ワクワクと不安は入り混じりますが、明確なありたい姿をまずは描き、進む中で不安が湧いてくるたびに、漠然とした不安をそのままにせず、言語化して対応できる課題に変えてきました。
もちろん、うまくいくことばかりじゃないけど、悩み、もがきながらも仕事が楽しく、面白くできて来られたのも、この方法でやみくもに迷わずに一歩一歩進んでいる実感を得て来られたから、のように思います。


山田 崇(やまだ たかし)
私は地方公務員の立場で話したいと思います。
12月3日が今日で3回目なんですよね。
3回やると1年が2つできると思っていて、2回でやめちゃうと1回しか確認できないんです。
だから今日でワンサイクル。やっと2019年までの1年と2019年12月3日から今日までの1年を比べてどうだったのかを確認できますね。
自分で仮説を立てて検証することが私の仕事になりかけています。

公務員を23年間やっていて、6年前から信州大学で特任講師もやっています。
普遍的なキャリアとしては、塩尻に生まれて三人兄弟の長男で、レタス農家で育ちました。
あと、「元ナンパ師」で検索するとトップに表示されます(笑)

山田さん著書:『日本一おかしな公務員


2012年に一軒の空き家をプライベートで借りたのが私の中での転機。

もともと公務員は親父に「実家に帰って公務員を受けろ」と言われて嫌々なったんです。
実際、新卒で公務員になったときはすごく楽で。
隣の人と同じこと、去年と同じことをやってればいいから、自分の意思なんて全く入れる必要ないから。
最初の7年くらいは本当に仕事を舐めてたし、この組織で偉くなろうとも思っていませんでした。

2008年から2009年が転機で、
初めて人口が減り始めてお年寄りが増え、さらに人が100年生きるようになった。
これまで人口が増えること前提でシステムが作られてきたけど、そのやり方じゃうまくいかなくなってきたのが2008年くらい。
その時にその状況を少し後ろから見れてた自分がいて。
そこで空き家を借りたのがかなりの転機でした。

仮説を立ててやったことを記録して公開しておくと、それがストックになって共感を持った人に届く。
そこから講演のオファーをもらったり、一度講演を聞いてくれた人の口コミでの依頼が多いですね。
今は自治体の境界を超えてオンラインサロンをスタートしたりしてるのが注目されてます。

8年前の空き家プロジェクト。
なぜ空き家を借りたのかというと、レタス農家の息子だったから商売をしたことがなかった私が商店街活性化とか空き家対策なんかできるはずがない、という圧倒的違和感がありました。
現場で起こっていることと、市役所の中で考えている計画が人口減少によって少しずつずれてきていたことに対する「違和感」。
それに気づいて、自分でまずは一軒の空き家を借りてみようと思ったのが2012年4月15日。今も借り続けています。

山田さんTEDトーク:「ひとりじゃ円陣組めない:TEDx Saku」


坂倉さんの「黒板とワイン」で紹介されている「創造的な欠如をめぐって」という論文がすごく私の中で印象に残っています。
目的を持たずに覚悟を持った3人の大学院生が2ヶ月そこにい続けたら何が起こるのか、というのがすごく素敵。

目の前で起きていることが唯一の真実で、正しい。
自分が想定してようがしてまいが、何が目の前で起きているのかを知らない限り、公務員は商店街活性化とかできないんじゃないかって。
目的を持たずに、まずは空き家を借りてみて私自身も当事者になってみる。
唯一のコンセプトとして、それをやった時に自分の心の内から湧き出てくる思いを自分の責任で自分のお金と時間を使ってやってみる。
これが私が違和感を感じて、現状に異議を唱えてやってみたこと。

37歳までは普通の公務員でした。
このままでいいのか、このまま市役所に座っているだけでいいのか、と感じて、「やってみなきゃわからない」というのを8年間続けてきました。

でも、今の私の悩みは「45歳、この生き方を続けられるのか」ということ。
「やってみなきゃわからない」と自分の発する言葉が自分の首を閉めちゃってる感じもして。
いろんな人との良い出会いもあって、仕事は強烈に楽しい。
でも1週間168時間しかないから、どうしよう、どうなるんだ私って。

今日12月3日があることで、立ち止まって考えるきっかけになっています。
もしこれが自分が望んでいる未来だとしたらこのまま進めばいいけど、このまま目の前の真実に向き合い続けるべきなのか、一旦ストップすべきなのか。

とても私は悩んでいます。
以上です。


山川 知則(やまかわ とものり)
沖縄から帰ってきたばかりの山川です。
沖縄のマジムンという魔物に似てると言われて調べてみたら、
まっすぐしか進めない悪魔らしい(笑)

2003年に就職してキャリアがスタート。
なんとなく広告業界かっこいいなと思って、広告業界23社くらいを受けました。
面接では人生のベストネタを話してくださいとか、ポスター見てプレゼンしなさいとかいうのばかりで、何が面白いんだって顔で聞かれてるという(笑)それでもう広告無理だなと。

それで文祥堂に入って16年勤めました。オフィスの内装設計とかをしている会社で、なんとなく広告の次に提案の幅が広そうだなという単純な理由。オフィスの内装設計とかをしている会社で、なんとなく広告の次に提案の幅が広そうだなという単純な理由。営業、企画とか色々自由にやらせてもらってぬくぬくと育ててもらったなと。
営業、企画とか色々自由にやらせてもらってぬくぬくと育ててもらったなと。

空間デザインをやる中で使う人に喜んでもらえるのが嬉しかった。
間伐材を使った家具シリーズでは素材感に対して自分なりに解決案を出したり、
オフィスデザインそのものではなく、起きてほしい行動やコミュニケーションを促進するようなデザインを考えたり、というのをを3,4年くらいやっていました。

去年の年末にその会社を辞めて、ベンチャー企業に転職しました。

前職で嫌だったことは、新しいことをやるのに毎回社長を説得しなければならなかったこと。
この先もずっと説得していくのかと考えた時に、やっぱり同じ方向を向いている人と一緒に働きたいと思って転職を決意しました。

今のモヤモヤは、ベンチャー企業は安定感がないこと。
オフィス不要論も出てきていたりして、
やりたいのはわかるが今は短期的な利益は追えない、と言われたり。

同じ方向を向いていたらやりたいことできるかなと思っていたけど、そうではなかった。

沖縄でのワーケーション。
「ワーク×クリエーション」での4日間。
自分は全体を通して何をやりたいのか内省する時間になりました。

「全体性の発揮」
オフィスデザインでも一部分だけでなくて、全体が表現されるようなことをしたかったんだなって。
それは空間だけじゃない。
全体性が発揮されると美しさが出てくる。

今やりたいと思っているのが、全体性を表現するSNS。
問いの答えを共有するインスタグラムのようなものを作りたいなと考えています。

深くいくほど「あなたは人生を通して何を表現しようとしていますか?」とか、面的な広がりと深さを問いで共有できないかなぁと。


後日対談へ続く。


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