キナリ杯応募作品『結婚の申し込み』
(1)
泊まってもいいかだなんて、二つ返事でOKするに決まってる。定時になるや否や仕事を切り上げ、風のように職場を去った。自宅で妹尾が待っている。
鍵を取り出すことなく部屋まで辿り着いた。インターホンを鳴らせばすぐに扉が開く。思う存分夜更かししよう。
私達は暴飲暴食の化身となった。明日から始まる連休に備え、各自でしこたま買い込んできていたのである。買った時こそ、これは今夜でこれは明日の朝などと配分していたはずだが、「味が気になるよね」とどちらかともなく言い出し、開けては食べ開けては食べ。もちろん最終的には完食する予定ではあるものの、食べかけのおかずやらお菓子やらが散乱する事態となった。その間も喋り続け、喉が渇くからと託つけては酒を口にした。
(2)
遠路はるばる東へ東へ。地元からわざわざ足を延ばしたからには、行きたい観光スポットでもあるんじゃないか。翌朝そう訊ねてみれば「不動産屋さん」と返ってきた。
「えっ、こっちに引っ越してくるの?」
「そうしようかな~って」
「転職?」
「一応それもある」
どういうことだとせっつけば、
「こないださあ、プロポーズされたんだよね」
(3)
妹尾が独りで住んでいるマンションに、母親が来ていた日のことである。そこへ゛神崎守゛という男性が尋ねてきた。そして
「娘さんをください」
と真剣な挨拶をしたのだという。
「娘? って聞き返したら、『貴方の娘さんです』って、お母さんじゃなくて、こっちの目を見て言ってくんの」
「妹尾娘いたんだ」
「いないよ」
「知らないだけなんじゃないの」
「そんなことある? 流石に生んだか生んでないかくらい分かるよ」
「じゃあ予約だ。『生まれた暁には貴様の子供を貰い受けるぞ』っていう」
「そんな魔王みたいじゃなかったよ。靴の向きもちゃんと玄関で揃えててね、真面目そうな……」
「ちょっと待って。嘘でしょ、家入ってんじゃん」
「廊下でずっと話してたら近所迷惑だし」
「喫茶店とかは?」
妹尾は軽く息を飲みこちらを見てきた。今しがた気づいたようだ。親子ともども抜けている。お説教は後回しにして、続きを促す。
「娘いませんけどって言った?」
「言った。そしたら、息子さんは、今は女性として生きているんですって言ってきて」
「息子はいるもんね」
「いねえよ、何であんたまでそんなこと言い出すの」
「恐怖のあまりふざけてしまった」
「私の方が怖いから」
「確かに。妹尾は怖い」
向う脛を蹴られ、次に備えてガードしていた手の甲も殴られた。
「それでも人の親か!」
「違うっつってんだろカス、聴けや」
「キレ過ぎ……」
「恐怖のあまりキレてしまった。自己防衛本能」
「そこまで冷静に分析出来てんだったら大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ。今でさえ、神崎さんが頭おかしいだけなのか、私の娘だって言い張ってる謎の馬鹿が本当に存在してるのか、分かってないんだからね」
「息子が娘になったんだよって言ってきた後どうなったんだっけ」
「まだそこまでしか話してなかったか。あんたが茶々入れてくるからだよ。息子もいませんよって言ったら、勘当を取り下げてくれませんかとか言い出して、こいつ話通じねえなってなって、一旦考えさせてくださいってお引き取り願った。実家の場所は知らないっぽかったけど、皆気をつけるように言ったし、警察にも念のため連絡した。まあどうしようもないらしいけど、一応実家の周りパトロールしてくれるって。私は家割れちゃったから、引っ越して行方眩ますよ。転職決まるまでは実家暮らし。そんで、もうこれを機に都会に出ようかな~って」
一息に話し終え、あー疲れた! と叫んで妹尾はクッションに顔を突っ伏した。
「神崎さんていくつ位の人なの?」
「20代前半……から30代後半……」
「幅広いなあ」
「分かんないよ年齢なんて」
「凄くない? 私らの世代で今子供いるとするじゃん。どんなに早くてもせいぜい10歳でしょ。妹尾自分がいくつか言ったの?」
「言ってない」
「家間違えてたんじゃない? 妹尾っていう別の人の家には、勘当された娘が本当にいてさ」
「それが一番平和だな」
「え~連絡先とか交換した?」
「名刺は貰った」
見せて見せてと騒ぐと、妹尾はかったるそうに財布から名刺を取り出した。
「会社載ってんじゃん! かけてみようよ」
「かけたよ。神崎守って人もいた」
「おおー」
「でも家に来たことなんてないって言ってた」
「はっ?」
「こっちがイタズラ電話みたいに疑われたから、『誰かに名刺を悪用されているんじゃないですかね』って伝えて切った」
「声はどうだった?」
「似てたような……そうでもなかったような……年の頃は……近いような……」
「顔は?」
「電話の神崎さんは分からない。検索したけど出てこなかった」
「……見に行ってみる?」
「こっちが犯罪者みたいになるじゃん。やだ、もうこの案件に関わりたくない。『また伺います』とか言うんだもん、家に来た方の神崎守」
仕事も嫌になってきた頃だし、こっちに引っ越して転職もするの! と駄々っ子のように妹尾は宣言した。
「そんなこと言って~。私が神崎さんと繋がってたらどうするの?」
独りでいるのが怖いからこそ泊まりに来たというのに、洒落にならないことを言うなと軽いお叱りを受けた。
「どうするっていうか、まずは動機が知りたいよね」
「……妹尾と、ご近所さんになりたくって……」
「回りくどっ。直接言ってこいよ。まあ職場への距離を優先させるけど」
就活頑張らなきゃな~とややげんなりしていたが、あっと小さく声を上げた。
「そういえばあったわ行きたいとこ」
「どこ?」
「縁結びで有名な神社。電車で行けるかな」
妹尾が見せてきたスマホの画面を覗き込む。
「ここからなら歩いて行けるよ。目と鼻の先」
「ほんと? あっでも連休だから混んでるだろうな」
「24時間やってるからすいてる時にでも行こうよ」
「深夜の神社とか怖過ぎでしょ」
わけ分からん縁切って転職先との縁を結んでもらおうと意気込む妹尾を尻目に、神崎守なる人物は微塵も知らないが、あの神社ってやっぱり効果あるんだなあと私はしみじみ考えた。
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