見出し画像

カレー蕎麦の思い出

もう陽は空と海が重なるところへ消えている。
平日のアラモアナショッピングセンターの
フードコートは人も少ない。

古い蛍光灯のような明かりの下の長テーブルに、
それぞれが好きなものをトレイに
乗せて集まり始めていた。
私はここに来ると必ず食べる
山菜そばをトレイに乗せて、
危なっかしい足取りで
みんながいるテーブルへ歩いていた。

「Mはいつもそれなんだね」
普段は挨拶くらいしかしないエディが言った。
エディはアメリカ人のお父さんと
日本人のお母さんを持つハーフで、
サイドが短めのサーファーカットにした
茶色の髪の下には、
よく日に焼けたハンサムな顔と、
まっしろな歯が印象的だった。
「ハワイの食事は胃にもたれるから・・・」
モソモソと言いながら
いつもちゃんと真っ二つに割れない割り箸と
私は格闘していた。

「今日のあの黄色い水着の子、可愛かったなー」
日に焼けたからか、
それともビールのせいなのか、
顔を赤くさせたアランが
にやにやしながら独り言のように言った。

アランは中国系アメリカ人で、
エディと同じくモーターボートを操る。
2人が働いているのは
オーシャンスポーツの会社で、
日本人観光客が相手だったから、
日本語はペラペラだ。
アランも毎日、海に出ているから
エディに負けず日に焼けている。
背は高くないけど、
全体的に締まった体格のエディと比べると、
アランはビール大好きなせいか
お腹がすこーし出ている。

「アラン、彼女に言いつけるよ」
と言うと、
「Mは”Water‘’って、
ちゃんと発音できるようになったの?」と
痛いところをつかれてしまった・・・

エディとアランは他の同僚たちと
英語で話し始めた。
時々どっと笑い声が上がり、
そういう時はだいたい
FとかSなどの汚い言葉が
英語慣れしていない私の耳でも
聞き取れた。
早くみんなの話の輪に加われたらいいなぁ、
と少し硬めの山菜をもぐもぐしていると、
「M、山源って行ったことある?」と
唐突にエディが聞いてきた。
「山源ってなに?」
「キングストリートにある蕎麦屋だよ」と
アランが横から口を出した。

そこはお蕎麦だけでなく、
親子丼、かつ丼、カレーなどもあって、
アメリカで言うところの「コンビネーション」、
例えば天ぷらそばと照り焼きチキン丼みたいな
組み合わせもメニューに載っていた。
行ったことがないというと、
アランは今度みんなで行こうと言った。

しばらくしてエディたちの会社のツアーに
遊びに行った帰り、みんなで
山源に行くことになった。
ついに山源デビュー。
お店の中は小さくて
すでに人がいっぱいだった。
お店の横にテントのような
屋根があるスペースがあって、
テーブルがいくつか置いてあった。
カレー蕎麦がおいしいと言うので頼んでみた。
アランやエディたちは
コンビネーションを頼んだようだ。

評判どおり、カレー蕎麦は絶品だった。
出汁といい、カレーの程よい辛さといい、
日本のお蕎麦屋さんで食べているようだ。
当時は日本食レストランが今ほどなく、
お蕎麦屋さんやうどん屋さんも
無きに等しかったから、
とても贅沢な気分だった。
ハワイで日本のお蕎麦を食べている、
と思うと、そのギャップが
可笑しくもあり、少し心細くもあった。

またアランたちは英語でわいわいと話し始めた。
輪の中には英語学校に
通いながら働いていたヒロシくんもいた。
ヒロシくんはみんなが話すことが
わかるようで、一緒にゲラゲラ笑っていた。
慣れてきたけど、そういう時、
輪の中に入れない自分の不甲斐なさを
どーんと目の前に突き付けられたようで、
ついうつむき加減になったものだった。
せっかくの山源のカレー蕎麦の感動も
しぼんでしまった気がした。

山源と聞くと、
初めて山源でカレー蕎麦を食べた時の
贅沢な気持ちと、
英語がなかなか上達しない
自分の不甲斐なさとの葛藤。
ロコの友達と一緒に食事ができているという
満足感。初の海外生活への不安と、
見るもの、聞くものすべてが
珍しくてわくわくしていた自分を思い出す。

当時学生だった私には外食は
そう度々できるものではなく、
早く仕事をして好きな時にいつでも
山源のカレー蕎麦を食べに来たいと
思っていた。
その後仕事に就いて何度か山源を訪れたあと、
私はマウイ島、そして
ハワイ島へと移り、
最後に山源に行ったのは2015年の1月だった。
そして、その山源は2020年2月に
お店を閉めてしまった。

またひとつ、懐かしいお店が消えてしまった。
毎日が新鮮で楽しくて、
でも言葉の壁に数えきれないくらいの
涙を流した小娘のような当時の自分も、
少し色褪せて行くような気がする。


いいなと思ったら応援しよう!